第31話:もう何も怖くない
目を開けると、そこは暗い部屋であった。
頭が真っ二つになったかのような気分だ。手には赤いボクシンググローブがついている。まだ意識はもうろうとしていた。
部屋の中央には、大きな画面があった。どうやら一番来たくない場所のようだ。
「No.C34M20370817、このような自傷行為は当施設運営に支障が生じますのでご遠慮願います」
所長の言葉に、今にでも立ち上がって殴りかかりたいが、体の中の鎮静剤はまだ残っているためか、体が思うように動かない。
所長はどうせ思ってもいないような言葉を並べ立てる。
「どのような思考をされたのか存じ上げませんが、No.C34M20370817の身体を害してはいけません。今回は鎮静剤を少量用いさせていただきましたが、次回このような自傷行為が認められた場合、身体の自由が利かない収容方法に変更せざるを得ません。では、元の収容場所までご案内いたします」
後ろの扉が開くと、2機のロボットが入ってきた。
まだ自由に動かせない体に稲妻のような電気が走る。絶対にジックを取り戻してみせる。
手も足も頭も感覚はないが、俺はゆらゆらと立ち上がった。
鉄くずどもが這いよってくるが、俺は気にせず向かっていった。
2機のロボットは感情があるかのように、俺の行動に動揺しているようだ。
ロボットの肩をかすめ、彼らの間をすり抜けた。その瞬間、自然と右足が地面にめり込むことを感じた。次にふくらはぎのバネがぐっと縮む。
振り返って取り押さえようとする奴らを横目に、俺は所長室を飛び出した。
俺はとにかく通路を左に走り続けた。囚人たちが俺のことを奇異な目で見ていることを感じる。
看守ロボットたちは、俺の足の速さに反応が追いつけないらしい。
どの看守どもも俺のことを止められない。
すると、後ろから所長室にいた2機のロボットが、こまごましたロボットを2、3機かき集めて後ろからやってきた。
掃除ロボットみたいなやつが、うしろから何かを撃ってきている。
しかし、俺の足は止まらない。
通路の曲がり角でも俺の足は止まらない。俺の有能な右足がぐっと踏み込むと上半身を左へ回転させる。
この先はコの字型に曲がっているようだ。目の前の看守ロボットどもをなぎ倒して進む。連中は足止めを食らっているようだ。
追手が来なくなっても俺の足は止まらなかった。
背後からブンブンとうるさい羽音が聞こえてくる。小型ドローンが通路をショートカットして来あがった。
耳に障る羽虫どもはすぐに俺の横まで追いついてきた。
俺は大きく手を振り回して羽虫ドローンを墜落させていく。
ドローンどもは互いにぶつかり合い、1階の床に激突し、粉々になった。
それでも俺の足は止まらなかった。
らせん階段が見えてくる。足がもつれそうになりながらも俺は下へ下へとくだっていく。
4階、3階、2階、1階と行くうちに、掃除ロボットも羽虫ロボットもよくわからないデカブツも増えていった。
さすがの俺も背中や足に弾が当たる。小型麻酔銃のようだ。
しかし、俺の足は止まらなかった。
体が軽い……今までこんなに速く走ることができただろうか。
なぜか俺には1階にある黒曜石のような施設にジックがいることがわかっていた。
ジックを……くにぴょんを、助けることができる!最悪の状況下だが、こんな幸せな気持ちは初めてだった。
もう何も怖くない。くにぴょんが俺を孤独から救い出してくれたのだから!
施設に近づくにつれ、1発、また1発と奴らの豆鉄砲が俺の身体を刺激していく。
魔王城の一室のような趣味の悪いドアに手をかけた。ドアが綿雲のように軽く開く。
4つの入り口が縦に並び、奥の部屋のみ明かりがついていた。
今度は俺がくにぴょんを助け出す!また一つ、また一つ奥の部屋に近づいていく。
最後の入り口に手をかけ、俺はぬっと顔を部屋の中に入れた。
急に目の前がホワイトアウトする。俺は目を何回もまばたきさせた。
その部屋は大理石で包まれたようなどこか神聖で侵してはならないような雰囲気を醸し出していることがわかった。
部屋の中央には、悪魔でも召喚できそうな黒い液体が溜まっている。
その上にただ鉄を折り曲げて作ったようなイスが浮かんでいた。
そのイスの中に、俺の求める「その人」がいた。
ジックは、灰色の髪に長い髭、しわしわの手をしていたが、間違いなく、それはあのくにぴょんだった。
心静かな表情で目を閉じて、座っていた。どんな状況でも冷静沈着なジックな様子は変わっていない。
「ジック……いや、くにぴょん!俺、俺、せいにゃんが迎えに来たよ!」
出てきた俺の声は、かすれていて壁の大理石に吸い込まれてしまった。
黒い液体の端からイスに手を伸ばす。液体に落ちないようにしながら、ジックの手に触れた。
低めの室温のせいか、ジックの手先は冷え、少しカサカサしているようだ。
イスのひじ掛けをつかみ引き寄せる。ジックはイスが動いても気付かない。眠らされているようだった。
俺は、思いっきりジックの首に抱きついた。心の中は達成感と幸福感であふれていたが、頭は別の思考が働いていた。
連中に入口をふさがれる前に、俺は眠っているジックを抱きかかえることにした。
ジックの体は重く、この収容所で落ちた筋肉にはかなりの重労働のようだ。
ジックの腰が離れた瞬間、目の前で顔が下に落ちていった。
血しぶきのように、黒い液体が俺の顔に飛んだ。
ジックは人形のように液体の中に顔をうずめている。
フリーズしてしまった俺の体を叩き起こし、心の中の暗雲を取り払うように、子どものように水滴を飛ばしながら、液体の中へ入っていく。
ジックを再び抱きかかえる。ジックの目から黒い涙がたくさん流れ落ちた。
俺の手は冷たいのにどこか生温かいような黒い涙でいっぱいになっていた。
まだ柔らかいジックの体に俺は顔を押し付けた。
顔にべっとり付いた謎の液体は俺の頭の中の黒と混じり心の中を一気に侵食する。
その時、俺は全身の力が急に抜けてジックとともに、実体化した暗雲の中へと落ちていったのだった。
極秘調査報告書 26
ミスリムの処刑場
処刑場全体を覆うWWS素材や処刑場に溜められているWWS樹脂は、白いWW-IIA壁とともに処刑場内の特殊環境を生み出し、GKS社のアルクロマイドと共用することで、死後変化をほとんど無くし、細胞死のみを引き起こすとされている。これらの素材や樹脂、壁面についてはWorld Wide社のデータセットを確認されたい。
(ツーヨルゥ協定世界調整機構ミスリム山脈収容所所蔵)




