44 前代未聞のマンション移設
トレーニングルームを出て、一旦自室に戻り、いつものパーカーから目立たない服装に着替える。
冷蔵庫パンで早々に夕飯を済ませ、エントランスロビーへと向かう。
マンション移設にあたり、ジャンクション家から誘導のための人が来る手筈になっている。
それまでエントランスで待機だ。
エントランスロビーに向かうとメティス様が大きな地図を眺めていた。
私に気づいたようで、地図からひょこっと顔を上げた。
「ハルカ、来た」
「こんばんは、メティス様」
メティス様は今日も可愛いらしい。
一緒に地図を見ながら雑談をしていると、ロビーの自動ドアがウィーンという音と共に来客を告げた。
ジャンクション家からの使いの人が到着したようだ。ユーイが出迎える。
「ようこそいらっしゃいました。ジャンクション家の方ですね?」
「はい。執事のベンジャミン・ウォルフォードと申します。この度はよろしくお願い致します」
簡単に挨拶を済ませると、早々に最終確認をする。
移設ルート、必要な魔力量やタイミング、誘導などについて、不足がないか確認する。
「そういえばクラウドさんはいらっしゃらないんですね」
「ああ、彼は現地で指揮を執るため研究所におりますよ」
「なるほど」
当たり前のことだが、責任者が現場にいるのは心強いものだ。
ポーン……という高い音と共に、15分後に移動を開始するという旨の館内放送が入る。
この声は、たぶんリーフィアさんかな。
移動開始時刻は20:00ジャスト。精霊も含めて、全員が持ち場につく。
私は実質的にやることがないので、メティス様と一緒にエントランスでお茶を飲みながらルート確認である。
何かあったら風魔法で壁を張ることくらいならできるし。
最終の館内アナウンスが流れる。
『これより、当マンションの移動を開始致します。
離陸時、および、着陸時に大きな揺れが予想されますのでご注意ください。
ご在館の皆様におかれましてはご着席頂き、お近くの手すりに摑まるなどして揺れに備えてください』
飛行機の機内放送みたいだなぁ、と思っていたら、ロビーの時計が20:00になったことを告げた。
領地へ向けてタワマンは移動を開始した。
建物が魔力で地面から浮きあがる。同時に、隠蔽魔法・遮音結界の闇魔法が展開される。
これにより、周囲から建物が見えなくなるらしい。建物が揺れながら上昇を始める。
マンションを固定している杭が抜けるまで、5分ほどかけてゆっくりと上昇する。
遮音結界のおかげで建物内はとても静かだ。
揺れてはいるが、エレベータに乗っているときの感覚に近い。
しばらくすると、横スライド移動を始めたようで、窓の外の景色が流れるように変わり始めた。
外が暗くて窓からは見えないが、今頃、おそらく地の微精霊達が杭が抜けた後の穴を埋めているのだろう。
馬車よりやや遅いくらいの速度でマンションが動いていく。
「本当に動くんだなぁ……」
関心しなばら、ぽつりと独り言を漏らす。
ベンジャミンが「えっ?」と驚いた顔をした後、ちょっと不安そうな顔をした。
……ごめんなさい、聞こえなかったことにして。。。
移動中は周囲への警戒を怠らない必要がある。
急停止できないため、飛び出してきた犬とか鹿とかがいると、轢きかねないのである。
そのため、先行して微精霊達が風魔法で壁を張りつつ、自らがチカチカと誘導灯となって道を示してくれる。
しばらく外を眺めていたが、この辺りは街灯がないため夜が早く、出歩く人も馬車もほとんどいない。
窓の外はただの暗闇である。
20分もすれば不安も警戒していた空気も解け、やることがないので手持ち無沙汰になってくる。
……暇だ。1時間。何もすることがない。
「メティス様、カードゲームとかないですか?」
「かーどげーむ……?」
「トランプとか、UNOとか。オセロとかでもいいですよ」
「ない」
ないらしい。悲しい。この世界の住人は一体何で暇をつぶしているんだ。。。
ベンジャミンも暇なのか、声をかけてくれた。
「盤上軍戯でもお持ちすればよかったですね」
「盤上軍戯?」
「ええ。マスで区切った盤の上で、軍の兵に見立てた駒を動かす遊びです。あまり女性に勧められたものでもありませんが」
「へー、チェスみたいなやつですかね。面白そう」
「似たような遊びをご存じで?」
「ええ。私のところでは昔の人がよく遊んでいました。今はする人があんまりいないかな」
一応ボードゲームのルールは一通り知っているが、現代っ子なのであまり遊んだことがない。
最近はパズルゲームが流行っていたが、スマホやテレビを使ったゲーム機はこちらの世界にはなさそうなので諦めざるを得ない。
「ハルカ、暇? 本読む?」
「そうですね……」
散々眺めた後だが、私は地図を再び眺めることにした。
「そういえば、もう少しざっくりした、世界地図みたいなやつってありますか?」
「あるよ」
図書室に地図帳があった。
「ええと、ここがファンファレア帝国。首都はファンファレア。ほうほう」
「ハルカ殿は異国の出身なのですか?」
「そうですね。だいぶ遠いところだと思います。たぶん、この地図には載っていないかと」
「ほう」
異世界が地図で行ける距離にあるならすぐ帰るんだけどなぁ。
ファンファレアは周辺の四か国を属国としているようだ。色分けされている。
西のエーレンガルド公国、北のユライア公国、東のダムラ公国、南のログウォール公国。
「近隣の国々は、4大諸侯の公爵が治めているのですよ。辺境伯領はこの辺りですね」
「へー」
首都ファンファレアの西のほうに、ジャンクション辺境伯領がある。
街道沿いをずっと西に辿って行くと、エーレンガルド公国に着くようだ。
「ベンジャミンさんは近隣の国に行ったことはありますか?」
「そうですね、何度かありますよ。エーレンガルドは海に面しているので、魚介が美味しいのですよ」
「魚介かぁ。いいですね……」
焼き鮭が食べたい。アクアパッツァとかパエリアとかお洒落なやつでもいいけど。
「ちなみに、生でお魚を食べる文化ってありますか? お刺身とか」
「生ですか? ファンファレアにはないですが、エーレンガルドにはあると聞いたことがありますね」
おお、エーレンガルドにはお刺身があるのか。そのうち行く機会があるといいな。
「私も魚を生で食べたことはないです。普通は腹痛を起こしますので」
「そうですか……」
しばらく食文化の話をしていると、移動中の建物は農業研究所の近くの森に入ったようで、窓から木々がちらちらと見えてきた。
館内放送が流れる。あと10分程度で目的地に到着するようだ。
農業研究所のある湖畔の森の奥がタワマンの設置場所だ。
「もうすぐですね」
「ええ。このまま何事もなく終わることを祈りましょう」
我々の心配をよそに、建物は無事に目的地に到着した。
出発時と同じく、揺れに注意するように館内放送が流れる。
ズシン、とした振動のあと、揺れながら建物が下がっていく。
エレベータで下りるときの浮遊感を感じながら、しばらくして揺れが収まった。
「終わったかな?」
館内放送で移設が無事に終わったお知らせが流れる。
後日、所在地変更と周辺地図の更新について、各戸にポスティングされるようだ。
「はぁー、よかった。生きた心地がしませんでした……」
「あはは……」
ベンジャミンが大きく息を吐いてほっとしている。
しばらくすると、ユーイがロビーに姿を現わした。
「お疲れ様です、ユーイさん」
「ありがとうございます、ハルカさん。こちらは異常はありませんでしたか?」
「はい、特に何もありませんでした」
ロビーは移動の揺れだけで、平和そのものだった。
「何よりです。今は最終確認をしていますが、もう外に出ても大丈夫ですよ」
「わかりました」
ベンジャミンが立ち上がって言った。
「それでは、私は報告に参りますので、これで失礼いたしますね」
「はい、お気をつけて」
ベンジャミンが一礼し、自動ドアから出ると同時に、外から勢いよくクラウドが飛び込んできた。




