21 メティス様と文字
翌朝。異世界生活3日目。
昨夜は誓約書を書いて食事をした後、一部のお金を清算して、パトリックを解放した。
そして私は自室に戻ってすぐに眠りについた。
なんだかんだと密度が濃い1日だったせいで、朝になってもまだ疲労感が残っている。
眠い目をこすりながら、ぼんやりとした頭で冷蔵庫を開けて水を飲む。
しばらくすると、徐々に頭が冴えてきた。今日の予定を確認する。
……そうだ。昨日、パトリックさんが来る前に、図書室でメティス様に文字を教える約束をしていたんだった。
それから、午後はユーイさんに共用施設を案内してもらう予定だ。
エレベータを動かすためには風魔法を覚えないといけないから、そのことについても聞いてみないと。
パトリックさんは3日後にまた来るって言ってたし、それまでは自由行動かな?
メティス様との約束の時間まで、まだ少し余裕がある。
うーん、と背伸びをして、ベッドに腰掛ける。今日も晴れそう。
テラスをカラカラと開けて、外の空気を吸う。気持ちがいい。最上階の角部屋なので、空が綺麗に見える。海は遠くにちょっぴりしか見えないけど、晴れた日は最高な景色だ。
ああ、これで猫が居ればさみしくもないんだけれど……。
今日は昨日よりも少し野次馬が少ない。流石にただ建っているだけの建造物に飽きたのか、パフォーマンスをする人もいないからか、はたまた露店が撤去されているからか。おそらくパトリックの計らいだろう。
最初はあまりにも非常識過ぎた来客だったせいで、正義感のある直情型の若者かと思ったが、話をしてみれば、なかなか肝が据わった誠実な好青年だった。それでも若干思い込みが激しいタイプのようなので、彼とはほどほどの距離間でいたい。
ぐうぅとおなかが鳴った。冷蔵庫からパンを取り出す。今朝は厚切りされた食パンだ。
冷えたパンをコンロの直火で軽くあぶる。
トースターとバターが欲しいなぁ……。あとベーコンと目玉焼き……。
直火であぶって端が少し焦げたパンをかじりながら思いをはせる。
冷蔵庫リクエストで出てきた食べられない方のタマゴは、相変わらず冷蔵庫の上に鎮座している。触ってみるとやはり生暖かい。何のたまごなのか分からないし、何かが生まれてきても困るので早めにユーイかメティス様に相談しないといけない。
「そうだ。アイテムボックス」
昨日アイテムボックスに自販機で購入したテカテカのジャムと英知の結晶の存在を思い出す。せっかくだから食べてみよう。
アイテムボックスからジャム瓶を取り出して瓶を開封。箸にちょっとつけて味見する。
「……うーん、少し変わった風味のトマトソース、かな」
ほんのりスパイシーな風味がする。昨晩食べたスープと似たような味がするので、おそらくこれはミネストローネやパスタソースにしても合うだろう。パンにつける物としてはちょっと違うし、単品で食べるには味が濃すぎた。
「問題は、こっちか……」
金色の林檎を見つめる。外側は金属のような光沢と硬さがある。箸でコンコン、と軽く叩いてみると林檎とは思えない金属音がした。本当に食べられるのか不安になってくる。というか食べ方がわからない。
中はどうなっているのだろうか。包丁がないので、とりあえず手で割ってみようとトライする。
「くっ……硬い…………」
渾身の力を入れてひねってもビクともしない。まるで石を相手にしているようだ。
床にたたきつければもしかしたら割れるかもしれないが、バラバラになるとそれはそれで困る。なにより食べ物を粗末にしたくない。
「焼き林檎にすれば柔らかくなるかな……。でもフライパンがないや……」
はぁ、とため息をつく。林檎の処理を諦めて、『フライパン』『包丁』とメモを書き、冷蔵庫に放り込む。食材も一緒に冷蔵庫リクエストすることを考えたが、前回のたまごのように怪しい物が提供されても困るので、なんとなくためらってしまう。もう少しまともな食材が欲しい。
片手鍋にテカテカのジャム三分の一と水とブロッコリーを入れ、コンロにかけてスープにする。
器もなかったことに気づく。陶器のワイングラスがあったので、とりあえずグラスに入れる。
トマトジュースのような見た目だ。一口飲んで、薄かったので塩を足す。
…………うん、微妙な味わい。
食物繊維重視の野菜生活。完全にカロリーが足りない。
糖質・ビタミン・ミネラル・脂質、何より圧倒的にタンパク質が足りない。
食生活の改善が急務だということを実感した。
食事を終えて身支度を整え、部屋の外に出る。3日間有効のカードキーでエレベータを使い、2階の図書室へ向かう。カードキーがちゃんと使えるか少し不安だったが、無事に使えることを確認して少しほっとした。
図書室に入ると、昨日と同じ席にメティス様が座っていて、足をプラプラさせながら渡した自動車学校の教本を読んでいた。まるで絵本を読んでいる児童のようだ。
「おはようございます、メティス様」
「む、よく来た」
メティス様が本から顔を上げる。
「今日は約束通り文字を教えに来ましたよ」
「ああ。よろしく頼む」
メティス様の隣に座り、ノートとペンを出す。
「とりあえず、ひらがなとカタカナと、アルファベットからかな……。これが『あ』でこれが『い』で……」
ひらがなとカタカナであいうえお表を作り、それぞれ発声する。続けてアルファベットでABC表を作り、解説する。
「日本語の基本はひらがなとカタカナです。その他に外国の文字を表現するためのアルファベットという文字で書かれた英語と、漢字があります」
「ふむ」
「英語と漢字の単語は無数にあるので、少しずつ覚えるしかないです。参考になる日本語の本がこれしかないので、とりあえずこの本に出てくる文字だけ読み方と意味を教えます」
「うむ。わかった」
午前中はそうやって絵本を読み聞かせるようにして、メティス様に日本の交通ルールについて解説した。
人の歩く道を全て舗装する、横断歩道を作る、という発想がなかったようで、とても感心していた。信号機についての説明が大変だった。
なんだか自動車学校の教官になったような気持ちである。
……そういえば、転移したときに一緒に車に乗っていた人達はどうなったんだろう。
自分のことで精いっぱいだったせいで、すっかり忘れていたが、転移時に車を運転していた教官と、後ろの席に座っていた2人の学生が居たはずだ。彼らも同じようにこちらの世界に転移してしまったのかもしれない。少なくとも自分が転移した先の草原には、周囲に誰もいなかった。
考えてもわからないので、次にダフネ様に遭うことがあれば聞いてみよう。
メティス様からも、こちらの世界の文字を教わった。
国によって文字や言語が異なるが、この世界で共通言語として最も多く利用されているのがファンファレア帝国文字とのことで、とりあえず自分の名前の書き方と数字だけ教えてもらった。
あっという間に時間が過ぎて、図書室の時計がお昼を示していた。




