第50話 偽りの英雄
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「……ルオオオォォォォォ……」
アスモの催眠魔法が解けたシンシア・プリムスはけたたましい騒音により安らかな眠りから引き戻された。
「ふあぁぁぁ…暖かいわねぇ―――えーと、ここは外?…じゃあ、あれは夢だったの?頭がぼーっとするわ。意識が朦朧してるみたい…――あっ!これは「炎獣の外套」!?それに裸……やっぱり夢じゃ無かったみたいね。と言うことは本当に助かったんだ。じゃあ、あの子は?…名前は確かアスモだったかしら?一体、何処にいるのかしら――ひいぃっ!?」
自分の状態を確認した後、周辺を見回そうと右横に視線を向けた瞬間、シンシアの視界に黒山羊の巨大な頭が映った。
「……何?何なの?…これは悪魔の首?…え?え?え?こんな奴居なかったわよね?…でも間違い無く悪魔…しかも…」
アスモの魔法が解けたとは言え、半ば強引に解除された為、完全に意識が回復したわけでは無かった。言わば未だに寝ぼけているような状態である。彼女が現在の状況の全てを理解するにはまだ思考が追いついていなかった。しかし、「鑑定士」の職能を持たない自分にも視界に映る黒山羊が自分達…先遣隊を壊滅させた中位悪魔よりも強力な存在であるのは一目瞭然であった。そして並べるように一緒に置かれた「奈落の残滓」を見れば、黒山羊の首がギルドに持ち帰る戦利品や証拠だと言う事も理解出来た。
「…えーと、もしかしてこれが噂に聞く上位悪魔?首だけって事は倒したのよね?はは…本当にあの子は一体、何者なのかしら?…それにしてもよく見たら私は「魔法障壁」の中みたいね。これは多分あの子が張ってくれたのね。でもあの子は何処にいるのかしら?」
シンシアは更に周辺の様子を確認する為に遠くへ視線を移した。
「ちょっ!?何なのっ!?遺跡が崩壊してるじゃないの!それに辺り一帯が火の海!?どういう状況?多分、「魔法障壁」が無かったら今頃私は……そうだっ!あの子はどこに居るの?早く探さないと。」
シンシアの目に映った光景は火の海に包まれ崩壊したジグルス遺跡であった。業火により大地が溶け、石造りの建物の残骸は粉々に砕けて煙を上げている。最早、歴史的建造物としての趣は既に無くなっていた。
未だに混濁する意識の中、シンシアは周辺を見渡しアスモを探す――
「グルオオオォォォォォオオ!!!」
「――この咆哮は!?…間違い無い、私が起きる時に聞いた声だわ!……ある程度の防音効果もある「魔法障壁」の中に居てもこれだけ大きな音がするって一体何なの……あっ!?あそこにいるのはアスモ…さん?何を見上――げえっ!?」
耳障りな咆哮の聞こえた方へと視線を移すと100メートル以上先に命の恩人であるアスモが映った。目を凝らすと少女は口角を上げ楽しそうな表情で上空を見上げていた。それに釣られるようにシンシアもアスモの見上げる視線の先へと咄嗟に目線を動かした。そして目線の先にある存在を目の当たりにした時、呆けていた思考が一瞬にして覚醒した。
彼女の視界に映ったのは上位竜種である水晶竜、しかもその体は紫色の竜燐に覆われている…通常種でも最悪なのにそれを上回る強力な亜種か変異種が上空で翼を広げて地上にいる少女を見おろしていたのである。
自分を含む先遣隊を壊滅させた悪魔達は事前に情報さえ手に入れていたら対策はいくらでも可能であった。実際、A級冒険者であるアスモ一人で解決出来たのだ。ロマリア公国ではアスモ以外では不可能だがムスペル王国のS級や上位のA級冒険者であれば単体で解決可能…つまり「人災」。しかし、今上空にいる存在はS級冒険者どころかアルガルズ大陸にいる全ての冒険者を集めても倒す事は不可能だと思われる。もっと簡単に言えば一国の兵力を動員したとしても敵わない存在、そして単体で先日の十万を軽く超えるヴェノア帝国軍を上回る驚異…つまり「天災」なのだ。人では天変地異を防ぐ事など出来ない。
先日、ヴェノア帝国を襲撃した怪物の中に同じ「天災」級の煉獄竜がいたらしい。
その時はアルガルズ大陸最強の魔人と呼ばれる、ヴェノア帝国皇帝グレゴール・エルド・ヴェノアの手により仕留められたそうだ。だが、煉獄竜を仕留める為に帝国領土の三分の一と数百万人の犠牲者を出す甚大な被害を被ったらしい。
噂に聞く中央大陸の闘神や史上最強の冒険者と呼ばれる「戦女神」ならば「天災」級であろうとも簡単に打倒出来るだろう。
しかし、ロマリア公国には抗しうる者など居ない。一応、公国最強と呼ばれる「聖騎士」のシュトラウス将軍でもレベルは63…正直、中位悪魔と同等かそれ以下だろう。
自分達に残された選択肢は安全な場所へ避難して無駄な抵抗などせずに水晶竜が去るのを息を押し殺してひたすら待つだけ。そう「天災」は防ぐ事など出来ないのだ。
だが、視線の先の少女は違う。勇敢に「天災」に立ち向かっているのだ。遺跡の状況を見れば既に戦闘が始まってかなりの時間が経過しているのだろう。
確かにあの子は強い。上位悪魔をも倒したのだから…でも、アレには絶対に勝てない、強さの次元が違う。早く逃げるように声をかけないとダメだわ。早く、早く!
「…はや……にげ…あぁぁ…」
シンシアは必死に声を振り絞ろうとしたが恐怖で竦んで声が出ない。
「グルオオォォァァァアア!!!」
「ひっ!?ぁぁぁ………」
再び上空から響く轟音に戦慄を覚え恐怖に支配されたシンシアは萎縮して動けなくなってしまった。
ああ…もうダメだ。アレから逃げる事は出来ない。ここで私は死ぬんだわ。せめてあの子だけでもと思ったけど、はは…情けない。声すら出ないなんてね。
お願い、逃げて!アスモさん!!
無情にも恐怖で竦んでしまっているシンシアの心の声が表に出る事は無かった。
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「さっきから吼えてばかりで煩いデカブツなのじゃ!これでも喰らうが良い「岩塊砲」!!」
アスモが魔法を発動させる。すると地面から無数の石の礫が浮き上がりあっという間に数十メートルはある巨大な岩塊となる。そして紫水晶竜へ向けて手を翳しその岩塊を放つ。放たれた「岩塊砲」が凄まじい速度で一直線に向かって紫水晶竜に襲い掛かる。巨大な岩塊が標的に直撃し砕け散る。轟音が木霊すると共に強力な衝撃波が生まれ上空に砂塵が舞う。
「ふふん♪直撃じゃ!流石に効いたじゃろうて。今度こそ―――っ何じゃと!?」
上空を見ながらアスモは自慢げに鼻を鳴らしていた。例え竜種であろうとも高位魔法が直撃したのだ、無事ではすまない事を理解していたからである。しかし、薄れゆく砂塵の中から現れた紫水晶竜の姿を見て愕然した。
何と紫水晶竜は無傷であったのだ。確かに直撃した筈…ならば何故か?アスモは理解できない様な表情をして少し首を傾げる。
答えは簡単、水晶竜には土属性魔法が効かないのである。如何に「鑑定士」の職能を持っていたとしても弱点などの精密な情報を得る為には相応の技術が必要なのだ。それに熟練の冒険者や上位の学徒ならば水晶竜の属性についても熟知しているであろうがこの少女は昨日冒険者になったばかり…しかも子供である少女がそれを知らないのも仕方のない事なのだ。
それを理解しているのか紫水晶竜は「この程度の攻撃など無駄だ」とでも言うような感じで上空で翼をはためかせながら地上の少女を見下すように器用に口角を少し上げ嗤った様な顔を浮かべる。そして驚愕する少女の居る地上へ向かって牙を剥き一直線に急降下した。
「――くっ!?」
凄まじい速度で落下した巨体が大地を大きく揺らす。アスモはバックステップで後ろへ大きく跳び紫水晶竜の突撃を何とか躱した。しかし地面に巨大なクレーターが形成され波打つ地面に足を取られてバランスを崩してしまう。そこへ向けて紫水晶竜の尖鋭な竜燐に覆われた長く巨大な尾撃が振り払われた。
「しまった!これでは避けられない!?ならば「魔法障壁」――ぐわああぁ!!」
直前で何とか「魔法障壁」を張るが、その甲斐も無く強烈な尾撃の直撃により「魔法障壁」は粉砕されてしまう。そして100メートル以上は離れていたシンシアの近くまで小さな体は吹き飛ばされてしまった。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ……まさか妾の魔法が効かぬとは…これは流石にヤバイかの。――ちいっ、追撃か!?」
致命傷は負わなかったようだが、かなりのダメージを受け両手と両膝を突き項垂れながら息を整えていたアスモが視線を紫水晶竜へ移した途端に驚愕の顔を浮かべた。その視線の先には息を吸い込み胸を膨らませながら「息吹」を吐く体勢を紫水晶竜が取っていたのだ。そして追い打ちをかけるように強烈な「火炎息吹」が放たれた。巨大な紅蓮の炎が大地を沸騰させ焼き焦がしながらアスモに襲い掛かる。
「このままでは不味い!結界を張らねば「魔法障壁」!!」
「…あぁぁぁ……」
躱す事無くアスモは「魔法障壁」を張って結界を展開させる。恐怖に震えたままのシンシアは未だに身動きする事すら出来ずに呆然とその場に座り込んでいた。そして紅蓮の炎はアスモ達を包み込み辺り一面を焼き尽くした。
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あれ?暖かい?熱くない?それに痛みすらないわ…何でかしら?流石にあの攻撃に「魔法障壁」が耐えられるとは思えないけど…
視界が晴れて――嘘!?
紅蓮の炎に包まれ絶命は免れないと思っていたシンシアが瞑っていた眼を開き目の当たりにした光景は自分を庇うように前に立ちシンシアの方へ右手を翳し結界を張るアスモの姿であった。
シンシアを護る為に2重に張り巡らされた「魔法障壁」は砕ける事無く彼女を護っていたのだ。そして少女も左手を翳して展開した「魔法障壁」により辛うじて紫水晶竜の攻撃を凌いでいたのだ。
良く見ると身体に負っている傷も少しづつ自己再生されている様だ。流石は先祖返りの「魔人」である。
強烈な尾撃や攻撃にも耐え抜いた魔法や衝撃に対する強力な加護を持っていると思われる少女の身に纏う衣服は既にボロボロで最早、その効果は失われ次の攻撃には耐えられる事は無いだろう。
しかし、少女はこの絶望的な状況の中であってもその金色に輝く瞳から光は失われる事は無く、呼吸を整えながら反撃の糸口を掴もうとしていたのだ。
「――おお!無事か?良かったな…と言いたい所じゃが少し不味い状況じゃ。約束した以上、妾がお主を必ず無事に王都へ連れ帰ってやるからの。もう少し我慢してくれ。ーーふぅ、さーて、第2ラウンド開始じゃ!」
シンシアの無事を確認したアスモが軽く微笑む。その表情が彼女を心配させまいと気丈に振舞おうとしているのはシンシアには理解出来た。
そして勝ち誇ったような表情をしながらこちらへじわじわと歩み寄ってくる紫水晶竜の方へと小さな背中をシンシアに向けて歩き出した。
何故こんな無謀な戦いを挑むのか?…少女と水晶竜の戦闘を目の当たりにした瞬間からシンシアは疑問に思っていた。少女一人ならば逃げる事が可能であったからだ。だが、足手纏いである自分を見捨てる事も無くこの場に留まり「天災」に挑んでいる。普通ならば誰もが見捨ててもおかしくは無い…いや、見捨てられたとしても仕方がない状況なのだ。少女がこの場に残った事がシンシアには理解が出来なかった。
だが、少女の言葉を聞いてシンシアの魂が震えた。少女は言った「王都へ無事に連れ帰る」と、その約束を守る為だけに自分の命を懸けて「天災」に挑んだのだ。そして再び迎え撃つ為に向かって来る絶望に真正面から向かって行ったのだ。
私との約束を守る為にここに残ったとあの子は言った。そしてまたあの「天災」と戦闘を始めてしまった。決して勝ち目のない戦いに。
何故私を助けたのだろう…私が「魔工技師」だから?いいえ、私以外にも王都には腕の良い人はいるわ。それにギルドからの依頼は地下迷宮の異変の調査であって先遣隊の救助では無い。それにギルドも私の命よりもあの子の無事を最優先に指示する筈、見捨てたとしても何も問題は無い…
違う、違う、違う!!こんな事を考えるのは私が臆病で姑息な人間だからよ!あの子は私なんかとは違う!あの子は勇敢で思いやりのある優しい子なのよ。
だから早く言わなきゃ「私を見捨てて早く逃げて」って…でも声が出ない…あの水晶竜を目の当たりにしただけで怖くて…震えて…言葉が出ない…本当に情けないなぁ…――ああっ、危ない!?それにダメよ、水晶竜には土属性は無効なの、それに風や火にも耐性があるの。このままじゃあの子が…言わなきゃ、弱点は…弱点は…
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「ちっ!何をしとるかあの小娘は…早う妾に紫水晶竜の弱点を伝えぬか!何の為に芝居を演じておると思っておるのじゃ。早うせい愚図が!!」
焦燥感にかられ不快な顔をしながらアスモが紫水晶竜の攻撃を必死に躱す演技をしていた。そして躱しながら土・風の二重合成魔法「破砕嵐撃波」を紫水晶竜へ向かって放った。魔法は直撃し発生した衝撃波により空気が裂け大地が抉れる。しかし、水晶竜には無効な攻撃である。そして今度は紫水晶竜が右前肢を振り上げアスモへ仕掛ける。アスモは強烈な攻撃を辛うじて躱したふりをしてバックステップで距離を取る。
『陛下、お体は問題御座いませぬか?わざととは言え少しダメージを負い過ぎでは…流石に私も限界です。陛下の玉体をこれ以上傷つける不敬には耐えられませぬ。』
先程まで余裕の表情を浮かべていた紫水晶竜の表情が少し鈍る。「念話」を行いながら主であるアスモに芝居の中止を懇願している。
『阿保!表情を崩すでない!!妾の側で仕えるのがお主の望みであろう。ならば台本通り動かぬか!従僕は主の命令通り動くのが当然、妾の指示通り動かぬのならばお主は不要ぞ!』
『……承知致しました。もう暫くの不敬をお許し下さい。――しかし、あの人間め、竦んで動けぬのではないでしょうか?このままではいくら経っても無駄かと思われますが……では尾撃が行きます、フンっ!』
『確かにのう…先程、あの小娘を庇った演技をした時に効果はあったと思ったが、お主の存在が人間には相当堪えたと見えるのう。困ったものじゃ。――よっと♪』
一人と一匹は「念話」で意思の疎通を行いながら攻撃と防御をそつなくこなし続けて行く。
ふむ、このままでは勝負がつかんどころかこれ以上の戦闘の継続はこちらを監視しておる公国やギルドの連中共に疑念を抱かせる事にもなるの。
他の者共からしたら如何に妾と言えども水晶竜を倒す事など不可能なのじゃからな。上手く撃退したと見せねばならぬ…そう、運良く撃退したとな。
その為にもあの小娘の助力が必要なのじゃ、早う水晶竜の弱点を教えるのじゃ!早う!
……ふう、仕方あるまい、少し痛いが強硬手段と行くか。
『ポチよ!今から妾が着地した時に体勢を崩した演技をするから前肢で叩いて妾を小娘の近くまで吹き飛ばすのじゃ!良いな、手を抜いては怪しまれる故、ある程度の力は入れるのじゃぞ。』
『………断るのは駄目ですよね?』
『…勅命じゃ!愚か者め!――それに攻撃が当たる直前に体を覆うように薄い結界を張るから問題は無いのじゃ!魔神王の肉体を舐めるでない。』
『勅命承りました。では陛下の体勢が崩れた瞬間に右前肢を横凪に払います。』
『よしっ!では行くのじゃ、ほいっ!』
紫水晶竜の周りを素早く移動して翻弄していたアスモが抉れて柔らかくなった地面に足を取られてふらつく。
『では、参ります!陛下、御無礼をお許し下さい!』
そしてタイミング良く紫水晶竜が右前肢を振り抜く。少し手を抜いているとは言え、レベル176を超える紫水晶竜の攻撃が直撃したのだ。普通ならばインパクトの瞬間に爆散して可笑しくは無い一撃である。そして鈍い衝撃音の後に凄まじい速度でアスモの体が吹き飛び離れた位置に居たシンシアの近くに転げ落ちる。
「あぁぁ…はや…く……にげ…てぁぁ…」
シンシアは大地に転がりながらも必死に立ち上がろうとするアスモの姿を目の当たりにしてもまだ動けない…必死に声をかけようとしてもはっきりと声が出ないのだ。あまりにもの情けなさに涙が溢れている。
お願い!逃げて!もう、私の事は良いから!!もう戦わなくていいから!!!
動かなくても良い、だから一言だけでも伝えたいの「逃げて」…ただそれだけで良いから。この子はこんな所で死んではいけない。この子は英雄だ!だからこの小さな英雄が生き延びる為に神様!私に勇気をください!!
シンシアは神に願った。……しかし神への願いは届かず彼女の体を動かすどころか一言の言葉を発する勇気を与える事は無かった。
だが、彼女に勇気を与える言葉が小さな英雄から告げられた。
「うぐぅ…うぅ……ふぅ、少々手こずっておるが大丈夫じゃ。それにお主がおってはあ奴と本気では戦えぬ。つまりは足手纏いじゃ、じゃから早うここを離れるが良い。安心せよ、必ず後で追いつくのじゃ、妾は死んでも約束は守る故に安心せよ。――――ボソッ」
血を流し傷ついた体でゆっくりと立ち上がった少女が痛みに耐えながらも未だに自分を心配させまいと虚勢を張り優しい言葉をかけてくる。その少女の姿と少女の言葉聞いてシンシアの心の中で何かが弾けた。そして胸の奥から例えようのない熱が湧き上がってくる様な感覚を覚える。
これは感動?希望?勇気?シンシアの心は得も言われぬ感覚に包まれていた。只はっきりしているのは少女から与えられた言葉により生まれたそれが自身を奮い立たせる起爆剤になった事である。そしてシンシアの心を捕えていた恐怖が一瞬にして吹き飛んだ。
「アイツの…水晶竜の弱点は雷です!!――私は逃げません!あなたを信じます!だから勝って下さい!!私もあなたとの約束を果たしていません、だから勝って一緒に帰りましょう!!」
涙を流しながら勇気を振り絞りシンシアは必死に叫んだ。だが彼女から発せられたのは先程まで心の中で叫んでいた言葉では無かった。「逃げて」では無く「勝って」そう叫んだのだ。
「承知した!シンシアよ、妾に任せるが良い!クフフフフ♪雷が弱点かぁ!ならば丁度良い、今回の依頼中にレベルアップした妾の新しい魔法をお見舞いしてやるのじゃ!!行くぞ、水晶竜よ、第3ラウンド…いや最終ラウンドの開幕じゃ!!――先ずは小手調べじゃ「雷の槍」!!」
アスモは魔法を発動させ青白い稲妻を纏った光の槍を錬成して右手に持った。そしてその槍を振りかぶり紫水晶竜目掛けて投擲した。
放たれた高位雷属性魔法「雷の槍」は流星の如く一直線に飛んで行き、紫水晶竜の頭部に直撃する。
「グギャアアアアアアアアアア!!!」
巨大な頭部を覆う紫色の輝きを放つ透き通った尖鋭な竜燐全体に雷が奔り紫水晶竜が苦悶の表情を浮かべて吼える。
『良し良し、これで予定通りじゃ♪こんな事なら最初から魔法で精神を安定させてやれば良かったかのう?
いや、小娘も自分が勇気を振り絞ったからあの言葉が出たと錯覚しておるじゃろうから、こっちの方が自然っぽくて良いかの。――さーて、これからお主には台本通り水晶竜の弱点である雷を大量に浴びて苦しむ演技をしてもらわねばならぬ。良いな、ちゃんと痛がる演技をするのじゃぞ?では行くのじゃ、妾の前でしかと見事に演じて見せよ!』
『御意。必ずや陛下の期待に応えて見せます。お任せください!――では後ろに跳びます。』
アスモの攻撃に怯んだふりをした紫水晶竜が後ろへ跳び後ずさった。
「よしっ!怯んだのじゃ!この好機は逃がさぬ、連撃を喰らが良い!「雷の槍」!!」
アスモは雷の槍を次々と錬成し紫水晶竜目掛けて投擲する。雷の槍が全身に直撃し、その体全体を青白い光が覆った。
「グルウウオオオオオオオ!!!」
水晶竜の弱点属性を突かれて激痛に悲鳴の咆哮を上げながら紫水晶竜が体勢を崩す。中々の名演技である。
『よしっ!次は上手く躱すのじゃぞ!』
『はい、次は躱して空中に飛ぶ予定でしたね。ではどうぞ。』
「まだまだ行くぞ!!「雷の槍」!!」
アスモは魔法を発動させ雷の槍を右手に持ち紫水晶竜目掛けて力一杯振りかぶり投擲した。
凄まじいスピードで迫り来る雷の槍を紫水晶竜は翼を羽ばたかせて飛び上がり辛うじて躱した。その巨体からは考えられない程の動きである。流石は上位竜種と言ったところか…
「グルオオォォァァァアア!!!」
100メートル以上の上空で咆哮を上げ翼をはためかせながら紫水晶竜が体制を整えようとしていた。未だにその美しく輝く竜燐からは青白い雷が奔り、傍目から見ればその体に継続的なダメージを与えているように見える。
「…今畳み掛けねば妾の不利じゃ、絶対に逃さぬぞ!水晶竜よ、光栄に思うが良い!これが妾の新しき魔法…貴様の弱点である雷属性魔法の最高位―――――「滅びの雷霆」じゃ!!」
アスモは両手を天に翳して詠唱を行い魔法を発動させる。
「!?!?!?」
すると晴れていた空にどこからともなく黒い雲が湧き上がり慌てふためく様子の紫水晶竜の体をだんだんと覆いつくしていく。そして瞬く間に直径200メートルはある巨大な黒い球体が上空に形成された。
『では、行くぞ。今の内に予定通り仕込みをしておくのじゃぞ。』
『お任せ下さい。確かに陛下の台本通りに外れやすくしておきます。』
「良しっ!この完成された「滅びの雷霆」の球体の中からは絶対に逃れられぬ。妾には手傷を負わせた罰を与えてやるのじゃ、焼け焦げ悔いるが良い!「放電」!!」
アスモが天に向けて指をパチンと鳴らした。その瞬間、黒い球体が破裂し凄まじい轟音と共に万雷の如く放たれた雷が降り注ぎ、直視出来ないほどの光を放ち辺り一帯の空を青白い光で染め上げた。
地上に落ちてきた雷でさえ大地を貫き地形を変えている。その威力の凄まじさから見ればその中心に居た紫水晶竜が無事では無いのは一目瞭然。しかも弱点属性である雷による攻撃を喰らったのだ。傍目から様子を見守っていたシンシア達でもこの攻撃により「天災」が相応のダメージを負った…いや、もしかしたら倒す事が出来たかもしれないと錯覚したほどであった。
何故ならば最高位魔法と言っても最低取得レベルが100~なだけで簡単に使える訳ではない。相応の職能と技能と才能が無ければ如何にレベルが高くとも習得する事すら出来ない伝説級の魔法なのだ。多分、アルガルズ大陸で最高位魔法が使えるのはアスモを含めて片手も居ないであろう。
「嘘…本当にあの「天災」を倒したの?……凄い!凄い!凄い!―――」
「まだじゃ、奴は堕ちて来てはおらぬ。気を抜くでないぞシンシアよ!」
アスモは黒雲と黒煙の舞う上空を見上げながら決着が未だについていない事をシンシアに告げて注意を促した。
「え……ひぃ!?」
その言葉を聞きシンシアはつられるようにアスモの見上げる黒雲と黒煙の中心に視線を移した。だんだんと晴れて行く空から現れた妖しき輝きを放つ竜燐を纏いし存在を確認して再び恐怖に身が竦んでしまった。
「グウ…グルルォォォォ………」
セレナの瞳に映った存在…紫水晶竜はアスモの言う通り生きていたのだ。あれほどの威力のある魔法を受けながらも致命傷は負っていなかったのだ。しかし、その息の荒さと弱々しく羽ばたく翼の様子から見ればかなりのダメージを負っているように見える。
「流石は上位竜種じゃ、しかし妾もまだ多少の余力はある。機は逃さぬ、行くぞ「滅びの雷霆」!」
アスモは再び最高位魔法を発動させた。今度は無詠唱で……空には先程と同じく黒雲が湧き上がり黒い球体を生成する。しかし完全詠唱時には遠く及ばず、直径50メートルほどしかない。そして黒い球体は紫水晶竜を包み込む事は無くアスモの頭上あたりで漂っていたのだ。
「はあっ!!」
アスモが右拳を空へと挙げると頭上にある「滅びの雷霆」が拳に吸収されていき右拳が黒い雷を纏っていく。
「全体攻撃が効かぬなら今度は一点突破で主を打ち抜く。行くぞ「飛翔魔法」!」
アスモが飛行魔法を自分にかけ背中の翼を羽ばたかせ空へと飛び立つ。そして疾風の如き速度で紫水晶竜の眼前に移動したと同時に黒き雷を纏った右拳をその顔面に叩き込んだ。
「喰らえいっ!なのじゃ、「雷神の槌」!!」
インパクトの瞬間、眩い閃光と轟音が空を照らし響き渡る。アスモの渾身の一撃により黒い雷を顔面に奔らせながら紫水晶竜の体が自身の三倍近く後方へ押し出された。そしてその悲痛な咆哮は轟音により掻き消される。
たった三倍では無い、巨躯を誇る水晶竜の体の三倍近くである。中空とは言え距離にして二〇〇メートル近く吹き飛ばされたことになるのだ。身長120センチほどのたった8歳の少女が一撃で…この光景を目の当たりにした者達全てが信じられない出来事に声を失っていた。
その直後に上空から妖しく輝く大きな何かが地上に落ちてきた。それは紫水晶竜の神の合金にも匹敵する強度を誇る堅牢で巨大な竜麟だった。それらは落下と同時にズドンっと言う鈍い音が響かせ地面にめり込んだ。
アスモの渾身の一撃を喰らい流石の紫水晶竜も苦痛に顔を歪めて弱々しく唸っている。辛うじて中空で体勢を整えるがその表情には先程までの激怒の様相が消え、恨めしそうな表情でアスモを睨んでいた。
『…どうやら上手く行ったようですな。流石は陛下、他者を魅了して止まないお見事な演技に心服いたします。』
『そうかそうか、流石は妾じゃな♪しかしお主も中々の名演であった、特に仕込みの竜燐は良かったぞ、褒めて使わすのじゃ。小娘も「千里眼」でこっちを視ておる者共も妾達の演技を見て見事に騙されておるようじゃし、そろそろ終いとするかの。では予定通りに明日の昼過ぎに今日お主を召喚した場所であるドガの森に来るのじゃぞ。――ちゃんと人化してじゃからな!間違えてはならぬぞ!』
『おお!陛下からお褒めのお言葉を頂けるとは恐悦至極に御座います。それから打ち合わせの件、御意に御座います。陛下の指示通りこのまま北の国境辺りの山岳地帯へ移動後、身を潜めた後に人化して戦闘前に北の森に隠して頂いた装備を回収してから待ち合わせ場所まで移動します。――それでは陛下、失礼いたします。』
『うむ、また明日なのじゃ!』
芝居の閉幕を決めて一人と一匹は軽くアイコンタクトを交わした。
中空で相対する巨大な上位竜種と小さな冒険者…互いに息を吐き満身創痍でありながらも少女の瞳には曇り一つ無く金色の輝きは微塵も失われてはいなかった。その眼差しに気圧されるかのように紫水晶竜が怯むようなそぶりを見せる。そして―――
「…ウウゥゥゥ……グルオオオオオオオオ!!!」
紫水晶竜が小さく唸りながらも声を振り絞り威嚇するかのように咆哮を上げた。そしてそのまま背を向け猛スピードでジグルス遺跡中空から北へと飛び立ったのだ。みるみるうちにその巨躯が小さくなり見えなくなってしまった。あの様子では多分北の国境付近の山岳地帯の方まで移動したのであろう。もしかしたらメルキオ公国の方まで行ったかもしれない…シンシアや監視者達はその様子を見て安堵した。そして全員の視線が勝者であるアスモへと向けられた。
「天災」が去り静寂が支配する上空でアスモが右手を頭上に掲げて拳をギュッと握る。すると雲が晴れた空から眩い光が射しこみ少女を照らした。
それはとてもとても幻想的で神秘的な光景であった。まるで物語の英雄が描かれた一枚の完成された名画の様な光景が見る者全てを魅了し、その心を奪う。
そして今日、伝説が…そして英雄が生まれた――
満身創痍の体を引き摺りながら小さな少女が「天災」を退けたのだ。仲間である冒険者を庇い勝ち目のない戦いに勇猛果敢に挑むその姿は様子を見ていた全ての者達の魂を揺さぶり感動を与えた。
この奇跡を目の当たりにした者は10人にも満たないであろう。しかしその中には公国やギルドの要職に居る者達が数名居たのだ。心配せずとも数日中には公国中に知れ渡る事となるだろう。「小さな英雄アスモ」の物語は暫くの間は色褪せる事無く語られることになるだろう。
だが、人々は知る由も無い。この英雄譚が一人と一匹の名演により演じられた喜劇である事を…これから王都で起こる人々の歓喜の声や祝宴を目の当たりにして滑稽だと心の中でほくそ笑みながら馬鹿にする「偽りの英雄」の事を………




