第47話 「魔神殺し」
エクロン王国王都フィステリア――
先程消滅した粗野な石造りの街並みで収容所のようだった第9地区の首都デュパインとは違って豪華で煌びやかな建物が立ち並び様々な物品が揃った賑やかな市場、そして王都に住む民達の顔には満面の笑みと言うほどでは無いが、殆どの者が余裕のある表情を浮かべていた。その様子からは明らかに王都以外の住民達とは比べ物にならない生活をしている雰囲気が伺えた。
その中心に一際目立つ金銀珠玉を鏤めた豪華絢爛な巨城――これがベルゼブブの万魔殿、ヤハウェ宮である。
そのヤハウェ宮の玉座の間に開いた漆黒の門を潜って城主であるベルゼブブが帰還した。あくまで平静を装ってはいるが、その仮面の下から覗く瞳からは未だに怒りの火は鎮火していなかった。
その雰囲気を察したその場に跪き頭を垂れた状態の20人を超える魔神達に緊張が走る。
「お帰りなさいませ陛下。ご公務ご苦労様で御座います。」
その中の一人、細部にまで意匠を凝らした芸術品と呼べるような真紅の鎧を纏い、美しく長い赤色の髪を腰の辺りで三つ編みに纏めた目鼻立ちがハッキリ整った妖艶な美女が沈黙を破る。そして立ち上がり妖しい微笑を浮かべながらベルゼブブを出迎えた。
「「「お帰りなさいませ陛下。」」」
その言葉に続いてヤハウェ宮の玉座の間にて跪く魔神達が主を迎える。
「…うむ。で、ラヴィアロスよ余の指示した件はどうなっておる?」
未だにすっきりしない様子のベルゼブブが低い声で己を出迎えた美女の名を呼び問いかける。だが、只の美女では無い。男を魅了し虜にする美貌だけでは無く、その身に纏う強者の波動と圧倒的な能力を見れば彼女がベルゼブブにとって重要な人物である事は想像がついた。
名前 ラヴィアロス
種族 転生魔神
階級 悪魔王
レベル 757
職能 「尋問者」
「はい陛下、ご命令通り国内での「消音結界」の禁止とバフォメット族の残党狩りの指示を各地区の責任者達に通達致しました。それから反逆者アンドラスの一族全てを捕らえて地下牢に監禁しております。――後、不慮の事故で消失した件の地獄門ですが、第9地区の地獄門を再度開くのはあちら側からの妨害が起こる可能性が高いかと思われます。僭越ながら私が予備として用意しておきました新たな座標を使って術式を行う方が支障無く事が進むかと思われます。こちらに関しては我ら「五蟲将」直属の部下達で制御と警護を行います。尚、現在の地獄門の術式も継続して制御しておけば、いざと言う時に有用な手になると思われますので破棄する必要はないかと。――それから「壺」の準備も出来ております。」
その妖艶な笑みを崩すことなくラヴィアロスがベルゼブブの質問に対して淡々と答えた。
「そうか、余の命令を果たしただけでは無く、既に新たな座標を計算済みか…フフフ、流石は余の忠臣たる五蟲将の筆頭よ。褒めて使わす。」
期待以上の報告に機嫌を良くした様子のベルゼブブが称賛を贈った。
「お褒めに預かり恐悦至極に御座います。しかし我ら臣は陛下の忠実なる駒、陛下の為に尽くすのが当たり前、特に我ら五蟲将は偉大なる陛下の血肉を賜って生まれた「転生魔神」です。陛下の為に生き陛下の為に死ぬのが使命と心得ております。勿論、私だけでは無くアルブナリス、フォルノック、イアマズ、ハルサンの4人も同様です。――そして今から生まれる我らの新しき兄弟も陛下に絶対なる忠誠を誓うでしょう。フフ、今後からは「六蟲将」となるのでしょうか?」
主の褒め言葉を受けてラヴィアロスは満面の笑みを浮かべて謝意を示し頭を下げる。
「「「「ラヴィアロスの言う通り我らも偉大な造物主たる陛下に永遠の忠誠を捧げております。」」」」
ラヴィアロスに呼応するかのように4人の魔神が立ち上がり声を上げベルゼブブに忠誠を表した。
五蟲将と呼ばれた4人の風貌は洗礼された紺のスーツを着た眉目秀麗の青年や深緑の全身鎧を身に纏った騎士、道化師のような面妖な仮面と恰好をした長身で華奢な男や漆黒のローブを纏い、深く被ったフードから除く顔には包帯の様な布を巻きつけた異様な者まで全く異なる容姿をしていた。
筆頭であるラヴィアロスには劣るとは言え全員がレベル700を超える超越者である。
「うむ、余の分身…いや、子供と言っても過言では無いお前達5人の事は信頼している。これからも当てにさせてもらうぞ。――さて、ラヴィアロスよ「蠱毒の壺」をこれへ。」
ベルゼブブは頷き捧げられた忠誠の誓いを受け取る。そして念話にてラヴィアロスに指示を出していた次の計画を実行する為に重要になる存在を生み出す為の準備を始める。
「はい陛下。――フォルノック、陛下の御前にお持ちしろ。」
そう言ってラヴィアロスは道化師の格好をした男に目配せをした。
「了解。――どうぞ陛下。」
フォルノックは足元に置いていた直径80センチほどの壺を持ち上げベルゼブブの前に跪きその蓋を開けた。
「ふむ、上手く成熟しておれば良いが……―――フハハハハ、今回も良い出来の「合成魔蟲」に仕上がっておるではないか。」
ベルゼブブが壺に手を入れ、中に居る「何か」を掴み取り出した。壺口の大きさは直径30センチ程しか無い。だが、ベルゼブブが取り出したモノは明らかに1メートル後半はある巨大な兜虫の様な異形の蟲だったのだ。
この壺の名は「蠱毒の壺」――中は広大な亜空間となっている。そしてこの中へ数十万を超える様々な蟲の特性を持ったベルゼブブの分身を放ち、その中で共食いをさせて互いの特性を吸収させる事で、より強力な蟲を生み出す事が出来る装置である。
そしてベルゼブブが「蠱毒の壺」から取り出した異形の蟲の正体は「合成魔蟲」と呼ばれるある存在を生み出す為の媒体となる蟲なのだ。
「おお!陛下の仰る通り見事な出来に仕上がっておりますね。これで新たな「転生魔神」が…我らの新しき兄弟が生まれるのですね。」
「甲虫タイプか…中々期待できそうだな。」
「同じ甲虫型でも受肉するベースがパワー型なだけにラヴィアロスとは違って攻撃力重視の「転生魔神」になるやもしれんな。まあ、五蟲将の中にはパワー特化型の者は居ないから丁度良いじゃねーか。」
「どちらにせよ陛下にとって有益な者が生まれてくれば問題などあるまい。」
「………だな。」
「さあ、余の血肉を糧に生まれた十万を超える蟲達の中で過酷な蠱毒を生き抜き誕生した新しきわが子よ、この骸を糧に魔神として転生するのだ。」
ベルゼブブが「蠱毒の壺」から取り出した合成魔蟲をアンドラスの骸の上に置く…すると蟲がその骸の中へと溶け込んでゆく――次の瞬間、アンドラスの骸がまばゆい光に包まれた。
アンドラスの巨体がさらに膨れ上がり全身を覆うように頑強な装甲が造り出されていく。そして失った筈の頭部が再生され額に大きな角と側頭部に触角を生やした赤銅色の堅牢な装甲に覆われた3メートル半ば以上はある屈強な「転生魔神」と呼ばれる魔神が誕生したのだ。
「転生魔神」とはその名の通り魔神に転生した者を指す名称である。
通常は悪魔や他種族が魔神の力を得て転生魔神になるのだが、その際にほぼ全ての者がそのレベルに関係無く下位魔神として転生する。
例外としてベルゼブブのように器となる魔神を用意して特殊な技法を用いる事でその能力を損なう事無く、強力な力を継承した転生魔神を生み出すことも可能なのだ。
「フフ、精強な戦士が生まれたようで何よりだ。今日からお前は「ヴェルドレ」と名乗るが良い。今より我が腹心の「六蟲将」の一人として働いてもらうぞ。」
予定通りアンドラスの力を受け継いだ魔神が転生した事に満足しベルゼブブはほくそ笑む。そして新たに生まれた「転生魔神」に名を授けた。
「偉大なる支配者にして我が造物主であらせられるベルゼブブ陛下、私を生成して頂きありがとうございます。賜りましたこの「ヴェルドレ」の名を誇りに陛下への永遠の忠誠を誓約致します。」
ヴェルドレと名付けられた魔神が跪きお辞儀をした。悪魔王アンドラスを上回る体躯だけでは無くそのレベルもアンドラスを圧倒していた。
名前 ヴェルドレ
種族 転生魔神
階級 悪魔王
レベル 705
職能 「脅迫者」
「うむ、お前の忠義しかと受け取ったぞ。――お前にはその職能の力を使って地獄門の制御と警護に当たっている者共に呪縛魔法をかけてもらう。詳細はお前達六蟲将の筆頭であるラヴィアロスに聞くが良い。」
「御意に。――ラヴィアロス殿、ご指導とご指示よろしく頼み申す。」
再度ベルゼブブに頭を下げてからその指示に従う為にヴェルドレは立ち上がり、ラヴィアロスの前まで移動してお辞儀をした。
「承知した。それからヴェルドレよ、我ら六蟲将は陛下により生み出された同じ転生魔神であり兄弟のようなものだ。私に畏まる必要など無いぞ。」
「しかし、同じと言っても貴公は筆頭で我は末席なのだ。序列と実力考えれば至極当然かと思われる。」
「ふぅ、まあ良いか。その内慣れるだろう……記憶以外の性格などは基礎となった魔神の性質を受け継いでしまうからな。アンドラスのように質実剛健な武人として生まれたという事かな。」
ラヴィアロスは軽くため息を吐き、少し困ったような顔をした。ヴェルドレの頑なな態度に渋々折れて今はその言葉を聞き入れる事にしたようだ。
「それに貴公は陛下を除けばこの場に居る者達の中でも最強の実力者だ。それだけでも従う事に異論など無い。」
どうやらヴェルドレは強者が絶対と言う弱肉強食を前提とした考えを概念として考えている様であった。
「まあ、確かに我ら六蟲将…いや、エクロン王国でもラヴィアロスは陛下に次ぐレベルと戦闘力の持ち主だからな、しかも知略にも長ける万能型ときたもんだ。」
「ああ、それを驕る事無く、陛下の命令通り忠実に責務を果たす我ら六蟲将の長子でもある。」
「だからこそ陛下から最も信頼を得ているのも頷ける。ラヴィアロスには古株の悪魔王共も文句すら言えぬよ。」
「………だな。」
他の6蟲将達もラヴィアロスに対して賛辞を贈る。
「お褒めに預かり光栄と言いたいところだが、今は陛下の御前、お喋りはそこまでにしろ。――陛下、無礼をお許し下さい。」
ラヴィアロスは話し込む者達に注意を促し中断させた後にベルゼブブに深く頭を下げ陳謝した。
「無礼?その程度の些末な事を余は気にしてはおらぬ。」
「寛大なお言葉ありがとうございます。――それから少し面白い情報が入りましたのでご報告したいのですが宜しいでしょうか?只、陛下にとってはお耳汚しになるやもしれませぬ。もし、ご機嫌が優れないようであれば後日にでも致しますが…」
面白い情報と言いつつもその情報が主の機嫌を損ねる恐れがある為、ラヴィアロスはベルゼブブの仮面の下の表情を伺いながら慎重に尋ねた。
「面白い情報を聞いて機嫌を損なう事などあるまい。構わぬ申せ。」
ラヴィアロスの完璧とも言える仕事やヴェルドレの誕生が上手く行った事でベルゼブブの表情から怒りは既に掻き消えていた。これならば大丈夫かと思い込みラヴィアロスは禁句を口にした。
「では、ご報告いたします。隣国のアクゼリュス王国のアスモ――」
「あ゛ぁ!?――貴様死にたいのか?」
アスモデウスの名が出た途端にベルゼブブの表情が一変し声を荒げてラヴィアロスを睨みつける。
「報告が完了するまでお待ちください。この話は陛下に必ずご報告する必要があると思われます。その後であればどのようなご裁可もお受けします。」
「…良かろう。だが、その名を出しておいて下らぬ内容であったならば如何に貴様とは言え、死は免れぬと思っておけよ。」
更に低く怒りの籠った声で念を押すようにラヴィアロスに忠告した。その体からはすでに禍々しくどす黒い闘気が湧き上がっている。
「…承知いたしました。――では報告を続けます。隣国のアスモデウス公が約1月前から消息不明となったそうです。」
そしてラヴィアロスの口からベルゼブブだけでは無くゾディアック連合を震撼させる衝撃の言葉が告げられた。
「何ぃっ!?アスモデウスが消息不明だとぉ!………いや、奴の職能を使えば誰にも感知される事無く動く事など可能であろう。それに奴が国を開ける事など昔から多々ある事では無いか。――そんなつまらぬ事が必ず伝えるべき事なのか?」
「いいえ、只、消息を絶ったのでは無く魔界から消息を絶ったのです。詳細は確実には掴めてはおりませぬが信頼出来る情報筋から入手しました。どうやらアスモデウス公は人間界に召喚されたとの事です。」
「人間界だと!?しかも人間界に居る者が奴を召喚したというのか?馬鹿な、有り得ぬ…その様な強者が人間界に居るなど余は聞いておらぬぞ!貴様、余を謀っておるのではあるまいな!」
ベルゼブブは驚愕しながらもその有り得ない報告を疑問視していた。
「私が陛下に虚言を申し上げる事など致しません。手に入れた情報ではアスモデウス公の居城である万魔殿メディア宮の玉座の間に魔法陣が突如展開されて消えたそうです。そしてその後、東のダマヴァド山脈に巨大な魔方陣が展開され今度は竜王アジ・ダハーカが魔方陣に飲み込まれ人間界に消えて行ったそうです。こちらはダマヴァド山脈周辺に住む者達の殆どが目撃しております。」
この情報をいまだに信じる事が出来ないベルゼブブから叱責を受けながらもラヴィアロスは手に入れた有力な情報を続けて主に報告する。
「アジ・ダハーカ…確か奴の従僕であったな。あの巨大な竜王が召喚されたのであれば目撃者は多いだろうが…しかし…」
「その数十分後には竜王アジ・ダハーカのみが魔界に戻ったそうです。その際にアスモデウス公も戻って来たと報告はありません。仮に戻って来たとしても竜王ですら巨大な魔力を放つ魔方陣が展開されるのです。魔神王の帰還する際の魔方陣が発生すればその魔力に気付く者が必ず居る筈です。しかしそれも報告されてはいません。」
「…その情報、確かなのであろうな?」
竜王アジ・ダハーカの話を聞いて少しは信憑性が増した様子のベルゼブブは神妙な顔をして何かを思案している。
「話の信憑性からすればほぼ間違いないかと…但し、陛下のご許可を頂けない限りはこれ以上勝手に動く事は出来ない為、詳細な情報までは…」
「ふむ………良かろう。情報を得る為ならば金はいくら使っても良い。その件はお前に任せよう。――しかし、奴を召喚出来る者が人間界に居るとは……まさかっ!?奴はアレの事に気付いたのではあるまいな?いかん、いかん、いかん!…アレが奴の手に渡れば…余は、余の宿願が…」
アスモデウスの情報収拾について指示を出したベルゼブブはその後、悪い方向へと思考を巡らせ取り乱してしまう。やはりアスモデウスの事になると冷静さを失う節が見受けられるようだ。
「陛下、落ち着いて下さい。陛下以外でアレの事を知るのはヴェルドレを除いた我ら六蟲将のみ。陛下の分身とも言える我らが陛下を裏切る事などありえませぬ。それに情報を齎した者も既に始末済みです。仮にアスモデウス公にばれていたとしたら公の職能の力を発揮すれば我らよりも早く地獄門を開く事が出来たでしょう。それが無かったという事は公はアレの事を知らぬ筈です。それに公は人間界に自ら出向いたのではなく「召喚された」のです。ご安心下さい。―――しかし私が気になるのは今回の地獄門で起きた不慮の事故の事です。」
ラヴィアロスは狼狽えるベルゼブブの側に寄り添い話しかけ、主の気を落ち着かせようと試みる。
「むう…確かに奴が本気を出せば己は無理でも悪魔王くらいは送り込めるやもしれんな……で、今回の地獄門の件で気になる事とは何だ?ラヴィアロスよ。」
ラヴィアロスの言葉に諭され少し冷静さを取り戻したベルゼブブが息を吐く。そして最後の気になる言葉についての質問をした。
「はい陛下、今回の第9地区での事故についてですが、私の見解としてはアスモデウス公が関与しているのではないかと思われます。」
「奴が関与しているだと?何を馬鹿な事を…まあ良い、続けてみよ。」
その発言にベルゼブブは訝しげな表情を浮かべてラヴィアロスを見た。だが、少し気になるところもあったらしく発言を続けるように促した。
「では所見ですが述べさせていただきます。私が公を疑う理由として第一に悪魔如きが偉大なる陛下に反旗を翻す事など有り得ないという点です。そして第二に悪魔の妄言を止めようとした者達の「消音結界」が発動しなかった事、更には悪魔王であるアンドラスの呪縛魔法を悪魔如きが解除する事など不可能です。しかし、公が関与したというのであるならばこの全てに納得がいきます。」
「成程な……流石はラヴィアロスと言いたいが、それは無理な話だ。第一に地獄門を閉じる事など奴にとっては造作も無い事だ。我らに知られる事すら無く、人間界側から地獄門に魔力を送るだけで1秒もかからずに閉じる事が出来よう。第二に人間界側からなら兎も角、奴の強大な魔力が地獄門を抜けて魔界に届く事は無い。あの門を通れる魔力は精々100を少し超えればいいところよ。レベル1500を軽く超える奴の魔力では不可能だ。そして何よりも奴がその様な下らぬ事をして何の得になるというのだ?奴がそんな他愛の無い事などする筈が無いのだ。」
「そ、それは…」
ベルゼブブから地獄門の構造に対しての指摘を受けて己の誤りに気付き言葉が詰まる。
「もう良い、今回の事故の件についてはこれで終わりとする。ラヴィアロスよ、お前はアスモデウスの件についての調査を進めよ。但し、余が関与しているとは気取られるなよ。――それから事故で消失した第9地区復興の為の人材の選定も任せる。」
「御意。――それから先程のお耳汚し、お赦し下さい。」
初歩的な勘違いに気付かず失態を晒した事に自責の念を抱きながらラヴィアロスはベルゼブブの前に跪き深く頭を下げて赦しを請う。
「構わぬ、誰にでも間違いはあるものだ。但し、奴を侮る事だけは許さぬ、お前達とは次元が違う相手なのだからな。――余は部屋で休む。後の事は任せたぞ。」
失態を免じて最後の指示を出しラヴィアロスに全権を委任した後にベルゼブブは再び分身を使って自室への門を作り漆黒の闇の中へ消えた。
「はっ!以後、肝に銘じます。どうかゆっくりとお休みください。」
「「「ごゆるりとお休み下さい。陛下!」」」
緊張感に包まれたその空間に居る全員が門が消えるまでの間、跪き頭を垂れ主を見送った。
ラヴィアロスの推測に間違いは無かった。寧ろほぼ完璧に近い回答とも言えるだろう。しかしラヴィアロスやベルゼブブ達は知らない…ゾディアック連合序列第3位の「色欲の王」が現在、最弱の魔神として人間界で魔人アスモを名乗り冒険者をしている事を…
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「「「おかえりなさいませ陛下。」」」
豪華なドレスを身に纏った美女達が跪き帰還した主を出迎えた。総勢10名…全員がエクロン王国全土より選別された容姿端麗と知勇兼備を兼ね備えたベルゼブブの寵姫である。その美姫達の容姿に種族や肌の違いはあるが、皆一様に美しく長い赤色の髪なのは偶然の一致なのか…
「…うむ。」
自室のに戻ったベルゼブブはマントを脱ぎ、装備する3つの玉璽外して応接室で待機する寵姫達に預けた。
「――今日は伽の必要は無い。誰であろうと寝室に入る事は許さぬ。」
そう寵姫達へ告げてベルゼブブは寝室へと入って行った。
「「「承知致しました陛下、お休みなさいませ。」」」
預かった装備を大事に抱えながら寵姫達が傅く主に深く頭を下げて見送った――
そして寝室に戻ったベルゼブブは先程受けた報告の事を思い出していた。
アスモデウスが現在、魔界に居ない…しかも人間界に召喚されたとは何の冗談だ?
いや、しかし余の分身である六蟲将が余に対して虚偽を申す事など有り得ぬ。取り敢えず情報が確定するまでは余が直接動かぬ方が良いであろう。
それにしても奴が人間界に居ると聞いた時は我が耳を疑い動転し取り乱してしまったな。まさかアレの存在がばれたのではないかと……確かにラヴィアロスの言う通り奴に情報が洩れていたならばこちらよりも早くアレを手に入れる事が出来る筈だ。癪だが奴の操作系能力は魔界随一と言っても過言では無いからな。現時点ではそこまで危惧する必要は無いかもしれんな…
しかし今回の第9地区の反乱に奴が関与している可能性があるとは…ラヴィアロスめ、あ奴にしては珍しく的外れな事を言ったものだな。まあ、知略に長ける者ならば今回の事件については第三者の可能性を疑うであろうからな。
致し方あるまい、黒山羊が申したあの秘密に関しては六蟲将ですら知らぬ事なのだ…
やはり秘密を知るアスモデウスとサタンが外部に漏らす事など有り得ぬ。ならばこそ秘密を知る可能性がある国内の膿を今度こそ根こそぎ排除せねばならぬ。明日から監視の目を強化せねばならんな。
「アスモデウス…本当に忌々しい奴だ。我が人生最大の汚辱を奴は…」
寝室にある巨大な鏡の前に立ち自分の姿を眺めながらその右掌を憤怒の表情を覆い隠した仮面にあてた。
そう、あれは2万4千年前…
当時、最大、最強の国家と言われたカイーナ大陸の七人の災厄の王の連合国家「ヴェンディダード」に対抗する為にトロメーア大陸で最強と謳われた魔王サタンの呼びかけにより集まった「憤怒」、「傲慢」、「色欲」、「暴食」、「嫉妬」、「怠惰」、「強欲」の「大罪」を所有する七人の魔神王達…まだゾディアック連合と名乗る前の話だ。
盟主は勿論、サタンが務め以降はレベルにより序列を決めるという事になったが、その時に余は異議を唱えた。
序列1,2位のレベル差は余よりも確実に上であったが、3位となるアスモデウスの当時のレベルは1214、そして余のレベルは1208…その差はたったの6であったのだ。
如何にレベルの差で序列を決めるとは言え、納得出来るわけが無い。女如きにこれ以上優位に立たれてたまるかと、そして「色欲」などど言うつまらぬ奴の職能など大した事など無いと高を括って余は奴に決闘を挑んだ。
勿論、勝算はあった。レベル4桁を超える魔神王同士の闘いにおいては例えレベル100以上の差があったとしても職能の相性によっては戦況を覆すことは可能なのだ。そして奴の「色欲」は精神、操作、能力異常の全てを操り無効化する職能。だが、魔神王にはこれら全てに対して耐性があるのだ。更に余の「暴食」の技能による圧倒的物量と攻撃力を持ってすれば簡単に奴を斃す事など可能だと思っていた。それに事前に得た情報ではサタンには通用しなかったと聞いていた為に戦う前から勝利を確信していた。
だが結果は余の惨敗に終わった。「色欲」の恐るべき力と奴の大罪魔神器「色欲の爪」の前になす術も無く敗北を喫したのだ。
情けなく命乞いをし地に這いつくばる余を蔑むような瞳で見下しながら奴は言い放った「生かしてやる代償に罰を与える」と。そして奴は余の顔と心に一生消えぬ痕……屈辱、汚辱を刻み込んだのだ!!
受けた借りは必ず返す。だからこそあの力が…「魔神殺し」が必要なのだ!!
…しかし人間界に居る奴がそれに気付かぬとも言い切れぬ、その為にも早く地獄門の完成を急がねばならぬな。
ベルゼブブは右の掌で触れていた仮面を取り外すと隠されていた素顔が鏡に映った。
ベルゼブブの素顔…その左半分にはアスモデウスに刻まれた痕がはっきりと残っていたのだ。
魔法を使えば痕を完璧に治す事は出来る。しかしアスモデウスから「勝手に消す事は許さん、消したければ妾に勝ってからにせよ」と釘を刺されている事と復讐を果たす前に痕を消す事をベルゼブブ自身が受け入れられないからでもあった。誇りや矜持と言うよりも只の意地と言うべき感情のみがベルゼブブを突き動かしていたのである。
そしてその願いを叶えるかのように約800年前に吉報がベルゼブブの元へ齎された。
その知らせを齎したのは人間界に召喚され敗北を喫した悪魔王の部下の下位魔神が命辛々地獄門を潜って魔界に帰って来た際に捕縛し、人間界の事を聞き出す為の尋問の末に偶々手に入った情報であった。
人間界にやって来る、若しくは召喚された魔王(人間界では悪魔王)はその圧倒的な力により人々を蹂躙し恐怖で支配しようと企むが殆どの魔王が闘神の手により討滅されて来た。過去一度だけ闘神を退け世界全土を恐怖の底に陥れた最強と言われし魔王も竜神の前に敗れ去った。だが極稀に特殊な力を使う人間の手により魔王や魔神が斃される事がある。
その力…いやその職能の名は「勇者」――別名「魔神殺し」とも呼ばれその異名の通り魔神に対して絶大な効果を発揮する。「勇者」の技能の前では魔神の能力の全てが弱体化されてしまうと言う恐るべき力を持つ。それこそがベルゼブブの目的でありアスモデウスを殺すという宿願を叶える為に絶対に必要な鍵であった。
人々に勇者と呼ばれるその職能を持つ人間は数百年単位だが定期的にその力に目覚める。そして3年前に新しい勇者の力が目覚めた事がベルゼブブに報告されたのである。
力に目覚めた勇者を攫い、対アスモデウスの切り札とする為に大掛かりな術式を行い悪魔王が通り抜ける事が可能な地獄門を開く事が真の理由だったのだ。
「……この痕が消えぬ限り貴様への復讐の炎が消える事は無い。――必ず「魔神殺し」を手中に収め貴様を絶望の淵に叩き落とし、あの時の余と同じ目に逢わせてから嬲り殺しにしててくれるわ!!」
決して忘れる事など出来ぬ心に刻まれた辛酸と屈辱の記憶…そして顔の左側に刻まれし痕を左掌でなぞりながら右掌に持った黄金の仮面を握り潰した。
アスモデウスに対するベルゼブブの心の中の復讐の炎は更に激しく燃え盛り地獄の業火と化した――




