第二話【ステージ2】
「な、何だこれ……?!」
「誰かが誤接続を——」
不自然に途切れた声。
この時、誰もが同じ異変に気付き始めていた。
解析局のモニター群。
会場へ繋がる中継スクリーン。
その一枚へ、全員の視線が縫い止められている。
低画質。ノイズ混じり。
照明すらまともに入っていない、古いローカルリンク。
本来、《NEXUS》のメインシステムへ混ざるはずのない映像。
なのに誰一人、停止命令を出さない。
いや——出せない。
空気が変わっていた。
それは同時に、さっきまで天城ルイが支配していた会場の熱すら、静かに塗り潰されていく。
その混乱の中。
皇統牙だけは動かなかった。
頬杖をついたまま、ただモニターを見ている。その視線だけが、さっきまでとは違う温度を帯びていた。
画面中央。
そこに、一人の少年が立っていた。
薄暗い照明の中で、褐色の肌だけが異様に浮かび上がって見える。
次の瞬間。
シャリ――ッ。と、ブレードが氷を裂く。
低画質の映像なのに、その音だけが異様に生々しい。ざわついていた解析局が、少しずつ静まっていく。
「……コレ、本当に昔の大会映像か?」
掠れた声。返事はない。
ただ、映像の中の少年が静かに滑り始める。
深いアウトエッジ。
重心移動が異様に滑らかだった。加速している。だが、蹴っているように見えない。
「は?」
スタッフの一人が、小さく眉を寄せる。
普通なら、あの速度域へ入るにはもっと氷を使う。だが少年は、最低限の動きだけでリンクを伸ばす。
無駄が、異様に少ない。
「エッジワークか……?」
誰かが呟く。
次の瞬間。
少年の身体が沈み込んだ。
短い助走。
——タンッ。鋭い踏切音。
「……違う。あれは——」
空中へ放り出された身体を見た瞬間、誰かの声が裏返った。
「アクセルっ!?」
反射的に声が飛ぶ。
前向き踏切。
カウンター気味の入り。だが解析局を走ったのは、回転数への驚きではなかった。
「……細い」誰かが呟く。
軸が、異常なほど細い。
それなのに、空中でほとんど揺れない。
「おい待て、あの高さで——」
言葉が終わる前に、回転が終わる。
そして。
——トン。静かすぎる着氷。
氷を削る音すら小さい。
少年は速度を殺すことなく、そのままリンクを流れていく。
「……今の、4回転だよな?」
「え、あ、うん。いや……でも……」
誰も断言できない。低画質のせいではない。
ただ、理解が追いついていなかった。
高難度ジャンプ特有の無理な力みがない。身体を捻る気配もない。
ただ自然に跳び、自然に回り、自然に降りた。その違和感だけが、静かに解析局を支配していた。
そして、その沈黙を無視するように、モニター端の感情解析ウィンドウが、自動更新を始める。
GAZE FIXATION
上昇。
BREATH STOP TIME
計測継続。
UNCONSCIOUS FORWARD LEAN
平均値超過。
「……おいおい。まだ、演技始まったばっかだぞ?」
誰かが乾いた声を漏らす。
構成そのものは派手じゃない。
天城ルイのような完成された演出力もない。なのに視線だけが切れなかった。
「……このレベルで、まだジュニアなのかよ」
誰かの声が、半ば呆れに近い震えを含む。するとその言葉に反応する様に、すぐ別のスタッフが端末を叩く。
「取り敢えず、登録情報出せ……!年齢、所属、過去大会も、全部だ!」
キーボードの音だけが、やけに大きく響く。
だが画面は、すぐに沈黙した。
《DATA NOT FOUND》
「……は?」
一拍遅れて、室内の空気が揺れる。
もう一度、試す。
《ACCESS DENIED》
「アクセス経路は特定出来ないのか?」
「駄目です、認証コードが存在しません!」
「おいおい、マジかよ…」
端末を叩く音だけが、焦りを帯びて増えていく。
誰も映像の正体に辿り着けない。情報だけが、空白のまま弾かれ続ける。
その最中だった。
画面の中の少年が、ふいに動きを止める。
「え……止まった?」
誰かが呟く。次の瞬間。
少年が、ゆっくりと顔を上げた。
小さなノイズが走る映像の向こうで、少年の視線だけが異様にクリアだった。
まっすぐ——“こちら側”を射抜く双眸。
その瞬間。解析局の誰かが、反射的に息を呑む。
ただの記録映像のはずだ。
それなのに、一瞬だけ確かに『見られた』と錯覚した。
一気に空気が変わる、その沈黙の中で、皇統牙が低く言った。
「……見つけたな」
その一言だった。
室内がざわつくより早く、一人のスタッフが画面へ身を乗り出す。
「……待て。この顔、どこかで──」言いかけた瞬間。
別のスタッフが、端末へ表示された検索結果を見て息を止める。
「……出た」
「何がだ?」
「登録情報です」
モニターへ新たなウィンドウが開く。
表示された名前を見た瞬間、数人のスタッフが顔を見合わせた。
その中で。皇統牙だけが、静かに口角を上げる。




