4話『悪目立ちはダメ』
高校生になったら息をしているだけでも恋人は出来るもの、中学生の初々しい俺はそう信じて疑わなかったわけだ。何もしなくても類は友を呼んで、友達が出来ると、そう思っていた。そして始業式から早いこと二週間が過ぎていた。すでに通常授業が静かに始まっていた。
そういう訳だがどういう訳だか、友達は三月だけ、恋人? 何それ。
ただ思春期の盛りのついた男子高生は噂をする。
「なぁ、あいつらって付き合ってんのかな」「さぁ、俺はあいつと一度も話したことねぇ、というか名前すら忘れたわ、しゅうなんとか」「お前ちょっと話して来いよ」「やに決まってんじゃん! お前が行ってこいよおら」「さわんなよ気持ち悪い」げらげらと、男子高生はある意味乙女だとさえ思う。俺は心の中で、きこえてんだよ、とこぼす。
俺はうすうす気づいている。三月は可愛い、その儚さがまた男の庇護欲を抱かせてしまう。だから、友達なのか恋人かもわからない俺という存在がお盛んな時期の男子には障害だった。
俺は思う、どうせ噂されるなら男子の間、ではなくて女子の間で噂されたい、と。そうしたら必然的に異性が俺と会話をしに――その願いは思いのほか早く届き、三月以外の異性と話す機会を得た。お手洗いから戻ってきて廊下で、ひとりの少女に言われる。その少女は時々三月と話しているのを見るのだが、これまたちゃんと食べているのか心配になるスタイルで、鋭い瞳が俺を見上げて「次の休み時間、ちょっと面貸しなさいよ」という、これはアレだ、告白だと悟る。
そして休み時間。うきうきと足取り軽く六階の自販機前。仁王立ちで待っていた形相から俺はどんな会話が広がるのか考えていた。
「――聞いてんのっ? あんた三月と付き合ってんの?」
「ごめん、訊いてなかった。もう一度言ってくれない?」
「だーかーらー! あんた三月とどういう関係なのよ! いつもいっつも付きまとって、さてはストーカー!」
「ごめん、言ってる意味がよくわかんないんだけど。三月とは清いお付き合いを――ッ」
ゴツンと脛が抉れる。その小さな足は石かと疑った。憤慨している様子を見て俺は慌てて言い直す。
「冗談だって、ただの友達だ! それ以上の関係じゃない!」
あー痛い痛い、と脛をさすさすと撫でる。
「と、友達……ありえない! こんな顔して! キモいのが! 三月の友達な訳ない!」
少女は絶望したり、スライムみたいな顔をしたり、鬼みたいになったり大変そうだ。
「随分とひでぇな……」
「とにかくっ何が何でも! 三月の傍にいることを、私が認めない!」
「理不尽すぎる……って、俺隣の席だし! というか何様なんだよ! いつの間に三月のファンクラブは開設されたのか! 俺も入れろ!」
「ごめん、マジで……キモ」
少女は戦意喪失したように、自分の体を抱いて震えた。
「……そこまでひかなくてもいいだろ、で、何様なの?」
「名を聞くより先に自分から名乗れば? はい、どうぞー」
「……俺は狛江修哉。ほら、言ったぞ」
「私は莉緒、私は三月の幼なじみ……今は引っ越したせいで二駅くらい離れちゃったけど。とにかく! 三月に男の友達なんて親友の私が認めない! だから、三月と友達になりたいなら私を納得させてからにしなさい!」
どこの中ボスだよ、仁王立ちで今にも勝負が始まりそうだ。生憎俺は初期装備、ようするに負けゲー。俺より頭二つ分ほど低い莉緒はやけに殺意に満ちている。適当にごまかして逃げよう。
「最初からそう言えよ……で、納得って? 何すれば納得すんの?」
「――え、そ、それは……まだ、考えてない……けど――」
「なんだよ、考え無しか……なら帰るからな、次呼ぶときは要件を先に伝えてくれ」
「ちょっと! 話はまだ!」
振り向かず、軽く手を振り、階段を三段飛ばしで駆け下り、逃げることに成功。
莉緒は見た目通り生意気な性格で、やたら自信家で、けれど弱いところを突かれると一気に攻防逆転、そんな少女の対処法は何となくわかった気がする。
俺は教室に帰るなり三月とお話。
「莉緒だっけ? 俺ってもしかして何か酷いことした?」
「え、なんで? 莉緒と修哉くんって仲良かったっけ?」
「いや、むしろ逆――」
チクるみたいで好まないがとりあえず一件の事を話した。
「あー、もしかしたら……入学式の時のことなんだけどね、私莉緒と行く約束してたんだけど、そのこと忘れて修哉くんと登校してたの見られてたのかもねー」
と、特に何気もなく三月はそういう。要するに莉緒のやきもちで八つ当たり。
「あ、でも、莉緒悪い子じゃ無いから嫌いにならないであげて、莉緒って昔からああいう性格してるから中々友達出来ないの」
「へー、ま、アレじゃ友達なんて出来そうに無いよなぁ、仕方ない、俺が友達になってやるとするか」
「ほんと?」
「もちろん、争いは嫌いだから」
「良かったね莉緒、友達出来て」
「リオ?」
俺は静かに三月の視線を伝い、振り向くとそこにはふくれ面の莉緒が。
明るいところでその顔をしっかり見ると意外と可愛い。鼻もまっすぐで唇の形も色も良く、うっすらと化粧が施されているがやはりその顔はまだ幼い、けれど似つかわしくない凜とした強い目に宿る殺意の矛先を俺の喉に突きつけた。
「サイッテェ! 卑怯じゃないチクるなんて! それに、何が友達だ! 絶交だ!」
そう咆哮して四限の予鈴と共に消えていった。忙しない少女だ。
「なんで怒るの……」
「ちょっと口調とか荒いけど随分丸くなったんだよ? それに可愛いでしょ?」
「……顔については否定しない」
それから授業が終わり、一時間の昼休み。俺と三月は弁当持参では無く、別棟の食堂へ向かった。
本日三度目の出会いは食堂につながる二階渡り廊下での事。もはや運命すら感じてきた頃だ。
「あ! 修哉、また三月と――」
「ここは共用廊下だ、うるさくすると先生に叱られるぞ……莉緒――」
「――気安く私の名前を呼ぶな!」
そう叫んだ莉緒の拳は今にも俺の顔面を抉ろうとするのに先生は――ぼやっとしながら素通り。これぞ教員の鏡、これぞ『面倒ごとは避けたい』という人間の鏡だ。この人間味のある高校の校則は緩く、生徒もどこか緩く、先生はもっと緩い、という、そのくせして偏差値は平均より少し高い。そんなやや自由過ぎる校風故倍率は高い。
俺は両手で飛んできた小さいくせに凶暴な拳を掴んで止める。
こんなのでも女子なのだ。その手首は華奢でとても温かい。力を入れすぎると簡単にへし折れそうだ。女の子の身体は繊細で、どう扱うのが正解か説明書がほしくなるなぁ。
「こら、莉緒。あまり修哉を困らせないの、こう見えても無害なんだから」
「こう見えても、って。俺どんな風に見られてたの?」
眼つきも悪く無くて、精悍な顔立ちでもなく、割と童顔で、ただ背は一七三と女子からすると少し高いかもしれないが平均的だ。
下心が無いといえば男としてどうかと思うし、三月や莉緒に魅力がない、という風に思われるかもしれないし。――実を言うと思春期の男としての性欲はある……。
「そんなことわかんないじゃない男は獣だって能ある鷹は爪を隠すの、さ、そんな危ない男なんてほっといていこ――」
そう三月の袖を引いた莉緒はたまたま通りかかった男子生徒、しかも三年にぶつかった。
学年を分ける色がある。一年は緑、二年は青、三年は赤。
彼らの靴のゴム部分の色は赤。
「いってぇ。おめぇら一年か?」
「は、はい」
「一年生は三年生に場所を譲るって、教わらなかった?」
グイっと、踏み込むガタイの良いセンパイ、きっと柔道部とかの生徒だ。圧倒的な力差を前に莉緒は叫ばずちょっと怯えている。そしてなぜか俺を見る。その顔は「早く助けろ、修哉が囮になりなさいよ!」と訴えるようで、思わず裏声で復唱。
「す、すんませんでした!」
俺は三月と莉緒の腕を掴んで戦略的撤退。これは負けじゃ無い、勝つための撤退だ。
この校舎は六階建て、内6・3・1階に自販機が設置されている。
飲み物の自販機が二つ、軽食の自販機が一つ。
俺はそんな自販機の前で選ぶ二人を、少し低い、膝目線に見ていた。見えそうで見えない揺れるスカートの中。ちらっとだけでいいから……と投げやりに考えていた。
「どっかの誰かさんが情けなくて、私たちまでこんなものを食べる羽目に……はぁ」
そう言うのは元凶である莉緒だった。女子を殴る男はこの世から滅すれば良いと思うが……危うく俺が滅されるところだった。安堵の息を吐きながら俺は綺麗な膝裏を眺める。
「お前、男子じゃなくてよかったな」
「は? 何それ。意味わかんないそんなこと言ってるから友達居ないんだ。かわいそー」
「お前も友達いねぇじゃん」
「――るっさい!」
どうして憎まれ口を叩くのか、あれか、構ってほしい女子にちょっかいをだす男子の気持ちか。そう考えると怒りがスッと……引くわけ無い。せめてデレがあれば……。
さっきの上級生に気圧され生まれたての子鹿みたいになっていた莉緒を動画に撮っておけば良かったと後悔。
俺は深くため息をついて山になった膝に顔を埋めた。
「元気出しなって修哉くん、コレ、食べる?」
そう差し出されたのはラ〇チパック、一袋に二つ入りで学生価格百円。
「三月……俺たち、友達だよな……?」
「う、うん? ともだち、ね?」
憐憫の眼差しの意図は深く考えず俺は一つ頂いた。ツナはおいしい。




