3話『猫の飼い方と入学式』
それから俺たちはネットで『猫 世話』と調べ、ミカンの身の回りの世話をしていた。
超我儘なお嬢様の付き人の様な気分だった。そんなミカンの世話を、ときどき手伝う、と言っていた三月は今のところ毎日顔を出して健気にわがままお嬢様の尻に敷かれ世話をしてくれた。世話と言ってもトイレ以外の場所でした尿の掃除とか、ご飯あげたりとか、遊び相手とか。要するに七割いや、八割くらい三月が面倒を見てくれている……。頭が上がらない。
日が昇り陽が沈むのはあっという間の事。目まぐるしい日は過ぎ、春休みが終わり、そして晴れて今日から高校生。
春の暖かな日差しを浴びると一緒に、ミカンは窓際に飛んでくる桜の花びらを見つめてはガラスに飛びついていた。やはり野生の本能が色濃く残っている証だろう。
「ほら、帰るぞ――痛ッ!」
指をガブリ、腕をガリ。格闘の末にケージへ押し込む。まったく酷い猫だ。絶対に俺のことを飼い主とみていない。しばらくケージに押し込まれた猛獣を見やって学校に行く準備を始める。
ペットがいるとどうしても抜け毛が出るし、付着する、そんな際限なくブレザーに付着した猫の毛を粘着ローラーで急いで取る。面白いほどに粘着ローラーは黒く染まっていく。
時間が迫り、俺は新品のローファーをつま先に引っかけ歩きながら履き直し、ギシギシの階段を駆け下りた。
「あれ? 修哉くんも、同じ学校だったの?」
――同じ学校?
そんな隣から聞こえてきた言葉に俺は顔を向ける。そこに居たのはピシッと皴の無い灰色の真新しいブレザーと黒と灰のチェック柄のスカートという制服に身を包んだ三月だった。
ふくらはぎを半分ほど包む黒のソックス、スカートの裾から伸びる長く細く陽の光がなぞり眩しい生足、思わず俺の視線はそんなところに行ってしまう。
――いけない、見るのは今じゃない!
俺は己の理性を保ち、スマホの液晶に表示されたデジタル時計を見る。
「もうこんな時間、遅刻したら学校生活終了だな」
「大丈夫だよ、今が七時四十分だから、教室に着くのは遅くても八時四十分です。学校見学の時に時間計ったんです」
そう得意げに三月は言う。そんな顔が年相応に幼く、大体の素直な人間であれば一目ぼれしてしまうかもしれない。けれどそれは今じゃないのだ。
ゴミを捨てた三月と共に駅までの片道十分ちょっとの道をあるいた。坂などは無くて平坦な道が続くのだ。駅までは直線、自転車とかあれば気持ちよく加速できそうだ。
「あ、みて桜だよ!」
「おー、綺麗だな」
と、人様の庭から飛び出た桜の木、ひらひらと温かい風に乗り頭上に降る様子はピンク色の雨みたいだった。三月はよく笑う少女だ。その笑顔を見ているだけで幸せな気分に浸れる気がしてしまうほど、陽気な天気に相応しいと思う。
十分くらいで駅に着き、改札に定期をかざし、電車を待つ。土曜日日曜日の電車しか知らない俺にとっては壮絶なものだった。満員電車。ストレスフルな車内にさっそく愚痴が飛び交う。車内の治安は最悪。電車は一般人が乗るモノではない? そう思いながら俺は三月の体を押しつぶしてしまわない様に、両足を踏ん張り、吊革を強く掴む。世知辛い世の中だ、とか思ってしまうそう言う年頃……。
「俺たち、こんなのに毎日乗るんだな……早速嫌になりそうかも」
「修哉がいなくなったら私、ひとりでこんなのに乗らなきゃいけないんだね……」
「うそうそ、休まないから!」
この電車に女子一人とは……考えただけで恐ろしい……守らないと……。学校名が付いた駅がアナウンスされ、俺たちは硬い人の壁を「すみません、降ります、通して――」と小さくか細く叫びながら破り出た。
同じように電車から降りる複数の生徒は同じ制服で、颯爽と歩く小さい背中を見る。あんな小さな子でも堂々としているのに俺はなんと情けないことか、と思う。
「ごめん、少し飲み物買っていい? ちょっと疲れちゃった」
「あぁ、じゃぁ、俺も買おうかな」
こっちに来た時にチャージしたICカードに余分に残っていたお金でお茶を買う。
ここで奢ったりしたら男らしかったかな、とか、そんな事を考えながら、冷たい水を少し口に含んだ三月はふぅと安息の息を漏らす。ちょっと熱そうに頬を赤らめるのがまた俺の心を刺激する。
すこし前に三月の体は生まれつきあまり丈夫ではないという話を本人から聞いた。中学時代も体育とか、身体を動かす授業や行事は基本的には見学だったという。本人は走ったりしたいらしいが。
「うん、もう大丈夫、早くいかないといよいよ遅刻しちゃう」
「そうだな、でも無理はするなよ?」
「うん、ありがと、でももしそうなったらちょっと手かしてね」
それから商店街のアーケードを抜けて、住宅街と挟まれた校舎が見えてくる。学校が近くなるにつれてきっと新入生とみられる生徒の姿が目立つようになる。
校門に立つのは入学式の看板と、案内役の生徒の姿。そんな看板の前に立つ親子を横目に校門をくぐる。
「三月の両親は来るのか?」
「あ……うーん、どうだろうね」
話は終わりと、三月は「はやくいこ?」と促しすこし歩くペースを速める、昇降口に張り出されたクラスを見て一喜一憂する生徒を横目に俺たちはさっと確認して校舎へ入る。
クラスは同じで、隣の席だった。偶然だけど必然のようにも感じた。そんな不思議な気持ちを込めて階段を上がり、三階へ。
一番手前のクラス。遅刻して長い廊下をダッシュすることはなさそうだ。
「じゃ、開けるぞ」
ごくりと、唾を飲む、そして堂々と戸を横にスライド。
中学より少しだけ広い教室。クラスの人数は三十五人、全八クラス、生徒総数八百を超える。中学とは全くの別物だと身をもって感じる。
クラス内、クラス外ではすでに友達を作ろうと躍起になっている生徒が多く見られる。ぼっちになるまいと必死だ。けれど俺にそんな勇気など無くて、話しかけられるのを待つのがお似合いだ。この小さな社会で主体性の無い人間を友達にしても利益など無くて……要するに俺は友達にしたい人間では無いのだ。
そして完全に戸が開かれた。クラス内はやや埃っぽい学校の香り、やはり大体の生徒は緊張しながら、まるで話しかけられるのを待つかのように席に大人しく座っていた。そんな彼らを横目に、俺たちは決められた席に座った。お隣の三月さん。俺は思わず胸をなでおろした。
「隣でよかったよ……」
そう安堵の息を吐いて、笑顔の三月が言う。
「これからよろしくね、修哉くん」




