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「ひめ……話があるんだけど。このあと、ウチに来て」
薬学棟を出た時にはすっかり夜で、帰りが遅くなることをお母さんに連絡したところだった。
恭太が1人暮らししてるマンションに、私は1度も入ったことがない。
大抵は恭太がうちに来たし、恭太は両親からマンションに私だけでなく友人も入れるな、と言われていたからだ。
男子の友人を入れたら、女子もついて来たがる。恭太の両親は、恭太の容姿から起こるべくトラブルを想定してそのようなルールを決めた。たとえもっさい容姿の時でも、恭太はそれを守っていた。
なのに今、恭太は「来てくれる?」とかの懇願ではなく「来て」と命令形で言った。
話が重大なことだと、それだけでわかる。
「うん…。行ってもいいの?」
私に言えるのはそれだけだ。
「来て」
短く答えた恭太は疲れた笑顔を見せた。
うん、疲れたね。
昼間の学食での騒動から始まり、中山さんとの話し合い、中山さんのお父さんから聞いた話…。
重大な話がこのうちのどれかに関係あるとは思うけど、怒涛の情報量で判別つかない。
手を繋いだままで、二人とも無言のまま帰路についた。
「君が……悪いわけではないと、頭ではわかっているんだ……。だけど、思わずにはいられない……。もし、理圭が、理穂が君と出会ってなかったら……、もっと違う人生になったんじゃ……ないかっ…て……」
絞り出すように言った中山さんのお父さんの言葉が頭から離れない。
そう、恭太のせいじゃない。
彼はそこにただいるだけなのに、周りが勝手に騒いで傷ついてトラブるのだ。
マンションの前までは来たことあったけど、このオートロックの中まで入ったのは初めてだった。
8階建のマンションで、エレベーターで3階に上がる、
なんか、あの時は断れない!と思って勢いで頷いたけど、ここに来て、恭太とはいえ男性の1人暮らしの部屋に上がりこんでいいものか、と、ドキドキしてきた。
鍵を開けてドアを引き、恭太は「どうぞ?」と恭しく手で中へ促した。
入ってみると思ったより整理されてる。
マンションだからちょっと広くて、カウンターキッチンと繋がるリビングと、隣の一部屋を寝室として使っているらしい。リビングには勉強机の代わりに、1人暮らしには大きいダイニングテーブルがあって壁際にくっつけてる。そこで勉強もご飯も食べてるようだ。参考書やら筆記具が乱雑に乗っている。
壁に掛かるテレビがあって、後は本棚と低めのソファーがあるくらいのさっぱりした部屋だった。
キョロキョロ周りを見渡す私を、面白そうにリビングの入口に寄りかかって見ている恭太は私と目が合うと、ふにゃりと笑った。
キレイに頬笑む、とかは親しい人にもたまにやる恭太だけど、この気の緩んだふにゃりとした笑みは私にだけ向けられるものだと知ってる。
「どう?」
「うん、なんか恭太らしい」
「どこが?」
クスクス笑いながらキッチンに向かい、カップを用意してる。どうやらコーヒーを入れてくれるようだ。
「うーん、どこもかしこも恭太ぽくて、恭太の中に入ってるみたい」
「ぶっ……!な、なんつー例えするの!」
顔を赤くしてコーヒー豆をフィルターにセットしてる。
大人しくソファーに座ってみた。近くにあった映画雑誌をパラパラ見る。
そ、そわそわする…。
考えてみれば、10日ぶりの恭太なのだ。
昼からこっち、めくるめく怒涛の展開でそんなことを意識する暇もなかったから、今頃ドキドキしてきた。
「お腹空いてない?ゴメン、なんもなくてさ」
と、言いつつトレイにコーヒーとクッキーを乗せて持ってきてくれた。私のはちゃんとカフェオレになってる。
足のない低いソファーなので、トレイを床に置き、私の向かいの床に恭太は座った。
お互い、沈黙したままコーヒーを飲む。
しばらくすると、恭太がふーっと深いため息をついた。
「姫乃に最後のチャンスをあげる」
真顔になった恭太が私を見る。何の話かわからず、見つめ返す私。
「俺と一緒にいるの、嫌になった?」
意地悪や駆け引きなどどこにもない、真摯な目で問われた。
離れようとはしたけど、嫌になったからじゃない。そう、言おうとしたら、恭太の方が先だった。
「俺といると、否応なしにトラブルに巻き込まれる。今回みたいに人の人生までおかしくする。俺が望んでなくても。」
いつもは横にピッタリと寄り添ってくる恭太が、今日は遠い。
「俺は酷い奴だから、姫乃をトラブルに巻き込んでも、それでも姫乃が欲しかった…。」
呟くように力なく言う。
「いや、言い直す。欲しかった、じゃない。欲しい!」
急に力入った。
黙ってる私に構わず、恭太は思いを言葉にしてくれてる。私みたいに逃げたりしないで、真っ直ぐ伝えてくれる。
「恭太、わたしは……」
「待って、言わせて」
止められた。
「でも、それは俺の思いだから、姫乃に最後のチャンスをあげる」
突然、右手は玄関を指差して、左手は顔を覆って下を向いた。
「姫乃が、俺と一緒にいたくないなら、今すぐ帰って。もう、2度と追いかけたりしない。帰らないなら、今後どんなに姫乃が嫌がっても逃げてももう手放してあげない」
心臓をぎゅっと捕まれたように、痛い。
下を向いたままの恭太を見つめる。
ふと気づけば、玄関を指した指先が震えてる…。
私は、いつもより小さく見える恭太を改めて見つめた。




