24
「あー……、姫乃が足りない……。」
向かいの男は気を悪くした様子もなく、クスクス笑う。
「それ、僕の前で言う?」
5階建の薬学棟の建物には、外側に非常階段があって最上階の踊場は屋上にも繋がらないただの行き止まりだ。使わなくなった椅子や棚が雨晒しになっていて、ほぼ人は来ない。建物内にエレベーターがあるので、そもそも非常階段を使うやつもいない。なので秘密の会談をするにはもってこいだ。
今頃、姫乃はこの建物のどこかで授業中。
本当は俺も講義があったが、こっちのが重要なのですっぽかした。代弁を立てるのもめんどくさいので、後で補習を受ける羽目になるだろう。
「まさか君が持ってたとはね~」
暖人は俺が持ってきた紙袋の中身を確認して言った。
「しかし巧妙すぎるよ。僕はともかくひめちゃんすら気付いてないよ、コレ。そもそもどうやって手に入れたの?」
薬学は個人の荷物をいれて置く用に、1人に1つロッカーがある。そこに畑中からの粘着なラブレターが入っていたのだが、最初の一通を見つけたのは、ただのラッキーだった。
たまたま、俺の荷物に姫乃のプリントが混ざっていた。特別講義の申込書で期限が間際だった。後で渡しても良かったのだが、以前にロッカーの存在を聞いていたのと、あまり入らない薬学棟をちょっと見てみたくて、姫乃のロッカーに入れに行った。
ロッカーを開けずとも、紙一枚だから隙間から差し込もうとしたら、先に詰まってるものを発見したのだった。
「で?そのあとからこまめにロッカーチェックしてたの?」
あきれたように言われたが、うなずいた。
「中に入っちゃったりしてなかったの?」
「開けて取った。」
「開けてって……」
「ロックがナンバーキーで俺の誕生日だったから」
「そっちも犯罪一歩手前でしょ」
完全に白い目で見られたが、あんなものが自分の荷物に紛れてるのを発見したら姫乃は怯えるだろう、と思ったのだ。もちろん、日付ごとにして、あとで証拠として使うつもりで保管した。
「まさか姫乃がアンタに相談してるとは思ってなかったけど、この建物の中のストーキングは俺じゃあ把握しきれなかったから、助かったよ」
先日の姫乃の部屋での発言で、姫乃が暖人にストーカーのことを言っている、と確信した。
俺は畑中を最初からマークしてはいたけど、どのように攻めるか決めかねていたところだったので、いっそのこと協力しないか、と持ちかけたのだ。
姫乃を大事に思っているなら断らないだろう、とふんだのだ。
「まあ、この手紙だけでも証拠として効果あると思うけど…。なんでコレ持って警察とか行かなかったの?」
念のため、とスマホで写真を次々と撮っていく暖人を眺めながら、言った。
「姫乃が、大事になるのを嫌うから。個人的話し合いで済めばいいかなー、って」
「個人的話し合いねぇ…。ひめちゃんが言うには恭太くんに言うと、物理的に叩きのめして社会的に抹殺して再起不能にされてしまうから、って」
「…。否定はしない」
姫乃に害を為すものをのさばらせておく気はない。写真を撮り終わった暖人が、スマホをしまいながら言った。
「さて、じゃあどうする?健康管理センターにも警察にも、本当に行かない?でも、学科の担任か教授か…その辺には伝えておきたいかな」
「わかった。そっちは任す。それで警察沙汰になったら、それはそれで」
手紙の束が入った紙袋と、暖人からもらったストーキングの日時を記録してあるUSBメモリをカバンに入れる。
「そっちは1人で大丈夫?ブチ切れて傷害前科とかつけないでよ?」
綾乃さんから何か聞いたな、という目線を返したら
「数々の武勇伝があるらしいじゃ~ん」
楽しそうに言われた。なんなんだこの人は。
姫乃は女子からのネチネチとした嫌がらせをしょっちゅう受けていたが、俺は男子からの嫉妬を拳で受けていた。
自分の彼女が俺に見とれただの、俺のせいで別れただの、俺の預かり知らぬ所でおきたことで殴りに来るとか理解不能すぎる。
あまりに場数を踏んだら、それなりに自分の身を守れるくらいにはなった。まあ、心配した親に空手道場に通わされたりもしたが、ストリートファイトにおいて正攻法は通じないので、もっぱら体力作りだった。
「出来るだけ、穏便に済ませますのでご安心を」
にっこり笑って言ってやったが、保証はない。
暖人と別れて今後のことを考える。
畑中への対応はもうほぼ決まったが、他にもやらなけらばならないことがある。
暖人は畑中のことを以前から知っていたようで、ガタイはいいがどちらかというと小心者で、こんなことをするような性格ではなかった、という。きっかけはもちろん姫乃だが、畑中を変な方向に煽った奴がいる。
姫乃に対してもずいぶんな態度だったと橘さんから聞いた。
アレをどうにかしないと、おちおち姫乃に迫ってもいられない。
でも、アレをいじると必然的に姫乃の古傷に触れることになる。
雨降って地固まる方式で、多少の痛み分けは必要なのだろうか?
それでも姫乃には過保護になってしまう俺は、なるべくなら姫乃を傷つけずにすむ方法を考える。




