18.温室にて
濃い緑が幾重にも重なって、南国のジャングルを思わせる。
一通り作業が終わり園芸部員を帰らせた後、リーフェは実験農場の一角に設置された大規模な温室に居た。
むっとするような湿気は、これらの植物が育ってきた熱帯地域の密林の環境を再現したものだ。
リーフェはそれぞれの鉢の生育状況を確認していた。部員達は毎日、チェックリストに基づき温室の湿度と室温、室外の気温と湿度、天候……更に各鉢が虫や病気に侵されていないか等について持ち回りで確認する事になっている。―――そのチェック事項と覚書を確認し実際の鉢と見比べて育成方法に問題は無いか、病気に侵されていないか等、時折顧問の立場から確認するのがリーフェの仕事だ。
何か不具合や発見があれば、部員同士で対応を相談したり議論する場を設ける事もある。猶予が無い物の場合は、彼女が直接部員に指示を与えたりもする。
「今日の担当はミーシェクね。さすが、良く見てる」
ふむふむ……と、リーフェは葉を摘まんで表裏を観察する。
学院の高等部に在籍していた当初、ここには小さな薬草の花壇しか無かった。しかし今では花壇とその周辺は―――すっかり大規模な実験農場に変貌している。リーフェの試みにルトヘルが賛同して始めた園芸部は、徐々に部員を増やしその規模を拡大していた。
ルトヘルの卒業後は新たに入学してきたニークを巻き込んで、細々と花壇を拡張した薬草園を維持して来た。ニークは勿論文句たらたらで嫌がっているポーズを見せていたが、その割に義務を放棄する事無くリーフェをサポートしてくれた。
その頃リーフェが講師業と研究の傍ら、各領地で農業指導や出張授業を開始するようになった。すると彼女の画期的な指導方法が注目されるようになり、徐々に領地の農業経営に興味を持つ学生が入部するようになった。研究に関心を持った各地の領主からも支援を受けられるようになり、実験農場も徐々に拡大していった。
このようにリーフェの専門は主に農地経営や農地の改良、植物の育成方法の研究なのだが、王宮から特別に支援を受けてマコチュヴィカの下で行っている研究については公にされていない。
もともと小さな薬草園から端を発した実験農場には、実に様々な薬草が諸国から集められている。リーフェはマコヴィチュカの指導のもと、医療用の薬の研究を行っていた。
マコヴィチュカは学会や会議で諸国を巡っているが、その際必ず現地で薬草や鉱石それらに関する書物を集め、更に医療や治療に関する情報を調べて持ち帰る。それらの情報の整理を一手に引き受け、薬草の育成方法と効能を整理しているのがリーフェだった。
リーフェは王宮の命を受けて極秘裏に、世界中の薬草や薬物の効能を網羅し、統計的に纏めた薬学書の編纂に携わっているのだ。
このため―――リーフェの頭の中には、一般的な農作物の知識以外に様々な薬物や薬草の知識が詰め込まれている。
薬は過ぎれば、毒となる。
リーフェを手に入れるという事は、世界でもまだ類を見ない薬と毒に関する膨大なデータベースを手に入れるという事と同義なのだ。
例え現在友好関係にある同盟国でも、王室秘匿事項にあたる情報をぎっしりと詰め込んだ―――生きた『薬物・毒物辞典』であるリーフェを、国外へ引き渡す訳にはいかなかった。
そして勿論……その理由を公にする事も出来ない。
カルステンが何等かの手段でその事情を察知しリーフェを囲い込もうとしているのか、それともそういった情報に関わりなく、別の理由で縁談を持ちかけようとしているのか……王宮の諜報部の調べでは、未だその真の理由についてまでは掴めていない。
しかしどちらにせよ―――フェリクス国王もマコヴィチュカ学院長も、勿論現宰相であり彼女の父であるアールデルス侯爵もリーフェを手放す気は毛頭、無かった。
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マコヴィチュカはリーフェが入っていった温室を、学院長室から見下ろしたまま訪問者に目も向けずに尋ねた。
「要件は、何でしょうか」
本来なら彼は、国外へ向かう船に乗るため今頃港に到達している所だった。去る貴人から面会を求められ―――急遽このような時間を捻出したのだ。
「わかっていて、聞いているのだろう?―――リーフェの件だ」
アルフォンスは緩やかに編んで肩に下ろした、煌く銀髪に包まれたその秀麗な面差しを苦々しげに歪めて、吐き出す様にそう言った。




