19.アルフォンスの事情
「俺に黙って、リーフェに縁談を持ちかけたな」
「フェリクス陛下も子供の我儘を聞いている場合では、無くなりましたからな。貴方が、以前ルトヘル=デ=クヴァイの申込みを遠ざけた時とは、状況が違うのですよ」
マコヴィチュカは振り返り、何でも無いようにサラリと言ってのけた。
リーフェが成人年齢に達した四年前、彼女に縁談話が持ち上がった。しかし当時十歳のアルフォンスが、それを潰したのだ。その時縁談を申し込んでいたのが―――ルトヘルだった。
そしてリーフェには、その事実は一切伝わっていない。
体調を崩しがちな前国王の代理として、既に大部分の執政の権限を行使していたフェリクスは、臣下として恭順を示すため少年の身で自ら軍に仕官する事を選択したアルフォンスを不憫に思い、唯一の我儘を聞いた。ルトヘルからの縁談の申込みを受けたハルムが、アルフォンスの家庭教師を引き受けているリーフェの処遇について、フェリクスに事前に了承を求めたが―――彼は是と答えなかった。
しかしフェリクスには王室依頼の研究に邁進し、同時にアルフォンスの姉代わりを務めるリーフェの献身に、報いる用意があった。
アルフォンスがリーフェに執着している今、精神的な支えを奪ってしまう事は―――近い将来若くして即位する事が確定しているフェリクスにとって、取り敢えず打てない一手であった。
フェリクスが王位を継ぎ新体制が落ち着いてから、リーフェには王室の後押しで良縁を結んで貰えば良い―――その頃にはアルフォンスも成長し、姉離れできるようになっている筈だった。社交界にデビューし年頃の令嬢達に囲まれれば、自ずと彼女達の魅力に目を奪われ子供っぽい執着は薄れるだろう……フェリクスはそう考えていた。
彼はそう言う自分の心積もりをハルムに伝え、リーフェの父である彼はそれを了承したのであった。
そしてフェリクスはリーフェの師匠であるマコヴィチュカにも、事前に確認を行った。マコヴィチュカにとっても自分の手駒であるリーフェが薬学書の編纂に着手し始めたこの時期に、新夫の些事に関わり研究の時間を削る恐れがある『結婚』が延期される事は好都合だった。
カルステンのシェーラー王子の情報が王室にもたらされた時、アルフォンスはいよいよ妃候補の選定に入る十四歳を迎えようとしており、軍役にもすっかり馴染んでいた。フェリクスの治世も安定し、リーフェは適齢期ぎりぎりの二十歳になった―――約束を叶えるにはちょうど良い時期だとフェリクスは判断したのだ。
リーフェの重要性、稀少性を考えると彼女を十分に守れる相手でなければ、安心して任せる事はできない。護衛としての力量と知力を兼ね備え、尚且つ嫁ぎ先自体も彼女の身辺に配慮でき、有害なものを排除できる地位や実力を持っていなければならない。
そういう訳でフェリクスが彼女の婚姻相手として推薦したのが、クラース=ファン=デーレン大尉だった。彼は公爵家の三男坊で、剣術にも秀でている。政治的にも駆け引きが得意で情報を集める能力に長けており、王室機密に関わる仕事を秘密裡に請け負うほどの実力があった。
ファン=デーレン家は王室の血を陰から支える役割を持つ一族であり、その上クラースの姉は現王妃である。リーフェを王室に囲い込む意味でも、クラースは適任だった。
しかしハルムが提案したのは、リーフェと同い年の従兄ニーク=カルス少尉だった。ズワルトゥ王国に古くから伝わるカルス流武術の始祖の流れを組み、ニークは弱冠二十歳にして流派で五本の指に入る実力を持つに至っていた。カルス家は子爵位に留まっているがその武功から言えば、本来はもっと上の爵位を得ていてもおかしく無い。しかし歴代の当主達はこれまで常にそれを固辞してきた。爵位に振り回されず、流派の意思と自由を守り抜くため必要以上の義務を負わないよう代々受け継がれているカルス家の家訓を守り続けているのだと言う。
カルス家の者は女子供関係なく幼い頃より武術を習得しており、リーフェの存在を守護するという点に置いてはこれ以上の環境は無い。その上ニークとリーフェは幼い頃より気心が知れており、義母となるのはハルムの実姉だ。
世間知らずで変わり者のリーフェに公爵家の嫁としての振る舞いを強いるよりは、見知った環境で伸び伸びと暮らす方が、良い筈だとハルムは考えていた。
言葉と態度に滅多に表す事は無いが―――ハルムも現宰相の責務以前に、親としてリーフェの幸福を願っているのだ。
それぞれの思惑がぶつかり、話が平行線になってしまったので直接リーフェにこの二人のうち、どちらかを選択させるという結論に達した。しかし夜会の後、ルトヘル=デ=クヴァイ少佐から再度、縁談の申込みが舞い込んだのだ。
ルトヘルは仕事を理由に、ひっきりなしにある縁談を遠ざけておりこれまで未婚を貫いていた。彼も身分にしても武人としての実力も、リーフェにとっては元々申し分ない相手だったが、こちらから一度申込みを遠ざけた負い目がある手前、候補に挙がらなかったのだ。
結局マコヴィチュカとも協議した上で、三人の中からリーフェに相手を選ばせる事になった。マコヴィチュカは、研究に不利になるような相手は反対であったが、編纂作業が順調な上、その三人の中にそのような愚行を行う人物はいないと判断した。何より今はカルステンからリーフェを匿う環境を作る事が最優先だった。
「ぼやぼやしていてカルステン王室から直接アールデルス家に打診が来てしまっては、断るのは難しくなりますからな」
「リーフェは俺のものだ―――誰にも渡さん。勿論、カルステンのシェーラーにも」
アルフォンスは強い視線を、マコヴィチュカに投げた。
その声音は、生来より染みついた威厳に満ちている。
「陛下と宰相には、根回し済みだ。俺は名乗りを上げる許可をいただいた。後は―――マコヴィチュカ、貴方に了承を貰えば……リーフェに求婚できる」
マコヴィチュカは、面白そうに眉を上げた。といっても眉以外はいつもの無表情を維持していたが。
「……私の条件はお分かりでしょう?」
「承知している。リーフェが応えてくれるなら、俺は王宮を辞しても構わない。彼女がマコヴィチュカの元で行う研究に邪魔になるような事は、一切させるつもりは無い」
マコヴィチュカ卿はニタリと嗤った。
その瞬間、彼の金茶色の虹彩が猫のように細くなる。アルフォンスの背に一瞬戦慄が走ったが、何とか畏れを表に表さないよう堪えた。彼は今、『敵』に一滴たりとも侮られる訳にはいかないのだ。
「よろしいでしょう―――彼女が殿下を選択した場合、こちらも邪魔立てはいたしません」
アルフォンスは心の中で、ホっと安堵の息を吐いた。彼の中ではリーフェに対する『情』に振り回されないマコヴィチュカが―――一番の難関だったのだ。
その心の隙を見越したように、マコヴィチュカは不意に一言放った。
「陛下にどのような取引を持ち掛けたのですか?」
「……!」
アルフォンスの返答は無かったが、それはある種の肯定を示唆していた。
無言で視線を外す彼を一瞥した後、マコヴィチュカは扉へ向かった。
扉を開き目でアルフォンスに退出を促す。その顔に一切、感情の様なモノは浮かんでいない。
「どうぞ」
「……マコヴィチュカ」
「すぐにここを立ちます。私は暫く王国には戻りません。リーフェが手元に残れば私としては相手はどうでも良い。結果報告は不要です。―――では、ご武運を」
慇懃に頭を下げるマコヴィチュカの台詞に、アルフォンスはギクリとした。
身内に潜む弱気を見透かされたかと思ったが、頭を振って振り払う。
アルフォンスに対して家族に対するような親愛の情しか示していないリーフェを、果たして説得できるのか。その最難関の砦を攻略する事に対してマコヴィチュカは『武運』を祈ると言っているのだ。
侮られないようこれまで強い姿勢を保っていたが―――最後の関を越えられるのか、正直アルフォンスには自信が無い。
彼女は、自分を結婚相手と認めてくれるだろうか?
弟や息子としてでは無く。
アルフォンスは、今度こそ本当に身を引き締めたのだった。




