17.上司に相談
本来は別々に相談するべきかもしれないが、リーフェが期限内にマコヴィチュカに会えるのは今日だけだった。だから彼女は二人一遍にこれからの事に付いて相談してしまおうと思ったのだ。しかしそれは何とも口に出すのも恥ずかしいもので―――言葉尻が少し弱々しくなってしまう。
「……あの、実は……っこん、する事になりまして」
「何だ?」
「……」
アルフォンスはリーフェの声がハッキリ届かず、身を乗り出した。
マコチュヴィカは静かに動かず続きを待っている。
「―――結婚!する事になりまして!」
「はぁ?!」
アルフォンスが信じられない、と言うように大声を上げた。
リーフェは思った。
きっと彼はリーフェのような引き籠りで嫁ぎ遅れ寸前の女に嫁の貰い手があるなんて、想像していなかったに違いない、と。
「えっと、信じられないでしょうが……私も未だに夢の中みたいで信じられないのですが……突如、縁談が舞い込みまして……」
マコヴィチュカは眉一つ動かさなかったが、アルフォンスは目を見開いてリーフェを凝視していた。その権幕に……リーフェは少し身を引いてしまう。彼女が引いた分、正面に座るアルフォンスは向かい合わせに座っていたテーブルに手を付いて更に身を乗り出した。
「有り得ない、何故だ」
アルフォンスの首を振る仕草を見て、リーフェは思わず「ひど……」と呟いた。
彼に姉のようにも母のようにも好かれている自覚はあった。その瞳がいつも自分を見るとキラキラと光って嬉しそうに細められる事に、密かな優越感を抱いていた。
しかし『それはそれ、これはこれ』と言うことか。
家族愛のような物はあっても、女性としての評価に色眼鏡は使わない……と言う事だろうか。リーフェが見込んでいるアルフォンスは情には流されず、冷静に客観的な判断ができるように成長しているらしい……そう彼女は了解して肩を落とした。
嬉しい様な寂しい様な複雑な気持ちに陥ってしまう。
リーフェの不安げな表情に気が付いたアルフォンスは、乗り出した身を一度収めて椅子に座りなおした。しかし苛立ちを隠しきれず固い声で問う。
「一体どういう事だ。宰相は了解しないだろう」
アルフォンスの苛立ちの理由に気が付かないリーフェは、戸惑いながらも少し小さな声で答えた。
「いえ、父も乗り気で……。半月後までに返事をする事になっているのです」
「……何だと……」
アルフォンスの声が低くなる。
彼女の目の前で彼は滅多に苛立つ事は無かった。珍しいその反応を目の当たりにして、リーフェはその理由をこう考えた。察しの良い彼の事だ―――彼女が家庭教師を辞めなければならないという可能性を先読みした為、機嫌を損ねたのだろうと。
「あ、でも、お仕事を続けても構わないって言ってくれる方もいまして……」
「駄目です」
それまで無言、無表情を貫いていた、マコヴィチュカが眉を上げた。
「学院の仕事を辞すことは許しません」
尊敬する学院長の厳しい口調に、リーフェは慌てて否定した。
「いえ、辞めろと言われているのは家庭教師の方だけで……」
正確には、ルトヘルには何も確認していないのだが。マコチュヴィカがそう言う以上彼がもし学院を辞すよう提案したらルトヘルとは結婚できなさそうだ、とリーフェは内心考えた。選択肢が減って悩み事が一つ減るのは良いことかもしれないとも。
「学院の仕事が続けられるなら、私に異論はありません」
自分の不利益にならないと知って、マコヴィチュカは直ぐに無関心な様子に戻った。
どうやら彼はリーフェの今の悩み―――誰を伴侶として選択すれば良いのか―――という課題には、興味は無いようだ。
(誰を選んだら良いかって言う相談を向けても……やはりマコヴィチュカ学院長も、アレフ様もお困りなるわよね)
であれば、家庭教師の辞職の時期について相談すれば今日の要件は終いだろう。
ニークは今まで通り暮らして良いと言ってくれたが、確かにクラースの言う事も一理ある。
アルフォンスは成人前とはいえ、もう立派な青年になりつつある。学業の面で新しい課題を見つけて議論する所まで実力が付いているのだから、本来自分のような家庭教師が二日に一度の頻度で通う必要は無いのだろう。
彼はもう軍に仕官した立派な軍人でもあるし、相応の大人として扱われるべきなのだ。もう親代わり、姉代わりの話し相手という役割も不要な筈だ。
アルフォンスの花嫁探しもスタートした。六つも年上の、今にも婚期を逃そうとしている自分が障害と考えられる事は万が一でも無いと思うが……クラースの言う通り、未婚の女性と王宮で長い時間過ごしていると聞けば―――それを不快と感じる者もいるかもしれない。
彼はやはり世事と言うものをよく知っている、とリーフェは改めて思った。
弟とも息子とも思える大事なアルフォンスと離れるのは、リーフェにはやはりつらいことだ。
けれどもいずれこんな日が来るのは、最初から覚悟していた。
相手は、この国の王族なのだから。
「……相手はルトヘルだけでは無いのか?」
地を這うような声で、アルフォンスは俯いたまま尋ねた。
リーフェは何故アルフォンスが縁談相手の一人がルトヘルだと知っているのか、疑問に思ったがひょっとすると彼から事前に聞き及んでいたかもしれない、と思い至った。
「ルトヘル=デ=クヴァイ少佐、クラース=ファン=デーレン大尉、ニーク=カルス少尉の三人です」
「クラースまで?カルスは……鷹の軍のカルスか?お前の従兄の?」
「はい」
「……」
アルフォンスが考え込むような仕草で口を噤んだ。
「私も、驚きました。ルトヘル様とクラース様の申込みも驚いたのですが、従兄から申し出があるとは全く考えていませんでしたので」
「……」
「父からは月の終わりまでに相手を選ぶよう指示を受けておりまして。おそらく暫く婚約期間をおいて結婚、という運びになると思うのですが―――お相手によっては家庭教師のお仕事を続けられないかもしれないのです。その場合はもし後継をお考えなら引継や……辞職の時期をご相談させていただく事になります」
リーフェは言うべき事を言いきって、ホっと息を吐いた。慣れない事を告白するのはなかなかに骨が折れるし―――何より自分の縁談の話など初めてするのだ、妙に気恥ずかしくなってしまう。彼女は正面のアルフォンスの目を見続ける事が辛くなってきたので、机の上の彼の手に目を落とした。すると、強く握りしめられた拳が目に入る。
「リーフェ」
彼女を呼ぶアルフォンスの声はまるで何かを堪えているように、低く、微かに震えていた。彼もリーフェから視線を外し、微かに俯くようにテーブルを見ている。
「はい」
「君は、誰を選ぶんだ」
「それが、まだ何とも……。あ、『家庭教師を辞めろ』とはっきり言っているのは、クラース様だけです。」
「クラースが……」
「クラース様からご指摘を受けたのですけれど、アレフ様もお年頃ですしいつまでも私が家庭教師を務めるのは、望ましくないですよね」
「『年頃』とは何の事だ」
「その……アレフ様ももう一人前の男性におなりですし、この間の夜会からお妃探しが始まってしまったので女性の家庭教師は不要かと」
「俺はまだ成人に達していない。それに妃探しなどしていない」
アルフォンスはキッパリと断言して顔を上げた。そしてリーフェをまっすぐに見据える。
「お前は、どうなんだ。クラースの意見など、捨ておけ。お前も家庭教師を辞めたいのか?ひょっとしてもう―――俺に会いに来るのは嫌になったのか?」
「そんな……!」
「そう、聞こえる」
射るように薄い灰色の双眸が、リーフェの瞳をがっちりと捉えた。
リーフェ自身はと言えば、家庭教師を辞めたいわけでもアルフォンスが嫌になったわけでも無い。できればずっと、オールドミスになっても彼に傍に近寄れる家庭教師の立場を続けたかった。もう既にそれは日常になっていて終わりが来るなんて考えてもいなかったのだ。
だが彼の誕生祝での立派な立ち居振る舞いを目にし、縁談相手達と接し周囲の変化を振り返る機会を得て―――初めて彼が大人になりいつかはリーフェから巣立って行くのだと言う事実を改めて意識するようになったのだ。
そう思うだけで既にリーフェの胸の内は切なく震え、感傷的になってしまうと言うのに。
「私も辞める事を考えると……正直寂しいです」
「では―――皆、断ってしまえ」
アルフォンスがリーフェの言質をとって力強く放った命令を遮るように、マコチュヴィカはさらにキッパリと言い放った。
「結婚は、必要です」
それまで黙秘を貫いていた彼の声は鋭かった。お互いを見ていた二人の視線が、マコヴィチュカに集まる。しかし彼の表情に感情は一切浮かばない。
「リーフェ。アールデルス侯爵の言う通り、結婚相手は速やかに決定しなければいけません。全員、断るというのはあり得ません。アルフォンス様も雇い主として雇用関係の条件についてのみ、ご検討いただきたい。侯爵家の縁談に横槍は不要、後は彼女と……お相手の成人男性にお任せするべきです」
「マコヴィチュカ―――何を言っている」
「―――陛下もそれをお望みだと思います」
マコヴィチュカはそう言うと、スッとアルフォンスの方に顔を向け彼の険しい視線を受けとめた。特別強い口調で話している訳では無いのに何故か言いしれない圧力を感じて、アルフォンスは眉を顰める。
リーフェは、突然マコヴィチュカが彼女の結婚を強制する発言をした為驚いていた。勿論、ハルムの指示を反故にするなんて、彼女は考えてすらいない。マコヴィチュカが、リーフェが学院の仕事や研究を放り出す事以外に対して、このように強い発言をするとは想像していなかったのだ。
「君をカルステンに渡す訳には、行かない。陛下も憂慮されている事だ。誰か選んで、早く婚約してしまいなさい」
「え?カルステンって……」
「カルステンからも、縁談が来ているのか?!」
戸惑う二人に、マコヴィチュカは頷いた。
「カルステンの第三王子シェーラー殿下が、君に縁談の申込みを検討しているという情報を入手しました。公式な打診があってからでは断るのは難しい。だから君が婚約もしていない未婚女性のままだと、都合が悪い。このため陛下とアールデルス宰相は、君の婚約を急いでいるのです。一応選択肢を与えたのは……宰相と貴女の長年の功績に対する陛下の温情です。条件も相性も、それほど悪くない相手を選んでいる筈です」
リーフェは、呆気にとられていた。
カルステンの第三王子シェーラーと言えば、一時期学院に短期留学生として在籍していた生徒だった。ルトヘルが世話役を務めていたため、生徒会室で何度か会話を交わした記憶がある。ズワルトゥの言語にそれほど明るく無い彼が、ルトヘルの助けを借りながら一生懸命丁寧に話し掛けてくれた事を思い出す。
同盟国のカルステンは通称『傭兵の国』と言われており、主な産業が傭兵の派遣だった。カルステン人は皆、屈強で体が大きい。
王族もご多分に漏れないようで、シェーラーは筋骨隆々とした山のような巨人だった。彼からよく珍しい砂糖菓子などを貰った記憶がある。だからリーフェは、彼が小柄で童顔な自分を―――幼い子供のように思い何くれとなく構ってくれていたのだと考えていたのだが……。彼女はカルステンの言語は日常会話程度しか話せないので、彼とリーフェはあまりスムーズに意思疎通が果たせたとは言えなかった。
だからシェーラーが彼女に縁談を申し込むなんて、リーフェには予想外過ぎた。
ましてやそれを阻止するために、陛下とハルムが暗躍していたとは。結論しか言わず、常に余計な説明を省くハルムを……彼女は少し恨めしく思った。
しかしシェーラーの事を告げられても、今後の判断に影響が出るかと言えば……そんな事は全く考えられないから、ハルムの対処も仕方ないか、と考える。リーフェの中にはマコチュヴィカを離れ、学院の研究やここまで育てた薬草園を捨てて遠いカルステンへ嫁ぐという選択肢は無いのだから。
その時、学習室をノックする音が響いた。
「殿下、お時間です」
アルフォンスの予定はびっしり埋まっている。彼はまだ何か言いた気にリーフェを見たが、彼女が目線で促すとしぶしぶ席を立って出て行ったのだった。




