第5話「淑女の作法で殴ります」
「失礼いたします」
すれ違いざま、私は大剣使いの殿方の手首に、そっと鉄扇の柄を添えさせていただいた。
そして、ワルツの軽やかな回転に合わせて手首のスナップを利かせ、『少しだけ』関節を極めながら体重をかける。
「ぐぎゃあああっ!?」
巨漢の男が、信じられないような悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。
身の丈ほどもある大剣が、ガシャンと重い音を立てて土埃を上げる。
「なっ、なんだ今の動き!?」
「大剣の一撃が、ただの鉄扇に弾かれたぞ!?」
どよめく野次馬たち。
我がレーヴェン家の教えは『常に謙虚であれ、そして誠実であれ』。私は倒れた方に驕るような真似はいたしません。代わりに、深く美しい挨拶を決めて差し上げた。
下半身のバネを極限まで圧縮した、いつでも次弾の回避と攻撃に移れる完璧な構えである。
「ひ、卑怯だぞ、女ぁ!」
次に飛び出してきたのは、分厚い鉄盾を構えた大柄な男と、後方から詠唱を始める魔術師だった。
私はあわてることなく、ドレスの裾をふわりと持ち上げる。
「お戯れを。淑女たるもの、複数の殿方に囲まれる夜会の立ち回りも心得ておりますわ」
盾役の男が、唸り声を上げて突進してくる。
私はカーテシーの姿勢から生み出される体重移動を利用し、男の突進の力をそのまま受け流すように、優雅に身を沈めて回避した。
そのまま、夜会のダンスで習得した足払いのステップをそっと添える。
「うおわっ!?」
見事に体勢を崩した盾役は、勢い余って前のめりに転倒し、ズザァァッと見事な土煙を上げて沈没した。
「くらえっ、火炎球!」
すかさず魔術師が炎を放つ。
しかし、私は開いた鉄扇を顔の前にかざし、優雅な手首の返しだけでその魔力の軌道をパァンと天高く弾き飛ばした。
「嘘だろ!? 魔術を扇子で!?」
「ええ。日差しを避けるのと同じ要領ですわ」
ものの数分。
訓練場の中心には、完全に沈黙し、ピクピクと痙攣する三人の男たちが転がっていた。
私は土埃一つ被っていないドレスの裾を払い、涼やかな微笑みを浮かべる。
「……見事な体捌きだ」
不意に、落ち着いた低い声が響いた。
振り返ると、そこには歴戦の空気を纏う、一人の端正な男性が立っていた。
ギルドの教官であり、元騎士のアルベルト様だ。
彼は倒れた男たちを一瞥し、そして私の目を真っ直ぐに見据えた。
「ただの護身術ではないな。君は……明確な『悪意ある敵』を想定し、確実に制圧するための技術を磨いている」
(あら、鋭い方ですわね)
ロランという名の、不倫予備軍を想定しているとは口が裂けても言えない。
私が優雅に微笑みだけを返していると、地面に倒れていた大剣使いが、ふらふらと立ち上がった。
「……負けた、ぜ」
彼はドスンと片膝をつき、私を見上げて深く頭を下げた。
「みごとな腕だった。すまねえ、見くびってて……姐さん!」
「えっ?」
「姐さん! 俺たちに、その身のこなしを教えてくだせえ!」
屈強な男たちが、次々と「姐さん……!」と私に向かって跪き始める。
そこへ、ギルドの受付嬢と数人の女性冒険者までが目を輝かせて駆け寄ってきた。
「あのっ、私たちにも! 私たちにもその扇子の使い方を教えてください!」
「夜道で不届き者に絡まれた時の関節の極め方をぜひ!」
「まあ……ええ、よろしいですわ。ご希望とあらば、後日お茶の席でも設けましょう」
(……少しだけ、目立ちすぎたかもしれませんわね)
私が苦笑した、その時だった。
群衆をかき分け、別の受付嬢が青ざめた顔で走り込んでくる。
「セ、セシリア・レーヴェン伯爵令嬢……! ギルド宛に、至急のお届け物が……っ!」
彼女が震える手で差し出したのは、蝋封のされた豪奢な封筒。
そこに記された差出人と宛先の名を見て、私は扇子を持つ手に僅かに力を込めた。
『セシリア・レーヴェン伯爵令嬢宛、グラント侯爵家主催・夜会招待状』
(……ついに、来ましたわね)
私の、そしてエレナ様の運命を決める舞台への切符が。
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