天国変
溜まってる歌詞データの中から最近のお気に入りをちょっとノベライズしました。
早くて今年、遅くて来年には曲にしたい。
地下鉄に乗るため、エスカレーターで地下二階に向かう。
地上の光が遠のいていき、無機質な地獄が足元から近づいてくる。場違いなのは、変に優しい白色のLEDだけである。
微かな駆動音と、人気のなさ。そして、ただ視界の左を流れていく広告。変わるのは額縁の中の薄っぺらいインクだけで、まるで無限回廊に放り込まれたような錯覚が、私の心を濡らしていた。
変わり映えがないのは、景色だけではなかった。
隣のレールに乗って降りて行く人が、微動だにせず私と同じ速度で動いてる。
真横にはサラリーマンが鬱げに立っていて、彼の前には腰が少し曲がった老婆、後ろにはリュックを缶バッジでデコった女子高生がいた。
なんと、人でありながらも機械的な進化論なのだろう。私はそう思わざるを得ず、少し重い息を吐き出した。
同時に、地獄がこんな静かなはずがないと、私は違和感を感じざるを得なかった。
天国よりも地獄の方が、亡者は海の如くひしめいていると思っていた。
地獄の門なんて大層なものはない。
見下ろしてくるダンテ達もいない。
だが、ここは間違いなくかつての黄泉の国である。
改札すらまだ通っていない私は、いま最も煉獄から遠い位置にいることだろう。
憂鬱を誘う花崗岩のタイルと、御影石の壁。無人の改札カウンター。どこから臭うか分からない下水のような悪臭。
空虚さは煉獄とさも似たようなものであるが、天井裏を這い回る化け物の動く音が私を現実に繋ぎ止めていた。
この空虚さは、天国に戻らなければ消えることはないだろう。それまで、私の心には常に鬱陶しい諦念と希死念慮が湿気のように纏わりつく。
死後の世界には六文銭が必要と聞いたことがある。残念ながら、現代人がそんなものを持ち合わせている訳もない。ならば、賽の河原に積み上がった石塔を蹴飛ばせば、すぐにでも地獄に叩き落としてくれるだろうか。
そんな不謹慎な妄想で心が軽くなる私なら、きっと地獄に行けるだろう。
そんな私がまだ生きているのは、ホームのガードドアと、頭上のブルーライトが慈愛の如く行く手を阻んでいたからだ。
小説家か作詞家で飯食っていきてぇなぁ〜




