全否定人格障害
音楽と仕事が忙しくてこれが限界
男は、否定することに快感を覚えていた。他人から全肯定されるのと同じくらい、他人を全否定することが幸福だったのだ。
理由がないわけではない。男は、重度の天邪鬼たったのである。人の言ったことや信じたことを打ち砕き、「ざまあみろ」と笑いたいという衝動の虜だった。
最初は、宗教家を標的にした。特に、キリスト教には納得いかない点が多かったのか、彼は単身で教会に行き、懺悔室で神父と押し問答を繰り広げたのである。
宗教家は、神の存在を信じていた。神が世界を創り、生命を創り、古代の人々を導き罰したのだと。
だから男は、神がいるなら言語も神が与えたのかと問うた。その宗教家は口を閉ざした。
次に、音楽家を標的にした。最近売れ始めた新鋭のアーティストだ。男はわざわざ、ネット番組の対談企画に応募したのである。
音楽家は、多くの人々に感動する歌を届けたいと言った。実際、何十万人もの人々の心を動かした事実は揺るがない。
男は、売れる歌を作りたいのか、自分の何かを表現したいのかどっちだと聞いた。音楽家は、本番中に答えを出すことはできなかった。
次に、政治家を標的にした。
政治家は大真面目に「財政は慎重に取り扱わなければならない!」と熱弁している。
男はマイクを受け取り、「減税や免税で収税上がってるデータがあんのに、なぜそれをしないんだ」と、逆に冷ややかな目で政治家を見ていた。
政治家は、そこからは最後までしどろもどろだった。
最後に、鏡に映る自分を標的にした。
「我思う、ゆえに我在り」とデカルトが紐解いた自己をどう否定すればいいのだろうかと悩んでいた。
鏡の中も同じように悩み苦しんでいる。そうだ、言葉はいらない。この苦しむ姿こそが否定の答えだと男は悟った。
多くの人間の怒りも関心も買った男は、睡眠薬による自殺を図った。自分以上に、否定しがいのあるものがなくなったのだ。
彼の自殺を否定してくれる者はいなかった。淡々とした、秋の暮れのことだった。
事務作業におけるチェックって鬼面倒くさくない?




