↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サンシャーラ神話物語 封印されし屍霊  作者: 宝田旗子
第2章 太陽のプーラ
8/27

第7話 腐った聖水

石段を下りるごとに、冷気が濃くなっていく。


ボレスを先頭に、エレナリア、エステルの順で、三人は魔石灯の明かりを頼りに地下へと進んでいた。


壁には白く濁った膜がこびりつき、石段の脇を通る細い水路には、粘ついた水がわずかに残っている。

淀んだ水の臭いは、地上で嗅いだものより、はるかに重い。


先ほどの巨大な水音は、今は止んでいた。


「静かになったな」

ボレスが魔石灯の届かない先を見据える。

「いなくなったとは限らないわ」

エステルは後方へも目を配ったまま答えた。


階段を下り切ると、いくつもの石造りの水槽が並ぶ広い地下区画へ出た。


多くは干上がっているが、いくつかの槽には白濁した水が溜まっている。

地上の聖水盤へ続いていたものと同じ細い水路が、水槽の間を縫って、さらに奥の闇へと延びていた。


「ここで泥や不純物を沈めてから、奥の施設へ送っていたようです」

「その奥に、太陽のプーラがあるかもしれないってことね」

「はい。記録が残っていれば、安置場所も分かると思います」


ボレスは魔石灯を掲げ直し、やれやれと息を吐いた。

「ここまで骨折って、着いてみたら何も残ってませんでした、なんてのは勘弁だぜ」

「……あんたがそういうこと言うと、本当にそうなりそうで嫌なのよ」

エステルがため息をつく。

三人は水路を辿り、奥へと進んだ。


◇


水路の先には、石の扉があった。


だが、取っ手も鍵穴もない。


扉の中央には、太陽をかたどった円形の紋章。

その周囲に、三枚の回転式の石盤が埋め込まれている。


石盤には、それぞれ図柄が彫られていた。

山の端から昇る太陽。

天頂に輝く太陽。

水平線へ沈む太陽。


そして扉の上には、古い祭祀文字が刻まれている。


『日輪は東より生まれ、天の頂に満ち、西の水へと還る。

その歩みを辿る水にのみ、守り手の扉は開かれる』


「三枚の石盤を、夜明けから天頂、夕暮れへ、水が流れるように回すのだと思います」

エレナリアが碑文を読み上げた。


「絵を合わせりゃいいのか?」

ボレスが一枚目の石盤へ手を掛ける。


「待って。下にも溝があるわ」

エステルが石盤の縁を指でなぞった。

「向きを揃えるだけじゃなく、水路もつなげる仕掛けね」


見れば、三枚の石盤には細い溝が走っている。

今は向きがばらばらで、扉の脇にある水受けへつながっていない。


ボレスが石盤に力を込め、回した。


ごり、と重い音がして、隣の石盤まで一緒に動いた。


「一つ動かすと、二つずれるぞ」

「内部の歯車がつながっているんですね……」


エレナリアは碑文と溝ばかりを見ていた。

石盤同士が連動しているとまでは、予想できていなかった。


エステルが石盤の表面へ顔を近づけ、指先で縁を確かめていく。

やがて、中央の石盤の縁の一部だけが、他より深く摩耗していることに気づいた。


押し込むと、内部で小さな金属音がした。


「ここを押さえている間なら、一枚ずつ動かせそうよ」

「では、エステルさんはそこをお願いします。ボレスさんは、私が示した向きへ石盤を回してください」


エレナリアが配置を指示し、エステルが連動を止め、ボレスが重い石盤を回す。


夜明け。

天頂。

夕暮れ。


三枚の溝が、一続きの細い水路になった。


「最後に、水を流します」


エレナリアは杖の先から、ごく細い水流を生み出した。

細い水が、扉脇の水受けへ静かに注がれる。

水は夜明けの太陽から天頂へ、天頂から夕暮れへと溝を巡り、中央の太陽紋章へ流れ込んだ。


内部で水受けが沈み、古い錠が動く。


ごとん。


重い音とともに封印が外れた。

ボレスが石扉へ両手を掛けると、扉は石を擦る音を立てながら、ゆっくりと開いていった。


◇


管理室の内部には、腐り落ちた机や棚が残されていた。

奥の壁の上部には、格子の外れた古い通気口が残っている。


紙の記録はほとんど原形を留めていない。

だが、奥の石棚から、薄い銅板に刻まれた施設図と管理記録が見つかった。


エレナリアが魔石灯の明かりの下、古い祭祀文字を読み解いていく。


「太陽のプーラは、最奥の主聖水槽に安置されていたようです。そこで清められた水を、地上の聖水盤へ送っていたんですね」


エステルが、銅板の端に刻まれた、他より太い一本の線を指した。


「こっちの水路は?」

「緊急排水路です。聖水が汚染された場合に、施設の外へ捨てるためのものだと思います」

「聖水なのに、汚染されるのか?」

「異物や別の魔力が混じれば、性質は変わります」

「それが今の状況かもしれないわね」

エステルが銅板の図面へ視線を落とした。


エレナリアは施設図の上へ指を滑らせた。

排水機構の操作室は、主聖水槽を挟んだ、ちょうど反対側にある。


「ただ……ここから直接は行けません。使うとしたら、あの主聖水槽の外周を、ぐるりと回らなければなりません」

指先が、水槽の縁に沿った細い通路と、途中に描かれた一本の橋をなぞる。

「図面ではこの橋を渡ることになっていますが、今も残っているかどうか……」


「緊急時に、主聖水槽を回り込まなきゃならないのね」

エステルが眉をひそめた。


「はい。ここからすぐに操作できる設備ではないようです。位置だけは覚えておきましょう」


エレナリアは銅板を鞄へ収めた。


◇


管理室を出ようとした、その時だった。


ぴちゃり。


天井を通る古い水路から、白い雫が落ちた。


雫は石床へ落ちても、広がらなかった。

ぶよぶよと盛り上がり、泡を含んだ半透明の塊へと変わっていく。


続いて、水路の亀裂から、濡れた音とともに白い塊が次々と這い出してきた。

拳ほどのものから、人の頭ほどのものまで。

白く濁った身体の内側で、細かな気泡が蠢いている。


その一体が、ボレスの足へまとわりつこうとした。


ボレスは反射的に片手斧を振り下ろし、その身体を両断した。


だが、二つに分かれた塊は、それぞれ形を整え、別々の個体となって動き始めた。


「斬らないでください!」

「先に言ってくれ。二匹になったぞ」

「私も、今分かりました!」


スライムたちの動きは遅い。

だが、水路のあちこちから湧き続け、じわじわと三人の退路を塞ぎ始めていた。


「斬れねえなら、焼くか?」

ボレスが尋ねる。


エレナリアは、すぐには答えなかった。


白濁した身体。内側の気泡。

そして、地上の回廊で調べた粘液と同じ、重く淀んだ臭い。


「……試します。エステルさん、煙が出たら、すぐに奥の通気口へ流してください」

「分かったわ。試すなら、本当に少しだけよ」


エレナリアは床に残った小さな欠片だけを、割れた石皿へ移した。

杖の先に、針先ほどの小さな炎を灯し、そっと当てる。


欠片が灰色に泡立った。

鼻を刺す刺激臭とともに、濁った煙が噴き出す。


エステルの鞭が風を起こし、煙を通気口へと押し流した。

エレナリアもすぐに炎を消す。


「毒気です。まとめて焼けば、私たちまで倒れます」

「斬れば増える。焼けば毒か」

ボレスが顔をしかめた。

「面倒な泥だな」

「泥ではありません」


エレナリアは、蠢く白い塊を見つめた。


「これは、おそらく聖水だったものです。魔力を抱えた水が長いあいだ淀み、腐敗したんです」


◇


スライムの数は、なおも増え続けている。


斬れば増える。

焼けば毒が出る。


ならば――倒す必要はない。


エレナリアは管理室の外へ視線を走らせ、すぐ近くにある干上がった沈殿槽へ目を止めた。

その脇には、外れた重い石蓋が倒れている。


「あの沈殿槽へ閉じ込めます」


杖を握り直し、二人へ向き直る。


「私が土の術で進路を絞ります。エステルさんは風で水槽へ押してください。ボレスさんは、横へ逃げる個体を石板で塞いでください」

「壁役か」

「その大きな体で、しっかり押さえておいてください」

「嬢ちゃん、ずいぶん遠慮がなくなったな」

「斬ったら増えるんだから、四の五の言わずにやりなさい」

エステルがぴしゃりと言った。


エレナリアが杖を振るう。

石床が低く隆起し、スライムたちの進路が、沈殿槽へ向かう一本の通路へと絞られた。


エステルが鞭を振るう。

革紐はスライムへ触れず、その軌道から放たれた風圧だけが、白い塊たちを沈殿槽の方へ押し流していく。


ボレスは倒れていた分厚い石板を両手で構え、大盾のように床へ突き立てた。


列から横へ逸れようとする個体が石板へぶつかり、べちゃりと不快な音を立てる。

だが、丸太のような太い両脚は微動だにしない。

石板の裏に全体重を預け、這い寄る白い濁流を、一歩も後ろへ通さず沈殿槽側へと押し戻していく。


一体のスライムが、エレナリアの作った低い隆起へ身体を乗り上げた。

半透明の身体が細長く伸び、壁を越えようとする。


「おい、そいつ越えてくるぞ!」

エステルの鞭が空を裂いた。

横殴りの風圧が伸び上がったスライムを叩き、水槽の側へ押し戻す。


「壁が低いわ」

「すみません。今、上げます」


エレナリアが術を調整し、石の隆起をもう一段だけ高くした。

やがて、天井の水路から這い出してくる白い塊が途切れ、最後の一体が沈殿槽の底へ落ちた。


「閉めるぞ。二人とも離れろ」


ボレスが沈殿槽の脇に倒れていた重い石蓋を持ち上げ、槽の上へ被せた。


隙間から白い身体が這い出そうとする。

エレナリアはすかさず土の術で隙間を塞ぎ、ひとまず完全に封じ込めた。


湿った音が何度か石蓋の下から響き、やがて、小さくなっていった。


◇


エステルは周囲の暗がりを見回し、新たな敵がいないことを確かめてから、エレナリアへ視線を戻した。


「先に欠片で試したのは、いい判断だったわ」

「まとめて焼いていたら、と思うと……今でも少し怖いです」

エステルの表情が、わずかに緩んだ。

「その怖さを忘れないことね。今の判断は正解よ」


ボレスが石蓋の上を、斧の柄で軽く叩く。

「斬ったら増えるってことも、覚えといてくれよ」

「それは、真っ先に斬ったボレスさんが覚えておくことです」

エレナリアは、思わず口元を緩めた。

張り詰めていた胸の奥が、ほんの少しだけ軽くなった。


◇


三人は銅板の施設図を頼りに、地下のさらに奥へと進んだ。


進むほど、壁や天井を覆う白濁した粘液は増えていく。

足元の水路を流れる黒い水には、ときおり、淡い金色の光が反射した。


「今の光、見ました……?」

「ええ。水の中で、何かが光ってる」


やがて三人は、開けた高所の回廊へ出た。


眼下に広がっていたのは、巨大な主聖水槽だった。


地上の礼拝堂が、丸ごと収まるほどの広さ。

水面は黒く淀み、その上を薄い白色の膜が覆っている。


水槽の中央には、石造りの台座がぽつんと残されていた。


しかし、台座の上には、何もない。


「記録では、あそこに太陽のプーラが安置されていたはずですが……」

「足でも生やして、どこかへ行っちまったのか?」

「そんなわけないでしょ」


斧を肩に担ぎ直すボレスをよそに、エステルは回廊の縁から、黒く淀んだ水面へ油断なく視線を走らせた。


「誰かが持ち出した可能性は?」

「ここから持ち出されたのなら、施設全体にこれほど強い魔力は残らないはずです」


その時だった。


水槽の底で、淡い金色の光が明滅した。

「あれは……」

光が、ゆっくりと横へ動いていく。


宝玉が水に流されているのではない。

それを包んでいる何かが、動いているのだ。


水面を覆っていた白い膜が、大きく盛り上がった。


ざぶん――。


地下へ下りる前に聞いた、あの重く鈍い水音が、広大な空間に響き渡る。


水だと思っていたものの一部が、粘つく巨大な身体となって、ゆっくりと立ち上がっていく。


半透明に濁った、山のような巨体。

その体内の奥で、太陽のプーラだけが、囚われた心臓のように清らかな金色の光を脈打たせていた。


「……あれが、太陽のプーラです」


ボレスが斧を構えたまま、巨大な影を見上げる。

「おいおい、泥遊びにしちゃあ、でかすぎやしねえか?」

「泥じゃないって言ったばかりでしょ」

エステルが冷たく返した。


巨体の表面が、どろりと波打った。

やがてその上部が、三人の立つ回廊へ向かって、ゆっくりと傾いていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。