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サンシャーラ神話物語 封印されし屍霊  作者: 宝田旗子
第2章 太陽のプーラ
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第7話 腐った聖水

石段を下りるごとに、冷気が濃くなっていく。


ボレスを先頭に、エレナリア、エステルの順で、三人は魔石灯の明かりを頼りに地下へと進んでいた。


壁には白く濁った膜がこびりつき、石段の脇を通る細い水路には、粘ついた水がわずかに残っている。

淀んだ水の臭いは、地上で嗅いだものより、はるかに重い。


先ほどの巨大な水音は、今は止んでいた。


「静かになったな」

ボレスが魔石灯の届かない先を見据える。

「いなくなったとは限らないわ」

エステルは後方へも目を配ったまま答えた。


階段を下り切ると、いくつもの石造りの水槽が並ぶ広い地下区画へ出た。


多くは干上がっているが、いくつかの槽には白濁した水が溜まっている。

地上の聖水盤へ続いていたものと同じ細い水路が、水槽の間を縫って、さらに奥の闇へと延びていた。


「ここで泥や不純物を沈めてから、奥の施設へ送っていたようです」

「その奥に、太陽のプーラがあるかもしれないってことね」

「はい。記録が残っていれば、安置場所も分かると思います」


ボレスは魔石灯を掲げ直し、やれやれと息を吐いた。

「ここまで骨折って、着いてみたら何も残ってませんでした、なんてのは勘弁だぜ」

「……あんたがそういうこと言うと、本当にそうなりそうで嫌なのよ」

エステルがため息をつく。

三人は水路を辿り、奥へと進んだ。



水路の先には、石の扉があった。


だが、取っ手も鍵穴もない。


扉の中央には、太陽をかたどった円形の紋章。

その周囲に、三枚の回転式の石盤が埋め込まれている。


石盤には、それぞれ図柄が彫られていた。

山の端から昇る太陽。

天頂に輝く太陽。

水平線へ沈む太陽。


そして扉の上には、古い祭祀文字が刻まれている。


『日輪は東より生まれ、天の頂に満ち、西の水へと還る。

その歩みを辿る水にのみ、守り手の扉は開かれる』


「三枚の石盤を、夜明けから天頂、夕暮れへ、水が流れるように回すのだと思います」

エレナリアが碑文を読み上げた。


「絵を合わせりゃいいのか?」

ボレスが一枚目の石盤へ手を掛ける。


「待って。下にも溝があるわ」

エステルが石盤の縁を指でなぞった。

「向きを揃えるだけじゃなく、水路もつなげる仕掛けね」


見れば、三枚の石盤には細い溝が走っている。

今は向きがばらばらで、扉の脇にある水受けへつながっていない。


ボレスが石盤に力を込め、回した。


ごり、と重い音がして、隣の石盤まで一緒に動いた。


「一つ動かすと、二つずれるぞ」

「内部の歯車がつながっているんですね……」


エレナリアは碑文と溝ばかりを見ていた。

石盤同士が連動しているとまでは、予想できていなかった。


エステルが石盤の表面へ顔を近づけ、指先で縁を確かめていく。

やがて、中央の石盤の縁の一部だけが、他より深く摩耗していることに気づいた。


押し込むと、内部で小さな金属音がした。


「ここを押さえている間なら、一枚ずつ動かせそうよ」

「では、エステルさんはそこをお願いします。ボレスさんは、私が示した向きへ石盤を回してください」


エレナリアが配置を指示し、エステルが連動を止め、ボレスが重い石盤を回す。


夜明け。

天頂。

夕暮れ。


三枚の溝が、一続きの細い水路になった。


「最後に、水を流します」


エレナリアは杖の先から、ごく細い水流を生み出した。

細い水が、扉脇の水受けへ静かに注がれる。

水は夜明けの太陽から天頂へ、天頂から夕暮れへと溝を巡り、中央の太陽紋章へ流れ込んだ。


内部で水受けが沈み、古い錠が動く。


ごとん。


重い音とともに封印が外れた。

ボレスが石扉へ両手を掛けると、扉は石を擦る音を立てながら、ゆっくりと開いていった。



管理室の内部には、腐り落ちた机や棚が残されていた。

奥の壁の上部には、格子の外れた古い通気口が残っている。


紙の記録はほとんど原形を留めていない。

だが、奥の石棚から、薄い銅板に刻まれた施設図と管理記録が見つかった。


エレナリアが魔石灯の明かりの下、古い祭祀文字を読み解いていく。


「太陽のプーラは、最奥の主聖水槽に安置されていたようです。そこで清められた水を、地上の聖水盤へ送っていたんですね」


エステルが、銅板の端に刻まれた、他より太い一本の線を指した。


「こっちの水路は?」

「緊急排水路です。聖水が汚染された場合に、施設の外へ捨てるためのものだと思います」

「聖水なのに、汚染されるのか?」

「異物や別の魔力が混じれば、性質は変わります」

「それが今の状況かもしれないわね」

エステルが銅板の図面へ視線を落とした。


エレナリアは施設図の上へ指を滑らせた。

排水機構の操作室は、主聖水槽を挟んだ、ちょうど反対側にある。


「ただ……ここから直接は行けません。使うとしたら、あの主聖水槽の外周を、ぐるりと回らなければなりません」

指先が、水槽の縁に沿った細い通路と、途中に描かれた一本の橋をなぞる。

「図面ではこの橋を渡ることになっていますが、今も残っているかどうか……」


「緊急時に、主聖水槽を回り込まなきゃならないのね」

エステルが眉をひそめた。


「はい。ここからすぐに操作できる設備ではないようです。位置だけは覚えておきましょう」


エレナリアは銅板を鞄へ収めた。



管理室を出ようとした、その時だった。


ぴちゃり。


天井を通る古い水路から、白い雫が落ちた。


雫は石床へ落ちても、広がらなかった。

ぶよぶよと盛り上がり、泡を含んだ半透明の塊へと変わっていく。


続いて、水路の亀裂から、濡れた音とともに白い塊が次々と這い出してきた。

拳ほどのものから、人の頭ほどのものまで。

白く濁った身体の内側で、細かな気泡が蠢いている。


その一体が、ボレスの足へまとわりつこうとした。


ボレスは反射的に片手斧を振り下ろし、その身体を両断した。


だが、二つに分かれた塊は、それぞれ形を整え、別々の個体となって動き始めた。


「斬らないでください!」

「先に言ってくれ。二匹になったぞ」

「私も、今分かりました!」


スライムたちの動きは遅い。

だが、水路のあちこちから湧き続け、じわじわと三人の退路を塞ぎ始めていた。


「斬れねえなら、焼くか?」

ボレスが尋ねる。


エレナリアは、すぐには答えなかった。


白濁した身体。内側の気泡。

そして、地上の回廊で調べた粘液と同じ、重く淀んだ臭い。


「……試します。エステルさん、煙が出たら、すぐに奥の通気口へ流してください」

「分かったわ。試すなら、本当に少しだけよ」


エレナリアは床に残った小さな欠片だけを、割れた石皿へ移した。

杖の先に、針先ほどの小さな炎を灯し、そっと当てる。


欠片が灰色に泡立った。

鼻を刺す刺激臭とともに、濁った煙が噴き出す。


エステルの鞭が風を起こし、煙を通気口へと押し流した。

エレナリアもすぐに炎を消す。


「毒気です。まとめて焼けば、私たちまで倒れます」

「斬れば増える。焼けば毒か」

ボレスが顔をしかめた。

「面倒な泥だな」

「泥ではありません」


エレナリアは、蠢く白い塊を見つめた。


「これは、おそらく聖水だったものです。魔力を抱えた水が長いあいだ淀み、腐敗したんです」



スライムの数は、なおも増え続けている。


斬れば増える。

焼けば毒が出る。


ならば――倒す必要はない。


エレナリアは管理室の外へ視線を走らせ、すぐ近くにある干上がった沈殿槽へ目を止めた。

その脇には、外れた重い石蓋が倒れている。


「あの沈殿槽へ閉じ込めます」


杖を握り直し、二人へ向き直る。


「私が土の術で進路を絞ります。エステルさんは風で水槽へ押してください。ボレスさんは、横へ逃げる個体を石板で塞いでください」

「壁役か」

「その大きな体で、しっかり押さえておいてください」

「嬢ちゃん、ずいぶん遠慮がなくなったな」

「斬ったら増えるんだから、四の五の言わずにやりなさい」

エステルがぴしゃりと言った。


エレナリアが杖を振るう。

石床が低く隆起し、スライムたちの進路が、沈殿槽へ向かう一本の通路へと絞られた。


エステルが鞭を振るう。

革紐はスライムへ触れず、その軌道から放たれた風圧だけが、白い塊たちを沈殿槽の方へ押し流していく。


ボレスは倒れていた分厚い石板を両手で構え、大盾のように床へ突き立てた。


列から横へ逸れようとする個体が石板へぶつかり、べちゃりと不快な音を立てる。

だが、丸太のような太い両脚は微動だにしない。

石板の裏に全体重を預け、這い寄る白い濁流を、一歩も後ろへ通さず沈殿槽側へと押し戻していく。


一体のスライムが、エレナリアの作った低い隆起へ身体を乗り上げた。

半透明の身体が細長く伸び、壁を越えようとする。


「おい、そいつ越えてくるぞ!」

エステルの鞭が空を裂いた。

横殴りの風圧が伸び上がったスライムを叩き、水槽の側へ押し戻す。


「壁が低いわ」

「すみません。今、上げます」


エレナリアが術を調整し、石の隆起をもう一段だけ高くした。

やがて、天井の水路から這い出してくる白い塊が途切れ、最後の一体が沈殿槽の底へ落ちた。


「閉めるぞ。二人とも離れろ」


ボレスが沈殿槽の脇に倒れていた重い石蓋を持ち上げ、槽の上へ被せた。


隙間から白い身体が這い出そうとする。

エレナリアはすかさず土の術で隙間を塞ぎ、ひとまず完全に封じ込めた。


湿った音が何度か石蓋の下から響き、やがて、小さくなっていった。



エステルは周囲の暗がりを見回し、新たな敵がいないことを確かめてから、エレナリアへ視線を戻した。


「先に欠片で試したのは、いい判断だったわ」

「まとめて焼いていたら、と思うと……今でも少し怖いです」

エステルの表情が、わずかに緩んだ。

「その怖さを忘れないことね。今の判断は正解よ」


ボレスが石蓋の上を、斧の柄で軽く叩く。

「斬ったら増えるってことも、覚えといてくれよ」

「それは、真っ先に斬ったボレスさんが覚えておくことです」

エレナリアは、思わず口元を緩めた。

張り詰めていた胸の奥が、ほんの少しだけ軽くなった。



三人は銅板の施設図を頼りに、地下のさらに奥へと進んだ。


進むほど、壁や天井を覆う白濁した粘液は増えていく。

足元の水路を流れる黒い水には、ときおり、淡い金色の光が反射した。


「今の光、見ました……?」

「ええ。水の中で、何かが光ってる」


やがて三人は、開けた高所の回廊へ出た。


眼下に広がっていたのは、巨大な主聖水槽だった。


地上の礼拝堂が、丸ごと収まるほどの広さ。

水面は黒く淀み、その上を薄い白色の膜が覆っている。


水槽の中央には、石造りの台座がぽつんと残されていた。


しかし、台座の上には、何もない。


「記録では、あそこに太陽のプーラが安置されていたはずですが……」

「足でも生やして、どこかへ行っちまったのか?」

「そんなわけないでしょ」


斧を肩に担ぎ直すボレスをよそに、エステルは回廊の縁から、黒く淀んだ水面へ油断なく視線を走らせた。


「誰かが持ち出した可能性は?」

「ここから持ち出されたのなら、施設全体にこれほど強い魔力は残らないはずです」


その時だった。


水槽の底で、淡い金色の光が明滅した。

「あれは……」

光が、ゆっくりと横へ動いていく。


宝玉が水に流されているのではない。

それを包んでいる何かが、動いているのだ。


水面を覆っていた白い膜が、大きく盛り上がった。


ざぶん――。


地下へ下りる前に聞いた、あの重く鈍い水音が、広大な空間に響き渡る。


水だと思っていたものの一部が、粘つく巨大な身体となって、ゆっくりと立ち上がっていく。


半透明に濁った、山のような巨体。

その体内の奥で、太陽のプーラだけが、囚われた心臓のように清らかな金色の光を脈打たせていた。


「……あれが、太陽のプーラです」


ボレスが斧を構えたまま、巨大な影を見上げる。

「おいおい、泥遊びにしちゃあ、でかすぎやしねえか?」

「泥じゃないって言ったばかりでしょ」

エステルが冷たく返した。


巨体の表面が、どろりと波打った。

やがてその上部が、三人の立つ回廊へ向かって、ゆっくりと傾いていった。

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