第21話 継ぎ接ぎの兵
背後の内門は、閉ざされたままだった。
エレナリアは杖に体重を預け、浅い呼吸を繰り返していた。
扉を開けた一呼吸の代償が、まだ脇腹の奥に残っていた。
ボレスの上腕では、巻いた布に血が滲んでいた。
エステルは鞭を持つ腕を、肩の高さより上げられずにいた。
「止まっていても仕方ないわ。行くわよ」
エステルは乱れた後れ毛を傷めていない手で払い、前を見た。
黒い導管が、広大な空間の奥へ向かって走っていた。
三人はそれを追った。
やがて、天井の低い区画へ出た。
壁沿いには縦長の保管槽が列を成し、どの扉も固く閉ざされたままだった。
濁った液体越しに、輪郭だけが見える槽。
中が黒く曇り、何も見えない槽。
ボレスが灯りを近づけた。
青い髪の下で、眉が寄る。
どの槽にも札が付いていたが、書かれていたのは整理番号だけだった。
「……何の番号でしょう?」
エレナリアの声が、低い天井に吸われて消えた。
「こういう時は、ろくでもねえことが起きるもんだ」
ボレスは灯りを下げず、並んだ槽を睨んだ。
「……長居は無用ね。早く、ここを抜けましょう」
エステルが鞭の柄へ手を添えた。
三人が区画の中央を通り過ぎた、その時だった。
黒い導管の奥で、何かが流れる音がした。
壁沿いの保管槽に、一つずつ赤黒い灯がともっていった。
だが、低く震え始めたのは、一番奥の一槽だけだった。
ほかの槽は、沈黙したままだった。
「下がって!」
エステルが叫んだ直後。
一番奥の保管槽の金属扉が、内側から膨らんでいく。
次の瞬間、扉が蝶番ごと吹き飛んだ。
ボレスが長柄戦斧の柄を斜めに当て、飛来した扉を横へ弾いた。
扉は石床で一度大きく跳ね、その勢いのまま脇の壁へ激突した。
濁った液をまとい、それは保管槽の闇から身を起こした。
はじめに見えたのは、人ひとり分の胴だった。
だが、肩口の肉が、左右に二段ずつ盛り上がっている。
上に二本。
下に、さらに二本。
人間の腕が、四本。
どれも長さだけは人のものだったが、太さも皮膚の色も、関節の位置さえ揃っていない。
継ぎ目へ縫い込まれた黒い導管から、濁った液が細く垂れた。
「……腕が、四本?」
エレナリアの声が掠れた。
「ええ。しかも、同じ人間の腕には見えないわ」
エステルは鞭を構えたまま、四つの肩を睨んだ。
右上の腕はやや長く、粗削りの石槍を握っていた。
左上の腕は、四本の中でもひときわ太い。
右下の腕は骨ばって細く、その先の指だけが異様に長かった。
左下の腕だけが、ごく普通の人間のものに見えた。
肉の塊が、三人を捉えた。
「ギ……ルゥゥ……ッ」
屍兵の喉から、水底で泡が弾けるような唸りが漏れた。
ごきり、ごきりと四つの肩が鳴り、それぞれ別の角度へねじれた。
太い腕が、ボレスの戦斧の柄を横から鷲掴みにした。
石槍の腕が、その穂先をボレスの脇腹へ突き込んだ。
左下の腕は石床すれすれを回り、ボレスの膝裏へ伸びた。
ボレスは掴まれた柄を押し込み、それを支点に半身を捻る。
石の穂先が脇腹を掠め、下腕の指が空を掴んだ。
「ギヂヂ……ッ!」
エステルの鞭が横から走った。
だが、指の長い下腕が、飛来した革紐へ五指を絡める。
「腕が多すぎる!」
エステルは鞭を奪い返そうとはせず、掴ませたまま手首を返した。
痛めた肩は上がらない。
腰を捻り、革紐へ低く風を走らせる。
鞭が指の長い下腕へ巻きつき、そのまま左下の腕まで絡め取った。
エステルが引き絞ると、二本の腕が石床へ押さえ込まれ、屍兵の体勢が崩れた。
「ゴォォォ……ッ!」
戦斧の柄を掴んでいた太い腕の指が、わずかに緩んだ。
ボレスは一気に柄を引き抜き、刃を返した。
石槍を引き戻しかけた腕へ、戦斧が走る。
刃はその腕を、肘から叩き斬った。
石槍が石床を打ち、遅れて腕がどちゃりと落ちた。
だが、血は一滴も流れなかった。
切断面では、細い黒い糸が無数の虫のように蠢いている。
その数本が、落ちた腕と本体側の切断面を、なお繋いでいた。
「ギィ……ッ」
斬り落とされた腕が、五本の指を脚のように立てた。
石床を掻き、ボレスの足首へ這い寄る。
「化物め! まだ動いてやがる!」
その間にも、太い腕が再び伸び、ボレスの戦斧の柄を掴み直した。
ボレスの足が、石床を半歩滑る。
エレナリアは杖を構え、太陽のプーラへ意識を集中させた。
だが、すぐには放てない。
一呼吸しか保てない浄化の光を、屍兵の全身へ広げれば、力が薄まり、どこも完全には断ち切れない。
一本の腕へ絞れば、少なくとも一つは止められる。
だが、どの一本を狙えばいいのか。
「エレナ! 長くは持たないわ!」
エステルが絡めた鞭を引き、屍兵の上体を横へ傾けた。
その隙に、エレナリアは屍兵の背中を見た。
施設から伸びる太い導管は、黒い金属皮膜に覆われたまま、屍兵の背中へつながっていた。
そこには、厚い金属殻に包まれた箱状の金属器が埋め込まれている。
金属器から分かれた四本の枝線だけが、むき出しの肉の上を走り、それぞれの肩口へ入り込んでいた。
「四本の線が、背中の金属器につながっています!」
エレナリアが、杖の先で金属殻を示した。
ボレスは屍兵の腕を押し返しながら、その一点へ目を向けた。
「そいつを狙えばいいのか!」
「無理です。厚い金属殻で覆われています」
エレナリアは露出した四本の枝線を目で追った。
「光を通せるのは、腕へ伸びる線だけです」
「だったら、殻は俺が叩き割る!」
ボレスが戦斧の柄を握り直した。
エレナリアは狙いを定める。
ボレスの戦斧の柄を押さえ込む太い腕。
その肩口へ伸びる一本の枝線。
杖の石突を石床へ打ち据える。
亜麻色の髪が、俯いた額へ揺れ落ちた。
太陽のプーラの力を、針のように細く絞り込む。
一呼吸。
脇腹の奥が鋭く軋み、息が詰まる。
それでも、エレナリアは光を途切れさせない。
カッ、と杖先が閃く。
一本の金色の光が走り、狙いを違えず枝線へ入り込んだ。
枝線を遡り、背中の金属器を抜けて、残る枝線へ流れ込んでいった。
エレナリアの目が見開かれた。
一本へ放ったはずの光が、四本すべての枝線へ広がっていく。
残る三本の腕が、同時に力を失って垂れ下がる。
床を這っていた腕も、その場で動きを止めた。
驚きを飲み込み、エレナリアは叫ぶ。
「ボレスさん!」
「おうとも!」
ボレスが踏み込み、長柄戦斧を金属殻へ叩き込んだ。
一撃目で殻が歪んだ。
二撃目を振り切った瞬間、ボレスの上腕の包帯に新しい赤が広がった。
それでも斧は止まらず、金属殻を砕いた。
その内側の金属器まで割れ、屍兵は糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
金属の軋みが途切れ、広い区画には三人の荒い息だけが残った。
ボレスは戦斧を下ろし、エステルも痛む腕を解いた。
エレナリアは杖に縋ったまま、自分の手を見た。
狙ったのは、一本だけだった。
それは間違いない。
胸元が、かすかに温かかった。
太陽のプーラの残熱だろう。
エレナリアはそう考えた。
「背中の箱で、全部つながってたんじゃねえのか?」
ボレスが屍兵の背中を靴先で示した。
「……そうかもしれません」
エレナリアは否定できなかった。
一本へ絞ったはずの光が、なぜ残る枝線にまで届いたのか。
その理由だけは分からなかった。
◇
戦闘の後、三人は屍兵の残骸を調べた。
四本の腕は、指の長さも、爪の形も違っていた。
一本には、擦り切れた腕輪の痕が残っている。
別の一本には、古い刀傷があった。
近くの記録台には、作業記録が残されていた。
ボレスがエレナリアの肩越しに紙面を覗き込む。
「腕ごとに番号が違うぞ」
エステルも記録へ目を落とした。
「四本とも、別の死者から移したものね」
素材の適合率。
交換予定日。
廃棄済みの通し番号。
エステルの眉間に、深い皺が寄った。
「素材、交換、廃棄……人間について書く言葉じゃないわね」
「使える部分だけ見てやがるのか」
ボレスの声から、いつもの軽さが消えた。
記録の末尾には、いくつかの試作結果が並んでいた。
「運用できると書かれているのは、試作四号だけです」
エレナリアが告げると、エステルは沈黙した保管槽を振り返った。
「だから、動き出したのはあの一体だけだったのね」
「名前はねえのか?」
ボレスの問いに、エレナリアは首を振った。
どの頁にも、人の名はなかった。
署名もなかった。
だが、その几帳面な文字を、エレナリアは知っていた。
「……お父様の筆跡です」
文字をなぞる指先が、微かに震えていた。
「腕も、脚も……お父様にとっては、人ではなく、取り替えのきく部品だったんです」
つい先ほど、兄を弔ったばかりだった。
石を積み、その前へ鎧と剣を残した。
ここに並ぶ死者たちにも、かつては名前があったはずだ。
だが、父の記録では、そのすべてが数字へ塗り替えられていた。
赤い外套の下で、エレナリアは拳を握った。
ボレスが何か言いかけて、口を閉じた。
青い髪を掻き上げ、記録台から目を逸らす。
エステルが記録台の縁を指で叩いた。
黒髪の下で、その目が通路の奥を見据えていた。
「これを書いた人間は、まだ奥にいるのよね」
三人の視線の先で、黒い導管は血脈のように最奥の闇へ続いていた。




