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第14話 月下の略奪者

長い階段は、下るほどに冷たくなっていった。

やがて、最後の段が終わり、視界がひらけた。


エレナリアは息を呑んだ。

そこは、巨大な地下聖堂だった。


天井の一部は水晶に似た透明な岩盤で覆われ、その向こうを、暗い湖水がゆっくりと流れている。

湖面から届いた月光が水の揺らぎに乱され、青白い光の波となって、壁と柱の上を静かに渡っていた。

まるで、水底から夜空を見上げているようだった。


聖堂の中央には、円形の祭壇があった。

黒い石の表面には薄く水が張られ、鏡のように月を映している。

その中央に、青白い光を纏った小さな宝玉が浮かんでいた。


「……月のプーラ」


エレナリアの声が、静かな水面に吸い込まれていった。


だが、祭壇へは近づけなかった。

祭壇全体が、透明な光の膜に覆われている。

外周には、守護家の紋章が刻まれた石の柱が、四基、等間隔に立っていた。


「封印装置だ」


ファブリが低く言った。


「あの四基を、決められた順に解かなければ、膜は消えない」


四人は静かに頷き合い、祭壇へ向けて歩みを進めた。



祭壇の基部へ近づいたとき、エレナリアの足が止まった。


黒い石の根元に、小さな刻印があった。

階段の壁で見たものと、同じ形。

父の印だった。


けれど、今度の印は少し違った。

印の脇から短い線が伸び、祭壇の外壁に残る古い碑文の一節を、指し示すように刻まれている。


――お父様は、ここまで来た。

そして、この碑文を読んだ。


エレナリアは手袋をはめた指先で刻印をなぞり、それから、示された碑文へ目を移した。


「ファブリさん。これを」

ファブリが灯りを寄せ、二人で古い文字を読み解いていく。


碑文は、月のプーラの性質を伝えていた。


消えかけた魂や記憶を一時的に現世へ留めること。

死者の残した思念を水面や鏡へ映し出すこと。

幻影や死霊術の構造を見抜くこと。


そして、最後の一節に、警句があった。


「……月は、去りゆく者を映す鏡。留めるは一時、縛るは咎」


エレナリアは読み上げ、息を整えた。


「死者を蘇らせる力では、ないのですね」

「そう読める。強引に使えば、魂をこの世へ縛りつける、とも」


太陽のプーラが、腐敗や死霊術の束縛を清める力なら。

月のプーラは、消えゆく魂や記憶を留めて、映す力。


エレナリアの脳裏に、父の走り書きが浮かんだ。


『死を留めるには、太陽だけでは足りない』


――お父様は、太陽と月を組み合わせようとしていた。

消えようとする、誰かの魂を。

無理にでも、この世へ残すために。


誰を、とまでは分からない。

けれど、指先が冷えていくのを感じた。


「エレナ、続きは後よ」

エステルの声が、思考を断ち切った。

「先に、あれを取るのでしょう」


エレナリアは小さく頷き、光の膜に包まれた祭壇へと向き直った。



ファブリが、月影の鍵と当主印を取り出した。


「四基すべてを、決められた順に解かなければならない」


彼は最初の柱の前へ立った。

鍵を差し込もうとした先端が、石の縁へ一度触れる。

ファブリは短く息を吐き、指へ力を込め直した。


「始めるぞ。一度進めれば、最後まで順番を崩せない」


当主印が紋章へ重なり、続いて月影の鍵が回った。

柱の紋章から光が抜け、祭壇を覆う膜が、わずかに薄くなった。


第一基、解除。


エレナリアたちは、それぞれの位置についた。


ボレスが前。

エステルが側面。

エレナリアは、ファブリと祭壇の双方を見渡せる位置に立つ。


ファブリが二基目の柱へ移る。


印が重なり、鍵が回る。

膜が、また一段薄くなった。


その時だった。


列柱の奥から、乾いた音が響いた。

カラ、カラ、と。

骨と骨が擦れ合う音だった。


月光の届かない暗がりから、長身の影が歩み出てきた。


黒い鎧。

黒い外套。

兜のない、剥き出しの頭蓋骨。

片方の眼窩にだけ、青白い鬼火が灯っている。


その手には、長い柄の戦斧が握られていた。

幅広い片刃は黒ずんでいるが、刃こぼれひとつない。


エレナリアの胸元で、太陽のプーラが強く熱を放った。


「あの扉をどう越えた」

「越えてはいない」

骨の軋むような低い声が、地下聖堂に響いた。


「湖底には、とうに忘れられた水路がある。生者には通れぬ道だ」

エレナリアは息を呑んだ。


――だから、扉の内側に足跡があった。

小扉が、内側から破られていた。


「貴様、何者だ」

ボレスの問いに、青白い鬼火が静かに揺れた。

「名は、とうに失った」

白骨騎士は長柄の戦斧を持ち上げた。

「今はただ、白骨の騎士。月を奪うため、ここにいる」


鬼火の視線が、ファブリへ向いた。

「お前たちが開くのを待っていた。鍵も、印も、当主も揃った……さぁ、続けろ」

「断る、と言ったら」


ファブリの声は震えていた。

それでも、柱の前から動かなかった。


「言わせぬだけだ」

白骨騎士が、石床を砕く勢いで踏み込んだ。



戦斧の刃が、ファブリのすぐ脇へ叩き込まれ、石床を砕いた。

逃げ道を塞いだ白骨騎士は、そのまま長い柄を返し、ファブリを薙ぎ倒そうとした。


その軌道へ、ボレスが割り込んだ。

「させるかよ!」


片手斧が戦斧を受け止め、金属の悲鳴が聖堂に反響した。

衝撃で水面が波立ち、映っていた月が砕ける。


斧の刃元に細い亀裂が走ったのを見て、ボレスが舌打ちした。

「骨だけのくせに、なんて力だ!」


長柄の戦斧に押し込まれ、ボレスの靴底が石床を滑った。


「そこ!」

エステルの鞭が風を纏い、戦斧の柄へ絡みつく。

引かれた刃の軌道が逸れ、ボレスが半歩、押し返した。


「ファブリ、次はどこ!」

「右の柱だ。当主印、鍵――その順だ」

ファブリは自分へ言い聞かせるように呟き、三基目の柱へ走った。


エレナリアは杖を構え、太陽のプーラへ意識を向けた。

金色の光が、白骨騎士を照らす。


黒い鎧の隙間に、青白い糸が浮かび上がった。

糸は骨格を這い、鎧を繋ぎ、眼窩の鬼火を巡り――やがて胸部付近で、黒い鎧の奥へ沈んでいた。

その先に何があるのかまでは、太陽の光だけでは見通せない。


エレナリアは基礎浄化術に光を重ね、糸の全体を広く照らした。

構造を探る。

白骨騎士の動きが、一瞬だけ鈍った。


「ボレスさん、鎧の中に何かあります!」

「場所は!」

「まだ分かりません。もう少し!」

「急いで!」


戦斧が床を割るたび、ファブリの指が跳ねた。

それでも当主印を離さず、三基目の柱を解除した。

膜が、さらに薄くなった。


その時、白骨騎士の頭蓋が、ゆっくりとエレナリアへ向いた。

眼窩の鬼火が、エレナリアを映した。


「ヴァルキエルの娘……貴様、見ているのか」


胸元の太陽のプーラが、ひときわ強く熱を放っていた。

金色の光は、まだ白骨騎士の全身を這う糸を捉えたまま、彼女の意志に応えて灯り続けている。


骨の声が、静かに告げた。

「ならば、見届けるのは、ここまでだ」

「……!」

エレナリアは息を呑んだ。

見抜かれた、と分かった瞬間、杖を握る手に力がこもった。


逃げ場のない視線だった。

鬼火の奥に、明確な殺意が宿っていた。



白骨騎士が一気に間合いを詰めた。

向かう先はファブリ――ではなかった。


進路が、途中で変わった。

戦斧が、エレナリアへ振り下ろされた。


「エレナ!」

ボレスの斧が横から差し込まれ、エステルの風が刃を叩く。


戦斧はエレナリアのすぐ脇へ逸れ、石床を深く抉った。


だが、白骨騎士は止まらなかった。


戦斧をボレスとエステルに封じられたまま、白骨騎士は柄から片手を離した。

黒い籠手に覆われた拳が、エレナリアの脇腹へ叩き込まれた。


鈍い衝撃が、身体の奥まで突き抜ける。

視界が回った。


エレナリアの小さな身体は殴られた勢いのまま弾き飛ばされ、石床へ肩から叩きつけられた。

倒れた拍子に歯が噛み合い、口の中で何かが切れた。


息が、できない。

一瞬、呼吸が完全に止まっていた。


「――っ、ぐ……」


喉の奥から、掠れた呻きだけが漏れた。

息を吸おうとするたび、脇腹の奥で何かが軋む。


白骨騎士は、石床に食い込んだ戦斧を引き抜いた。

眼窩の鬼火は、倒れたエレナリアから逸れていない。

戦斧を振り上げ、今度こそ息の根を止めようと踏み込んできた。


「終わりだ、ヴァルキエルの娘」

「させるか!」


ボレスが体当たりで押し込み、エステルの鞭が戦斧の柄へ絡みついた。

二人がかりで、白骨騎士の巨体がわずかに傾いだ。


その数秒だけが、エレナリアに残された時間だった。


エレナリアは杖を支えに、身体を起こした。

口の中に、鉄錆びに似た味が広がっている。

唇の端から、血がひと筋流れた。

息を吸うと、脇腹へ鋭い痛みが走った。


――折れた……? 分からない。

今は、確かめている場合ではない。


「エレナ!」

エステルの足が、こちらへ向きかけた。

その瞬間、鞭を引く力がわずかに緩み、白骨騎士の戦斧が持ち上がる。


「来ないでください!」

「でも、その傷で――」

「私なら、まだ動けます」

エレナリアは血の滲む唇のまま、エステルを見返した。


「ファブリさんが封印を解くまで、その騎士を止めてください!」


エステルは奥歯を噛んだ。

一瞬だけ、強くエレナリアを見つめる。


それから踵を返し、白骨騎士の戦斧を絡め取る鞭へ、再び風を叩き込んだ。



エレナリアは、太陽のプーラへ意識を戻した。


だが、息が続かない。

深く吸おうとするたび、脇腹が軋む。

これまでのように、広く光を放ち続けることはできなかった。


――広げられないなら。


エレナリアは、白骨騎士の身体を這う糸を見た。

核はまだ見えない。

なら、狙うのは核ではない。


今いちばん危険なのは、あの戦斧だ。

振るう腕へ続く糸、その一本だけを狙う。


エレナリアは杖を両手で固定した。

浅く、細く息を吐く。

その呼吸に意識を重ね、散ろうとする光を一本へ束ねた。


金色の光が、髪の毛ほどの細い線へ収束していった。


ボレスが白骨騎士の前へ立ちはだかり、片手斧で戦斧を受け止めた。


その間に、ファブリは最後の柱へ走った。

当主印を紋章へ押し当て、震える指で月影の鍵を差し込んだ。


白骨騎士は戦斧の柄を強く捻り、ボレスの斧を外側へ弾いた。

続けざまに鎧の肩をぶつけ、進路を塞ぐボレスを押し退ける。


眼窩の鬼火は、なおもエレナリアを捉えていた。

白骨騎士が再びエレナリアへ踏み込もうとした。


「今です!」


エレナリアの光が、戦斧を握る腕の糸を捉えた。

金色の細い線が、青白い糸へ重なる。

糸がたわみ、戦斧の振りが、わずかに鈍った。


「もらったわ!」

エステルの鞭がその隙を突き、戦斧の軌道を大きく逸らす。

刃は空を裂き、石床を叩いた。


「ファブリ!」

「最後だ!」

ファブリが月影の鍵を回した。


柱の紋章から、光が抜けた。

月のプーラを覆っていた透明な膜が――音もなく消えた。



祭壇は、エレナリアのすぐ背後にあった。

エレナリアは杖を引きずるように、二歩、三歩と下がった。

よろめいた腕を、エステルが一瞬だけ支える。


「すぐ戻るから」

エステルはそれだけ言い、白骨騎士の方へ跳んだ。


エレナリアは、祭壇の水鏡へ手を伸ばした。

指先が、月のプーラへ触れた。


その瞬間。


胸元の太陽のプーラと、手の中の月のプーラが、共鳴した。


金色と青白い光が重なり、波紋のように聖堂へ広がっていく。


太陽は、束縛を弱める。

月は、構造を映し出す。


二つの光の中で、白骨騎士の身体が透けるように見えた。


無数の青白い糸。

そのすべてが、鎧の胸部の奥、一点へ集まっている。


小さく、黒く、脈打つもの。


――あれが、核。


「胸です!」

エレナリアは叫んだ。

脇腹に痛みが走ったが、息を止めて耐えた。


「鎧の奥に、糸が全部集まって――」

二度目に声を張った瞬間、脇腹が鋭く軋んだ。

「っ……!」

呼吸が途切れる。


エレナリアは奥歯を噛み、残った息を押し出した。

「……います!」


白骨騎士の鬼火が、大きく揺らめいた。

巨体が、エレナリアへ向かって最後の突進を仕掛けた。


「させないわよ!」

エステルの鞭が、戦斧の柄へ絡みついた。

「小賢しい……!」

「賢しいついでよ!」

絡めた鞭に纏わせた風を、一気に解放した。

戦斧の軌道が、大きく上へ逸れた。


引かれた腕につられ、白骨騎士の上体が仰け反った。

黒い外套が翻り、胸当ての継ぎ目が無防備に晒された。


「今よ!」

「はい!」

エレナリアは、絞り込んだ太陽の光を、胸部の一点へ撃ち込んだ。


金色の線が、核を縛る糸の束へ重なる。

その瞬間、死霊術の抵抗が杖を伝い、両腕へ鈍く返った。


脇腹が軋んだが、照準は外さなかった。

青白い糸が一斉に細り、白骨騎士の踏み込みが、その一瞬だけ止まった。


「おおおおっ!」

ボレスが踏み込んだ。

亀裂の入った片手斧が、露出した継ぎ目へ、渾身の力で叩き込まれる。


硬いものが砕ける音が、聖堂に響き渡った。

黒い鎧が割れ、その奥の核へ、深い亀裂が走った。

核へ生じた亀裂から、青白い光が全身の糸を逆流した。


次の瞬間、戦斧を握っていた白骨騎士の腕が、肘から先で砕け落ちた。

長柄の戦斧が、重い音を立てて石床へ転がる。


そして、ボレスの片手斧もまた、刃元から折れていた。



白骨騎士が、片膝をついた。

眼窩の鬼火が、激しく明滅している。

ひび割れた核から、黒い霧が細く噴き出していた。


「月を……手にしたか」

骨の声が、途切れ途切れに響いた。

「ならば、あの男も……お前を待っている」

「あの男とは、誰ですか!」

「……いずれ、わかる」

白骨騎士は、それ以上は答えなかった。


黒い霧が渦を巻き、砕けた鎧の輪郭を呑み込んでいく。

霧は周囲へ散らず、白骨騎士の背後に生じた暗い一点へ、吸い込まれるように集まっていった。

白骨騎士の巨体は一歩も退かぬまま、骨も鎧も霧へほどけ、月光の下から掻き消えた。


あとに残されたのは、砕け落ちた片腕と、石床へ転がった長柄の戦斧だけだった。


霧の名残だけが、しばらく水面の上に漂っていた。


「くそっ、消えやがった……!」

ボレスは、刃元から折れた片手斧へ一度だけ目を落とした。

それから舌打ちとともに石床へ放り、霧の消えた空間を睨みつけた。


エレナリアは、霧の消えた空間を見つめた。

「逃げ道を通ったのではありません。何者かの術に、引き戻されたように見えました」


エステルも鞭を引き戻した。

「どちらにしても、追う道はないということね」


ボレスは霧の消えた辺りをしばらく睨み、それから、大きく息を吐いた。

「……ちっ。分かってるよ」


その時、遠くで低い軋みが響いた。

どこかで、石の割れる音がした。

天井から、細かな砂が落ちてくる。


崩壊の前触れと断じるには、まだ小さな異変だった。



石床には、白骨騎士の長柄の戦斧が残されていた。


砕け落ちた腕の骨は、死霊術を失ったのか、見る間に灰のように崩れていく。

だが、戦斧だけは、確かな重量を持ってそこにあった。


ボレスが歩み寄ろうとする。


「待ってください。まだ触らないでください」


エレナリアは手袋に破れがないことを確かめた。


ボレスが戦斧へ布をかぶせ、柄をわずかに持ち上げた。

エレナリアは杖に体重を預けたまま、まず太陽のプーラの光を戦斧へ近づけた。


死霊術による束縛は、もう残っていない。

ただ、死の魔力が刃と柄に深く染みついている。


続いて、月のプーラでも確かめる。


魂の残響はない。

白骨騎士の核でもない。


エレナリアは月の光を消した。


「このまま使うのは危険です。でも、浄化できれば……武器としては、使えるかもしれません」

「なら、置いてはいけねえな」


ボレスは荷袋から布をもう一枚取り出した。

「こんな物を、次の死霊に拾わせるわけにもいかねえからな」


素手では触れず、布で刃と柄を厳重に包み、担ぎ上げる。

「細かく調べるのは、帰ってからだ」


その間にも、天井から落ちる砂は、少しずつ増えていた。

水滴が、ひとつ、またひとつと、水面へ波紋を作る。



エレナリアは、手の中の月のプーラを見つめた。


青白い宝玉は、冷たく、静かに脈打っている。

胸元の太陽のプーラの温かさとは、対照的だった。


ふいに。


滑らかな鏡面に、波紋が広がった。

波紋の中心に、一瞬、人の姿が映った。

背の高い、男性の輪郭だった。


エレナリアは息を呑んだ。


顔は、見えない。

霧のような青白い光が、その面を覆っている。


――お父様……? それとも。


『あの男も、お前を待っている』


白骨騎士の言葉が、胸の奥で重く響いた。


「あなたは――」


呼びかけた声が、届く前に。

姿は、水へ溶けるように消えた。


その直後だった。

地の底から、強い地鳴りが突き上げた。



聖堂全体が、大きく軋んだ。


円形の祭壇から四基の柱へ伸びていた青白い光の筋が、次々と途切れていく。

祭壇からは、放射状に亀裂が走り始めた。


それと同時に、天井を覆う透明な岩盤が低く鳴った。

頭上の湖水に押されるように、岩盤の一部がわずかにたわむ。


天井から落ちていた水滴が、瞬く間に幾筋もの水流へ変わった。


石柱の一本が、根元からゆっくりと傾き始める。


ファブリが祭壇と四基の柱を見回した。


「そうか――月のプーラを核にした結界が、頭上の湖水の圧力を四基の柱へ逃がしていたんだ! 外したせいで、結界の支えが――」

「説明は走りながらにしろ!」


ボレスが布に包んだ戦斧を担ぎ直し、出口を指した。


エレナリアは立ち上がろうとした。

だが、足へ力を込めた途端、脇腹に激痛が走った。

呼吸が詰まり、膝が石床へ落ちる。


「エレナ!」

エステルがすぐに駆け寄った。


「大丈夫です。これくらい……」

「やせ我慢しないの!」


エステルは返事を待たず、エレナリアの手から月のプーラを素早く掴み取った。

宝玉を荷袋へ慎重に収め、口を固く締めた。

それから荷袋と杖を、ファブリへ差し出した。


「これを持って。絶対に落とさないで」

「私が?」

「ほかに誰がいるの。早く持ちなさい!」

「わ、分かった!」


ファブリは月影の鍵を懐へ収め、荷袋を肩へ掛けた。

さらに杖を受け取り、脇へ抱えた。


エステルはエレナリアの前へ背を向け、身を低くした。


「乗って」

「でも、エステルさんまで動きにくく――」

「黙って私の肩につかまりなさい」


有無を言わせない声だった。


さらに大きな亀裂音が響いた。

頭上の透明な岩盤へ白い亀裂が走り、その隙間から幾筋もの水が漏れ始めた。


エレナリアはためらいながらも、エステルの背へ身体を預けた。

持ち上げられた瞬間、脇腹が軋み、思わず息を呑む。

けれど、触れた背中は思いのほか温かく、彼女を支える腕には少しの迷いもなかった。


「痛む?」

「……少しだけです」

「子供がやせ我慢しないの。落ちないようにつかまって」


エステルはエレナリアの脚を支え、立ち上がった。


ファブリは杖を抱えたまま先頭へ走った。


「こっちだ! ついてきてくれ!」


エレナリアを背負ったエステルが、その後に続く。


「後ろは俺が見る。止まるな!」


ボレスは布に包んだ戦斧を担ぎ、最後尾から三人を追った。


背後で、ひときわ大きな音が響いた。


月鏡の祭壇が崩れ落ちた。


直後、頭上の透明な岩盤の一部が砕け、黒い湖水が滝のように聖堂へ落ちてきた。


月を映していた水鏡は、濁流に呑まれ、もうどこにもなかった。

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