1-7 夢と光
ずっと故郷の城の中で生活していた割には、ルティは動けるし、走るのも速いほうだ。
とはいえ、本気で逃げる人──白猫曰く、カゲナゴリというモンスター──を追いかけ続けるのは大変なことだった。
カゲナゴリは日向を走ることができないのか、暗い路地裏や屋根の下を選んで走っており、足場が悪い場所ばかり選んでいる。
当然、待ってと叫んでも、相手は止まるどころかスピードを上げて逃げ切ろうとするのだ。
どのくらい走ったのか分からなくなる頃、ルティは息切れをどうにかするために立ち止まらなくてはならなかった。
視線の先にカゲナゴリがいるのは分かっているし、それが遠くへ走り去っているのも分かっていたけれど、ルティには永遠に走ることなどできない。少し休憩を挟まなければ。
夕暮れが迫りつつあり、日陰が増えてきた。これでは、追いかけっこもこちらが不利になるばかりだ。
「どうしよう…」
ぽつりと呟いた言葉は、誰もいない路地に吸い込まれ消える。
その場で待っていても何も進展しないのが理解っていた。
おまけに、ここは昨日来たばかりの、土地勘のない村だ。ガイルや、あの少女と合流するのも一筋縄ではいかなかった。
あてどもなく彷徨い、表通りになんとかたどり着くも、辺りはすっかり夜闇に包まれていた。
「ルティ!大丈夫か、怪我は!?…無さそうだな、良かった…」
「ガイル…ごめんなさい、私…」
ガイルの腰にあるベルトを探り見るが、やはり刀らしきものは見当たらない。まだ彼の手元には戻ってきていないのだろう。
「何も進展がないわけじゃない。一人は捕まえて、色々聞き出した。また明日、行動すればなんとかなる」
「うん……」
ルティはとにかく、休みたかった。
単純に走り疲れていたのもあったが、どこかそれ以上に、身体が重苦しかった。
宿屋に帰ったあと、部屋に戻ったルティは、そのまますぐに寝入ってしまった。
……………………………
時々、人は、夢を夢だと認識することができる。
ルティが今目の前に見ているものもまた、夢だと認識したものだった。
本が目の前に開かれた状態で置かれている。文字はゆらりと宙に浮き、ルティが読み解くのを待っているようだった。
窓の外を見やれば、空が炎で真っ赤に染まり、城の外にある建物や木々が黒くそびえ立っている。遠くの方に見慣れない巨大な像が立っていた。
本能的に、それこそが、ルティがどうにかするべき怪物であると理解した。
怪物の頭が、眼が、ルティをじっと見つめる。
そして、声が聞こえてきた。
『それ…よこせ……世界………ぼくと……』
本に視線を戻すと、文字の一つ一つが竜巻のように激しく渦巻き、ルティに襲いかかる。窓が破られ、ルティの身体が怪物のほうへと流される。
怪物の、長くて歪で大きな手指がルティのほうへと迫ってくる。
……………………………
「夢、か………」
なんとか目を覚まし、そう呟く。空はすっかり明るくなっており、手元の時計は朝の五時を指していた。
すっきりしない目覚めだった。それでも、頭の靄が少し晴れたおかげか、なぜこんなに身体が重いと感じているのか、答えを見つけ出せた。
これは、無力感だ。
もっと早く気づけていれば。もっと速く走れていれば。…あるいは、目先の報酬に釣られてカカ村を選ばなければ、カゲナゴリにしてやられることも無かっただろう。
「…とりあえず、顔を洗おう……」
普段は取らない朝食を食べるため宿屋の食事処に向かうと、すでに起き出していたガイルがそこにいた。
彼は、朝六時にもなっていないのにルティが起きていることに相当驚いたのか動きが固まっている。
「おはよう、ガイル」
「お…おは、よう…?夢じゃないよな…」
女将さんが用意してくれたトーストと、卵のおかずを口に運びながら、ルティは今朝見た怪物の夢を反芻していた。
あの寂しげな怪物はいったい、何だったのだろう。妙に真に迫ったあの夢が伝えていたのは、本当に、ただのなんでもない悪夢だったのだろうか…。
朝食をある程度食べきったころ、宿屋の扉が開かれ、少女と白猫が二人と合流した。
「ふふん、なんとあのモンスターの巣を見つけたんだ!」
「カゲナゴリの生態とこの村の地形や特徴から割り出しただけだけど、当たっている確率は高いと思うよ」
「詳しく教えて」
少女と白猫が取り出したのは、村の坑道の地図だった。
坑道は二つの入口からなる細長い道で、時々くねっていたり、道が交差したりしながら、三つの階層へと分かれている。
「カゲナゴリの生態の都合、出入り口付近に居るとは思えない。中層は巣として暮らすには細すぎるし、人の出入りが激しいから、まともに活動することができないはずなんだ。人は夜行性の動物じゃないから、ランプが必要だからね。
そういったランプが少ない場所で、かつ人の出入りの少ない暗い場所だと、まだ掘削の進んでいないこの二箇所が怪しいと思うんだ」
テーブルの上に広げられた地図の上を、白猫が歩きながら教えてくれる。
白猫の肉球が示したのは、下層の行き止まりの一箇所と、最奥の広い空間だった。
「ボク個人的には、アジトを作るなら、人がやってこなさそうな、こっちの行き止まりを選ぶよ」
「二手に分かれて捜索するか?」
「いや、この二箇所は同じ道にある。一緒に行って、あと一人を捕まえながら奪われた物も取り返す。おそらくかなりの量が積み上げられているか何かしているだろうから、人手が多いほうがあとが楽だ」
こうして三人と一匹はそれぞれに準備をし、例の坑道の前に集合した。
「万が一、ということも無いわけではないから、道が途中で合流するまで、別々の入口を通って中に入ろう。ボクとご主人サマは右の穴に向かうよ」
「俺達は、左だな」
坑道の中は、暗くて冷えていた。一定間隔を開けながらランプが下がっているため、何も見えないというわけではないものの、注意しないと小石につまづいて転びそうだった。
「…ガイル」
「ん?どうした、ルティ?」
「昨日はごめんなさい。私がもう少し頑張って追いかけていれば、刀も返せたのに」
「たしかに、得意の得物が無い状態であいつを追いかけるのは大変だったな」
「……」
「けど、俺は体術もできる。何も、武器が無いと戦えないわけじゃない。勝手が変わるのは間違い無いけど、人はどんな環境にもチャンスを見いだせる。俺はむしろ、武器が無いことであいつを油断させてから一息に捕まえることができた」
ガイルの大きな手のひらが、ルティの頭に優しくのせられる。
「まだ一緒にいる時間は短いけど、ルティがすごく優しい人だってのは理解っているつもりだ。心配してくれて、ありがとな」
「結局、私は…」
「どうしても気になるなら、このあと最後の一人を捕まえる時にめちゃくちゃ活躍してくれれば良いからさ」
ルティの胸の中につかえていた悪い塊が、少し溶けたような感覚があった。
まだ解決していない。が、解決する手段は目の前にある。それをしっかりと掴めば、事は解決できるのだ。
と同時に、ルティは一つ作戦を思いついた。
それをガイルに話し、視線を前に向ける。
光は、ルティ自身が生み出すのだ。




