1-3-37 潜入の前に
これは、ルティが絶望する、四日前の話である。
ガイル、ハルテア、トルテは、ヒラテルヒアを発ってすぐに全速力で走り出した。
泥濘む地を蹴り、ただひたすら仲間のためを思い走り続けた。
流石にずっと走るわけにはいかなかったので途中何度か休憩を挟んだが、それでも真っ直ぐに走り続けた。
目的地はエルードの谷。ヒラテルヒアから見て南西の方角にあるその谷は、人気の少ない場所であった。
昼を過ぎる頃、ようやくエルードの谷に到着したガイル達は、人目につかない高台に移動してから、目下の谷を観察した。
谷の中は、灰色の建物が乱立していた。高さも大きさもバラバラだが、どの建物も灰色に統一されている。
よく見れば、谷の中の街を歩く人々も、灰色の衣服を身にまとっていた。トルテのような愛玩動物や獣の姿はどこにも見えない。
朝露が晴れて眩しいほどの青空が広がっているからこそ、目下の谷の異常さが際立っていた。
「ここがエルードの谷…なんだか、怖いな…」
「もう少し色々と調査しないと何も分からないな。ただ、この場所はもっと人気も魔物も少ない荒れた地域だったはずなんだが…」
「ガイル、来たことあるの?」
「いや、無い。ただ、地質調査の文献は見たことがあったんだ」
青の帝国は国土の一部が荒れ地になっている。その為、五年前にこの地域の調査を通して荒れ地の再興計画が立てられていた時期があったのだ。
「よーし、とにかく突入して、ルティがどこにいるのか探し──」
「いきなり飛び込むのはやめたほうが良いよ、ご主人サマ」
「トルテ?」
「よく見てご覧よ。この谷を行き交う人々は皆、灰色の衣服を身にまとっている。ボクらのこの格好で街に飛び込めば、警戒されるだろう」
「うっ、たしかに…ノアラターンの二の舞になるところだった…」
「じゃあ、どこで灰色の服を見つけるんだ?俺らの手持ちには丁度いい服は無いけど」
トルテはしばらく考え込む様子を見せたが、やがて来た道を指さした。
「あっちに商人用の小さな宿屋があったはずだ。急がば回れだ、行ってみよう」
トルテの案内で来た道を戻り、途中に見かけた建物に向かう。
小屋というには大きいが、家というには小さい大きさの建物だ。丸太を組み建てられたその建物には、看板があり、「商売人のための宿」と書かれている。
「ここで何をするんだ?」
「商人と取引をするんだよ。ガイルとハルテアの分の衣装を売ってもらうのさ」
トルテを先頭にして、宿屋に入る。
小さいながらも温かみのある屋内で、緑のカーペットが敷かれている。二階が寝床になっているようで、一階には泊まりの商人が一つのテーブルに集まってボードゲームをしていた。
一行が中に入ると、宿の主らしき男が出てくる。
「いらっしゃい、泊まりですかな?」
「ちょっと彼らに用がありまして」
「おや、喋る猫とは珍しい。商売でもするんですかい?」
「ああ。ちょっとだけ、場所を借りるよ」
ガイル達がテーブルに近づくと、商人達が警戒したように睨みつけてくる。
一番年上に見える商人が立ち上がり、一礼したあと、ガイル達に話しかけた。
「みなさん、よい昼時ですね。先程、我々と商売がしたいという会話が聞こえましたが、一体何用で?」
「エルードの谷に入りたいのさ。この二人の分の衣服を…灰色の服を仕入れている者はいるかな?」
「ああ、それならオレが仕入れているぜ」
肌の茶色い男が自分を指さしてそう言う。彼は背もたれに置いていた自分のトランクを引っ張り出し、そこから灰色の服を二着取り出した。
ガイルが着ても問題なさそうなサイズの服が一着と、ハルテアが着たら可愛く着こなせそうなワンピースだ。流石は商人、見る目はあるらしい。
「対価は何かな?」
「話が早くて助かるぜ。あんたってのはどうだい?」
「ちょっと!トルテはあたしの相棒で、大事な仲間なんだから!売るわけないじゃない!」
あえて何も言わなかったが、ガイルもハルテアと同じ気持ちだった。
「他の対価かぁ?そうだな…じゃあフタフクロタヌキを三匹獲ってくるってのはどうだ?」
「ふたふくろたぬき?なにそれ」
「袋を二つ持つ、珍しいタヌキだ。たしか、遺伝子疾患か何かで、ごく稀に生まれることがあるっていう、生物学的に見ても伝説レベルのタヌキのはずだけど」
「えーっ、それを三匹!?」
「やらないってんならこれは売らないけどな?」
「むぐぐ…どうする、ガイル、トルテ?」
「他に手がないしな…ただ、簡単にできることじゃないぞ。ただでさえ警戒心が高くて探すのが大変なフクロタヌキなのに、さらに珍しいやつを捕まえるとなると…」
「ふむ。それでいいよ」
「えっ、トルテ!?」
驚くハルテアをよそに、トルテは商人と取引を進めていく。
ガイルもトルテを止めようとしたが、そうする前に取引成立してしまった。
「それじゃあ、頼んだぜ!生きてても死んでても良いからよ!」
商人に見送られ、ガイル達は一度宿を出た。
「ねぇトルテ、どうしてあんな無茶な取引を引き受けたの?」
「作戦があるからだよ」
「作戦?」
トルテが語ったのは、こんな作戦だった。
フタフクロタヌキは、遺伝子疾患によっても発症することがあるが、強力な魔素を含んだ果物と鶏肉を混ぜたものを与えた場合、メスのフクロタヌキもフタフクロタヌキになるという。
そのため、必要なのは、強い魔素を含んだ果物と鶏肉、それから三匹のメスのフクロタヌキ。
「鶏肉があればフクロタヌキは呼び寄せられる。その中からメスだけを選べば良い。問題は、強い魔素を含む果物を見つけることだ。この地域に自生して、かつこの季節に生える果物となると、シンジュベリーが良いと思うんだけど、どこに生えているのかが分からなくてね」
「植生とかで絞り込めないのか?」
「これでも絞り込んだんだよ。大体この森に生えているだろうことは確かだ。ただ、木になること以外分からないんだよ。さすがに、ずっと上を見て探すわけにもいかないだろう?」
「それじゃあ、どうするの?」
「一番最適なのは、マソコウモリの力を借りることだ」
「マソコウモリの力を?」
洞窟などの暗闇に生息するマソコウモリは、ベリー類を食する生物だ。真っ昼間に彼らを呼び起こすには、ガイル達が洞窟に入るか、廃魔素を大量に撒き散らすかのどちらかしかない。
それこそここにルティがいれば容易く行える作戦ではあるが、肝心の彼女を探し助けるための作戦の一つであるため、当然この手は使えない。
「どうやってマソコウモリを呼び出すの?」
「マソコウモリと話をする…というか、一方的な話ならボクに任せてほしい。ただ、ボクの耳では彼らの言葉が聞き取れないんだ。魔素のノイズが強すぎるんだよ」
「それなら、俺に任せてくれないか?マソコウモリの言葉なら、聞き取ることができる」
「へぇ、人の耳でも聞ける場合があるとは聞いたことがあるけど、まさかここにいたとはね」
トルテが驚いたように耳を立てる。
ガイルは、あの青の帝国の第一皇子の護衛だったのだ。他の護衛陣よりもさらに難易度の高いメニューをこなしていたため、ほとんどの人のできないことが、できる場合が多い。
「なら、まずは近くの洞窟に行こう。途中にあったはずだ」
トルテの案内で森に入る。
切り立った崖の近くに行くと、付近に入口の崩れかかった洞窟があった。
幸い、マソコウモリは入口の近くを、飛び回ったり逆さになって休んだりしている。
「ハルテアはここにいて待機しておいてくれるかい?ボクとガイルとで話をつけてくるよ」
「オッケー!二人とも気をつけてね!」
「行ってくる」
ガイルとトルテは洞窟に近づき、中の様子を伺った。
マソコウモリ達は人間が近づいてもあまり反応しない。彼らが人間を襲うときは決まって、高濃度の廃魔素が撒き散らされている時のみだ。
とはいえ、彼らも話しかけられれば反応するだろう。
「トルテ、準備は良いか?」
「もちろん。さぁ、作戦開始だ」




