1-3-35 願いと歌とおまじない
仕事はあるが、退屈な時間だった。
ひたすら書物に向き合うだけ。時々灰色の長衣を着た人が数人入ってきたかと思えば、ルティに話しかけることもせず淡々と仕事をして去ってゆく。
食事は正直に言えば全く美味しくなかった。クラッカーがあるおかげでなんとか飲み込めている、そんな感じだ。
まだ二日目だというのに、これでは先が思いやられる。
昼食の盆が下げられると同時に、ルグテースが部屋にやって来た。彼はそのまま部屋に留まり、ルティの様子を見ている。
「どうしたんですか、おじさん?」
「いやなに、ちょっと気になってね。もう少し離れたほうが集中できるかな?」
ルグテースがどこにいたって、とっくにルティの集中力は切れているのだから全く関係ないのだが、彼はルティから少し離れたところに移動した。
「私のこと見てていいの?おじさんにも仕事があるでしょ?」
「今の仕事は、ルティ、君が書物の解読を無事に終わらせられるように見守ることなんだよ」
「おじさんはどうして、今の仕事をしているの?お医者さんは、飽きたの?」
「飽きたわけじゃないさ。ただ、本来の仕事がこっちなだけなんだよ」
ルグテースの過去について、ルティはまるで知らない。城勤めの医者としての一面しか見ていなかったのだ。
訊いてみようとしても、集中しなさい、と言われるだけだった。
ルグテースは次の仕事があるからと、二時間後に部屋を離れた。
その直後に身体検査をさせられたが、ルティはなぜか、ルグテースが部屋にいた時より息がしやすいと心から思っていた。
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夜になり、寝室でオークルと再会する。
部屋は相変わらずしっかりと施錠されているため、外に出ることはできないが、オークルと話すのは、この常に息が詰まるような生活の中でオアシスのようなものだった。
「ルティ、今日は何したの!?」
「昨日と同じだよ。書物の解読作業」
「えーっ、それだけ!?自分、毎日違うことしているよ!今日はね、ユーパリオ地区の伝統民謡を教わったんだ!」
オークルはそう言って再びエアーウクレレを弾く。
「つまらなくないの?ずーっと同じ作業をしていて」
「多分、ちゃんと割り切れればつまらなくないんだろうけど…どうしても、仲間達と冒険していた頃のことを思い出しちゃって、あんまり面白くは感じられないかな…」
「……いいな」
「いいなって、何が?」
「冒険だよ!見知らぬ世界を、自分の足で歩く!自分の目で、輝く世界を眺める!おまけに、頼もしくて心を許せる仲間付き!…すっごく羨ましいなぁ、そりゃあ退屈になるよね…」
「オークルは、ここを出たいと思ったことはあるの?」
「一回だけ、かな。まだ音楽も禄に知らなかった頃。自分が、なんでもないオークルだった時に、願ったことがあるんだ」
今もオークルがここにいるということは、その願いは聞き届けられなかったか、オークル自身がその夢を諦めたかしたのだろう。
「昨日も話したけど、音楽を知ってからはここにいることも悪くないなって思うようになったんだよ。ルティにも、そういうのが新しく見つかると良いねぇ」
「…そういうもの、かな」
「どういうこと?」
ルティはオークルに、心の中にある不安を、つっかえながらも話してみた。
書物の解読が終わったら、ルティはどうなるのだろうか。
用済みとして、最悪の形で処分されるかもしれない。
場合によっては、復活した神の生贄にされるかもしれない。
…それだけだとしても、残酷だというのに。
「書物の解読が終わったら、私が旅を続ける理由も無くなってしまうの。…そうしたら、仲間達ともお別れになる」
ルティが旅に出たのは、人の目につかないところで書物の解読をするためであり、ガイルやハルテア、トルテと出会い、秘密を明かしたのは、書物を安心して解読するためだけだった。
このセンターで書物を全て解読してしまい、かつここを出てしまえば、ルティが旅をする理由は、もう…。
「そんなことないよ」
「え……?」
「最初に、ルティ、言ってたじゃないか。行方不明になったお母さんが、書物のことを教えてくれたんだって。なら、お母さんを探せばいい」
「お母さん、を…?」
「そうだよ。自分は肉親のことはこれっぽっちも覚えていないから愛も恨みもないけどさ。ルティは、お母さんをたしかに愛している。なら、それを探せばいいじゃないか。
だって、ルティは、ルティのための人生を歩いているんだもの。好き勝手に生きたって、悪いことしなけりゃ誰も咎めないよ」
人は誰しも、前を向いて歩く理由が必要だ。
幼い頃はそれを考えずとも前を進めるが、自分が何者であるかを理解するにつれて、理由が必要になる。
立ち止まる理由しかないと思い込んでいたルティにとって、その言葉は、新たな理由としてストンと落ち着いた。
ルティには、ルティでなければできない目的があるのだから。
「それにさ、ルティは真っ直ぐだから、きっと仲間達も手伝ってくれるんじゃないかな。自分がもし仲間だったら、必ず手伝うよ」
オークルが、ルティの両手を優しく包み込む。それはまるで、共に立つと誓う者のようだった。
「……あれ?ルティ、ポケット光らせてるの?」
「え?あっ、これ…!」
オークルに指摘されて気づく。
ズボンのポケットが仄かに光っていた。無意識のうちに、仲間のことを考えて「おまじない」を発動させていたのだろう。
ポケットから栞とペンを取り出す。
光っていたのは、栞のほうだった。
「すごい、光ってる…それも魔法?」
「うん。…おまじないなの。仲間と繋がっているっていう……」
栞が輝いているということは、ガイルがルティのことを考えているという証拠だろう。
胸の奥が熱くなる。
ガイルは、ハルテアは、トルテは。まだ、ルティのことを忘れようとしていないのだ。
いなくなった仲間のことを、それでもまだ隣に立つ人として思ってくれているのだ。
目頭まで熱くなって、頬に涙が伝う。
「えっ、あれっ、ルティ、泣いてる!?えっと、どうしよう…!」
オークルが慌てて辺りを見回し、布団を引っ張ってルティに差し出す。
流石に毛布で目を擦ると目が腫れそうなのでやめておいたが、涙は止まりそうにない。
ほんの二日しか離れていないのに。会いたい、懐かしいと思う気持ちが収まらなかった。
絶対助けてやるからな、とガイルの声が聞こえた気がした。
数分経ってようやく涙が収まり、やっと普通に落ち着いて話ができるようになった。
「オークル、ありがとう。また、立ち上がる理由ができたよ」
「どういたしまして。もう大丈夫なの?」
「うん」
「そっか。……そうだ、また歌っても良いかな?」
「また思いついたの?」
「歌のインスピレーションは、常に思いつくのさ。思いつきすぎて、困っちゃうときもあるくらい、思いつくのさ」
「それ、大丈夫…?」
「心配ありがとう。それじゃ、一曲……」
『母なる愛を求め、知識の海を泳ぐ旅人よ
いつかの喜びを、いつかの約束を胸に前に進めば
かけがえのないものを見つけることができるだろう
やがて旅が終わる時、忘れられない宝物を
そなたが選び取れるその時まで、共に戦おう』
「短かったけど、どうかな?」
「ありがとう、オークル。素敵な歌だった」
「それならば良かった。さて、そろそろ日も昇る時刻だね」
「えっ、もう?」
「楽しい語らいの時間は、飛ぶように過ぎ去るものさ。さぁ、後に備えて瞼を閉じ、休息をとろうではないか!」
「オークルってたまに、舞台みたいな喋り方をする時あるよね…」
「えっ、そう!?」
「年相応な時もあるけどね」
このまま本格的に眠るとまた遅刻することになりかねないので、微睡む程度に眠る。
夢とも現ともつかない世界で、仲間の声が聞こえた気がして、ルティはほっと一安心した。




