1-3-34 オークルという青年
「間もなく午後十一時となります。就寝の準備をお願いします」
世話役の女性がそう宣言する。彼女は、部屋の奥にある謎の扉を指さした。
部屋には、大きな二段ベッドが一つと、洗面台が二つ置かれているのみのシンプルな部屋だった。時計はあるが、窓はない。
「こちらは共同寝室となります。…上にもうオークルがいるので、ルティレット様は下のベッドになりますね」
「オークル?」
「隣の部屋で生活している被験体です。さ、さっさと横になって下さい」
ルティがベッドに横になると、世話役は電気を消してから扉を施錠し、去っていった。
しばらくの間、寝室は静寂に包まれていた。聞こえるのは、上のベッドで寝ているという人物の呼吸する音のみ。
窓が無いため、暇を潰すことも難しい。さっきまであんなに散々、嫌になるくらい書物に向き合っていたのに、もう解読作業をしたくなってきた。眠れないせいだろう。
瞼を閉じても、寝付けそうに無い。仲間達の幻影が見えるばかりで、短くも充実した冒険の毎日が繰り返されるばかりだった。
頭の中で数字を数えてみる。かえって覚醒してしまうだろうが、はじめから寝付けそうにないのだから暇つぶしには丁度いい。
そう思って、一を数えた瞬間だった。
「ねぇ、キミ!!」
「うわぁっ!」
上のベッドの人物が急に勢いよく覗き込んできたのだ。その目は薄暗がりの中でもキラキラと輝いている。
「新しく来た人だよね!?名前は?どこから来たの!?」
「え、えっと、ルティです。ディルナッケという城に住んでいました」
「ええっ!お城暮らしだったの!?お姫様とか?それとも、凄い騎士の娘とか!?」
「ええっと、そのどちらでもないです…」
「ねぇねぇ、聞かせてよ!キミのこと!あ、自分はオークルっていうんだ!キミの名前は!?」
「えっと、だから、ルティです」
「あっ、ごめん。また訊いちゃった。自分の悪いところなんだよね」
少年とも少女ともつかない人物は、喋りながら二段ベッドを降りてくる。ルティも上半身を起こし、オークルを観察した。
美しい金髪の人物だ。年はルティと同じくらいか、少し上くらいだろう。肩まで伸びた金髪はさらさらで、キラキラと輝く赤い瞳はルティのことをそれはもう興味津々、といったように見つめている。
「キミのこと、聞かせてよ!」
オークルが再びそう言い、ルティの横に座る。
どうせ暇なので、ルティは生まれてからのこと、城でのこと、城を出てから行った冒険のこと、そしてここにいる理由などの全てを話して聞かせた。
オークルは、言葉こそ挟まずに聞いていたものの、リアクションが大げさなところがあり、時々ルティの意識がオークルの動作に向いて話が止まることもあった。
「こんな感じ。オークルは、どうしてここにいるの?」
「正直に言えば、分からないんだ。自分、ここに来る前の記憶がきれいさっぱり無くなっててさ。自分の名前だけしか残っていない、空っぽだった。
ここの人達は確かに厳しい雰囲気をしているけど、それでも自分に役割を与えてくれた。だから、自分はここにいる」
「役割って?」
「歌うことと、語ることさ!」
オークルはそう言って、エアーで弦楽器を──構え方からして、ウクレレか何かっぽいが──弾いた。
「せっかくだし、キミの冒険の一端を歌っても良いかな?」
「ええっ、外に聞こえちゃうんじゃ…」
「大丈夫だよ。自分、知っているんだけど、就寝時間になると外の人もめっきり少なくなるし、何よりこのフロアはどの部屋も超防音なんだって!たとえ大きな声で歌っても、誰も咎めないよ。毎晩歌っている自分が保証する!」
「じゃあ、ちょっとだけ」
「ちょっとだけで良いの?まぁいいや。じゃあ、キミの冒険の一幕…水中都市ノアラターンの冒険を歌に載せよう」
『白猫よ、故郷の地を踏み帰還せよ
水柱立つ美しき湖と、罪人の街ノアラターンへ
三人の勇者は忍び込む、神の獣を救うべく
荒波切り裂き刃が振るわれ、仲間の声に前を向く
人々救われ歓喜の声が上がり、勇者らは密かに街を発つ
彼らの行く末に正義は常にあり、友を願う声は歌にのせられどこまでも、どこまでも響きゆく』
ルティは歌についてはあまり詳しくはないが、心に映像が浮かび上がるような、素晴らしい歌だった。
「どうだったかな?」
「すごい…ちょっと話しただけなのに、ここまで鮮明に歌えるなんて…!」
「えへへ、自分の唯一…いや数少ない特技だから!」
「いつから歌を歌うようになったの?」
「んー…気づいたら歌っていたよ。なんとなく渡された楽器を使っていたら、楽しくなっちゃって。それからかな。あ、でも」
「でも?」
「自分、笛はちょっと好きじゃない。演奏はできるんだけど、笛を吹きながら歌うことはできないから。そう考えると自分は、演奏するより歌うほうが好きなのかも」
「特技…か」
「ルティは特技、何かある?」
「魔法は得意かも。お母さんが、古代文字の解読と一緒に教えてくれたから」
ステッキは回収されているため、あまり大掛かりな魔法を使うことはできないが、手元を明るくするくらいの魔法なら使うことができる。
手のひらを上に向け、意識を集中させる。
やがてぼうっと小さな光が灯り、部屋を明るくさせる。
「おおっ!魔法、知ってはいたけど見るのは初めてだ!」
「多分このくらいならオークルにもできるんじゃないかな?」
「教えて教えて!」
オークルに頼まれ、ルティは簡単な光の魔法を教える。
オークルは飲み込みが早く、すぐに光の魔法を使えるようになった。
「わおっ、すごい!自分にも使えた!」
「良かったね」
「これで、暗闇に呑まれたとしても迷わなくて済むだろうな!」
もう少し話していたかったが、時刻は午前四時を指しており、流石にそろそろ寝なくては翌日に影響がありすぎるということで、二人ともベッドに戻り横になった。
どうにか、息が詰まることなく暮らせる友を得たようだった。
それに安心してか、ルティはすぐに眠りに落ちた。夢のない、深い眠りだった。
…………………………………………………
「…ください、起きて下さい!」
声がして目を覚ます。世話役の女性が寝室に入り、ルティの体を揺さぶっていた。
「もう六時十五分です!いい加減起きて下さい!」
「おはようございます…」
「もう…早く顔を洗って下さい。本日のルーティンに入りますので」
世話役はそれだけ言って、寝室を離れた。
洗面台で顔を洗っていると、オークルが囁いてきた。
「こっちを見る人がいる間はお喋りできないけど…また今夜、話をしようね」
それじゃあ、と言ってオークルは、もう一つの扉を通り、隣の部屋に入る。扉が閉められ、ルティはまた一人になった。
寝室を出ると、世話役の女性が苛立ったように立っているのが見えた。腕時計をしきりに確認している。
「あの…?」
「来ましたか。すでに二十分遅刻です。明日は遅刻しないように。では、机に向かって下さい」
ルティが着席し、書物を開くと、世話役の女性は昨日と同じように部屋を離れた。
昨日一日、集中的に解読作業を進められたからか、書物の未解読の部分はかなり少なくなっていた。
どちらかといえばこれからは、書物全体の文章を読んで内容を理解し、示すものを考察する段階に入るだろう。
「神を復活させるには…最果ての魔法の読み取り方を理解する必要がある……」
最果ての魔法とは、一体何のことなのだろうか。
古い歴史の最果て?それとも、この円環する世界の最果て?あるいは、ルティが想像できないような何か別のものの最果てなのだろうか。
答えは、一人で出すしかないだろう。
ルティの胸の奥にへばりつく孤独感は、簡単には消えそうになかった。
「お母さんは…何でこれを私に託したんだろう…?」




