1-3-33 灰色の沈黙
馬車の閉ざされた車窓の外を、森の影が飛ぶように過ぎ去ってゆく。
図書館を離れ、大切な仲間達──ガイル、ハルテア、トルテと別れることを決めた日、ルティは逃げ隠れしていた集団の前に自らを差し出し、自ら攫われた。
ルティが解読している書物は、神エヌプスの復活の是非に関わる重大なもので、恐らくそれを狙ってのことだろう。
灰色の長衣を着た集団は、現在三つの馬車に分かれて乗車している。ルティが乗っているのは、その二つ目の馬車だ。
幸い拘束などはされていないが、監視の目は常にぎらぎらとルティを見ている。
逃げるつもりなどは無かったが、内心不安と心配でいっぱいだった。
仲間達を残した図書館に、武装した集団が入っていったのをただ眺めることしかできなかった。
もし彼らがガイル達を見つけて──そのまま見逃してくれるのだろうか。
否、おそらく彼らは仲間達に剣を向けるだろう。その命を断つために。
仲間達の実力は知っているが、それでも不安なものは不安だ。
心の中で、仲間達の無事を祈る。どうか、彼らが五体満足で生きていられますように。
沈黙が車中を包みこんでいる。長衣の人々は一言も発さず、どこを見ているのか分からない。うち一名は書類のようなものをぺらぺらと捲っているが、内容を禄に見ているようには見えなかった。
ルティもまた、喋りかけることも特に無かったため、無言を貫く。
外の景色が昼の青から夕暮れの茜に変わる頃、馬車が止まった。
灰色の長衣を着た人々と一緒にルティも馬車を降りる。
目の前には、様々な建物の並ぶ谷が広がっていた。ルティは旅の経験が浅いためここがどこなのかは分からないが、かなりの僻地のはずだ。きっと、ルティを攫った集団が生活するための場所なのだろう。
現に、建物の多くは灰色で無機質な感じがするし、活気があるようでもない。ただ必要だからそこにある、という感じだ。
一番近くにいた女性がルティの腕を掴む。そこそこ強く引っ張られ、谷の奥地へと向かう。
入口のほうからは見えない場所に、大きな建物があった。高い塀に囲まれた、頑丈そうな灰色の建物だ。
そのまま人々は建物に入ってゆく。
正面玄関を抜け、左の廊下を進む。病院のような廊下は薄暗く、やはり無機質な感じがある。
いくつかの扉を横目に通り過ぎる。どの扉の先にも灰色の長衣を着た人がいて、何かの実験をしていたり、記録をとったりしていた。
角を右に曲がったところで、ルティを連れた女性は集団から離れ、白い扉の部屋に入った。
部屋の中には、空っぽの棚が二つ、衣服の入った籠が一つ、衝立が一つあるだけの殺風景な部屋だった。
明かりがつけられ、女性が衝立を移動させる。
「ルティレット様。こちらの衣服に着替えて下さい」
「は、はい…」
女性が衝立の向こうに立つ。ルティが逃げないように見張るためでもあるのだろうか。
籠の中を見る。てっきり灰色の服でも入っているのかと思ったが、中に入っていたのは真っ白な服だった。半袖のシャツに灰色の長ズボン。それ以外は無い。
衝立の向こうにいる女性に気づかれないようにそっと素早く、今来ている服のポケットに入っているものを白服のポケットに移し替える。
ガイルと繋がる銀の栞と、ハルテアと繋がる赤いペンだ。
どちらも、ルティ以外が触れたり見ることができないように魔法をかける。
おそらくあとで持ち物検査も行われるだろうが、その時にバレないようにするためだ。
監視の女性に怪しまれないように素早く着替えを済ませる。
「おまたせしました…」
「では、行きましょう」
再び女性がルティの腕を掴む。廊下を進み、正面にある「関係者以外立入禁止」と書かれた黒い扉を開く。
地下に続く階段があり、それを三階分ほど下ると、灰色の扉にたどり着く。扉の上下には錠前があって、女性が鍵を取り出して錠を開けた。
そのフロアには、上の階で見たのより大きな部屋がいくつかあって、そのどれも、大きな窓が全体に嵌め込まれていた。
部屋の中はほとんど空っぽで、二部屋だけ中に物が置かれている。
うち一部屋は椅子と姿見が置かれているだけだ。
そしてその隣のもう一つの部屋に、ルティは通された。
机と椅子が一対のみ置かれた部屋だ。奥の方には扉が一つあって、開かれた先には二段ベッドが置かれている。誰かいるようだが、今近づくのは難しそうだった。
「まもなく副所長が参りますので、ここでお待ち下さい」
女性がそう言って部屋を離れる。
が、部屋の外にはすでに十二人の研究者のような人がいた。
各方面の窓につき三人だ。うち二人が部屋を監視し、一人が記録をとるスタイルなのだろう。
下手な動きはしないほうが良い。今はただ静かに、副所長だという人が来るのを待つほうが賢明だろう。
………………………………
ドアがノックされる音がして、まもなく開かれた。
そこにいたのは、ルティが今一番会いたくない人物だった。
「…おじさん」
「やぁ、ルティ。元気にしているかい?」
ルグテース。
ルティが城にいたころ、仲良くしていた医者であり、ルティの秘密──書物のことを、始めから知っている人物だ。
彼の腕の中には、馬車に乗る前に奪われたルティの書物がある。
「おじさん、何でここにいるの。何で、それを持っているの…?」
「わたしにも色々と立場というものがあってね。今のわたしは、このセンターの副所長という役割となっている。これは、部下に渡されたものだ」
ルグテースは部屋の中央にある机に書物を置いた。
そして椅子を引き、その背もたれを軽くぽんぽんと叩く。こっちへ来なさい、と言われているようだ。
ルティは素直に椅子に近づいた。
「とはいえ、わたしは君を傷つけたくはないし、させたくもない。素直に言うことを聞いてくれ。そうすれば、誰も傷つかずに済むだろう」
「…何をすれば良いの?」
「聡明な君なら気づいているだろうが…この書物の解読を完了させることだ」
書物の横に黒いペンと灰色のノートが置かれる。これで解読をしろということなのだろう。
「すまないね、できればもう少しゆっくり話していたいんだが、わたしは忙しい立場なんだ。細かいことは、君の世話役が教えてくれる。どうか彼女の言うことに従ってくれ。できるね?」
「…………はい」
ルティの返答に満足の意を示したルグテースが部屋を出る。
入れ替わりに、灰色の長衣の女性が入ってきた。ルティをここに連れ込んできたのとは別の人だ。
「本日よりルティレット様の世話役をするものです。では早速、ここでのルーティンについてご説明いたします。
二時間経過ごとに、我々による身体検査と進捗の確認を行います。
食事はきっかり六時間ごとにとっていただきます。
就寝は午後十一時から午前六時まで。何か質問事項はありますか?」
「い、いえ…」
「ならば早速始めましょう。さぁ、着席して下さい」
──それからは、あまり面白みのない時間が始まった。
ただひたすら書物に向き合うだけ。自分が持つペンが紙面の上を走るサラサラとした音のみが響く、静寂の空間。
たまにそれが遮られると思ったら、世話役の女性がやってきて、体温計を使ってルティの熱を測ったり、血圧の測定なんかをしたりする。
一度訊いてみたところによれば、ルティが体調を崩さないように記録を取るためだという。
それが終われば再び机に向かう。
「ルティレット様、食事の時間でございます」
世話役が持ってきたのは、灰色の皿に並べられた得体のしれないぷるぷるの何か。あとクラッカーだろうか。
「…これは?」
「我々の食事と栄養を管理する部門が開発したものになります。身体に必要なものがバランスよく含まれております。少々塩気は足りないかもしれませんが、不味くはありませんよ」
世話役に勧められて、とりあえず一口食べてみる。
…全く甘くないゼリーみたいな味と食感だ。ぷるぷるとした滑らかな舌触りのため、なんとか飲み込むことができるが、ここまで味が無いものは食べるのも大変だし飲み込むのも大変だ。一体どうやって作ったのか疑問になるレベルだった。
無理やり全部飲み込み、口直しにクラッカーを食べると、皿が下げられ世話役も部屋からいなくなる。
誰もいなくなったことを確認してから、ため息を吐いた。
監視の目があるため、怠けることも下手な動きをすることもできない。
自分が想像していた何倍もの疲労を感じたが、これを和らげてくれるような仲間達の影は、当然そこにはいないのだった。




