1-2-27 ヒラテルヒアの冒険(2)
昨日のもやもやは晴れなかったものの、結局ルティに訊くことができず、出発の時刻になった。
「今日はもっと遠くまで行くんだよね。どのあたりまで行くんだっけ?」
「とりあえず、氷の迷獄までだな。ちゃんと防寒着持ってきたか?」
「出発前にボクと一緒に確認したから大丈夫だよ」
「それじゃ、しゅっぱーつ!」
昨日と同じように鯨の背に乗る。今度はトルテを支えるのはガイルが行うことにした。
「俺の膝の上でも大丈夫か?」
「ありがとう、平気だよ」
鯨がゆっくりと滑るように進み出す。
数時間すると、昨日訪れた草原にやって来た。
「今日はここから先に行くのよね?」
「お願いしまーす!」
今度はそのまま真っ直ぐに進む。
やがて辺りが暗くなり、硬い岩に囲まれた巨大な洞窟に突入した。
「ここは迷いの洞窟よ」
「なんで迷いの洞窟なの?」
「そういう本が多いから…というのもあるけれど、ここ、落ちたらそう簡単に出られないのよ」
「たしかに入り組んでいるようだね」
「次の氷の迷獄のほうが優しいくらい。でもあっちは、"答えが明確な迷い"をテーマにしている本が多いから、一応テーマの棲み分けはされているのよ」
「落ちないように気をつけないとな」
「まぁ、万が一落ちても、風の吹く方に進めば氷の迷獄にたどり着けるわ。帰る時が大変だけど」
一行がそうやって話している時だった。
「グオオオーーーン!!」
背後で耳をつんざくような大音量の咆哮が起こる。振り返ると、真っ白の竜がこちらに向かって飛んできていた。
「まずいわ!しっかり掴まってちょうだい!飛ばすわよ!」
鯨の声にガイルとハルテアが手綱を握り込むとすぐ、ぐんと加速する。
体勢を崩したハルテアを支えながら、ガイルはなんとか応戦できないかと竜の姿を観察した。
白銀に輝く硬そうな鱗に全身を覆われ、鋭い鉤爪のある前腕がこちらに向かって伸ばされている。目が異様なほど血走っており、焦点が合っていない。
(まさか…何かに操られていたり…?)
ガイルがそう考えた時、竜が一段と加速した。
その頭が鯨の尾鰭に直撃する。
勢いのまま鯨がどこか遠くに飛び、ガイルとハルテアは鯨の背中から落ちてしまった。
二人の悲鳴が洞窟に反響する。落下による強い衝撃のあと、ガイルは意識を失った。
…………………………………………………
一人孤独に机に向かっていたルティは、昼食を告げるベルが鳴ったことに気づいた。
もし何もなければそのまま食堂に向かったかもしれないが、今日は──今日からは、そうするわけにはいかなかった。
事前に用意した手紙を机の上に置き、荷物を整える。部屋を片付け、わずかな持ち物をベッドに揃えておいた。
部屋を離れ、一度ロビーに向かう。
案の定ロビーにいたベリオーロが、ルティに気づきやって来た。
「いかがなさいましたか…?」
素早くステッキを構え、彼女が怯むより早く、眠りの魔法をかける。
かなり強力な術をかけたおかげか、ベリオーロは何も言わずその場に倒れ込み、寝息を立て始めた。
彼女の小さな身体を、安静に眠れる位置に移動させ、その手に手紙を挟み込む。
「ごめんなさい、お世話になったのにこんな別れ方で。…ゆっくり眠っていて下さいね」
再び部屋に戻り、まとめておいた荷物を持って、ロビー背面の大扉に向かった。
振り返って、辺りを見渡す。
周囲には、誰もいない。頼れる仲間は皆、冒険に出ていてここにはいない。
…こうすれば、しばらくは巻き込まずに済むだろう。
大扉を開き、ヒラテルヒアの外に出る。
少し歩くと、音もなく周囲から灰色の長衣を着た人々が現れた。
「…約束通り来たようだな。他の者は?」
恐怖に声が震えそうになるが、それをどうにか隠して応える。
「彼らは図書館の奥に。具体的にどこにいるのかはわかりません」
「そうか。第一部隊、ルティレットを保護し、センターへ安全に連行するように」
隊長らしき男が言うと、一部の者がルティを取り囲んだ。
「…それから、第二部隊及び第三部隊は図書館に突入し、他の者が我々の追跡をできないように攻撃しろ。殺しても構わん」
「………!!」
聞いていないことを宣言された。何も言えないルティの横を、数十人が通り過ぎて扉を潜る。
「…っ、待って!」
「待たない。さぁ、我々はセンターに向かうぞ」
「彼らはっ、ガイル達は…!」
ルティの抵抗はむなしく、やがて扉の見えないところに連れて行かれ───
……………………………………
「ガイル、ハルテア!」
トルテの声が耳元で反響する。ガイルはゆっくりと目を開け、周囲を見渡した。
辺りは薄暗く、涼しいと感じるほどの気温だ。湿った空気が漂い、岩石や砂礫の特有の匂いで満ちている。
近くにはハルテアが横たわっており、魘されているようだった。
ガイルはハルテアの肩を揺すり、彼女を起こす。むにゃむにゃと呟きながらハルテアは目を覚ました。
「あれ…ルティは…?」
「ハルテア、また夢を見ていたのかい?」
「うん…」
寝ぼけ眼のハルテアが両手で目を擦る。
「目、腫れるぞ?」
「へーきだもん…」
心配そうな表情のトルテがハルテアの膝に乗り、彼女に尋ねた。
「今日は…どんな夢を見たの?」
「ルティがね…ふわぁ…知らない男の子とおしゃべりしてたの。それだけ」
「そっか」
ハルテアとトルテのやり取りに疑問を抱いたガイルは、トルテに訊いた。
「それって、つまりどういうことだ?」
「…ハルテアはね、予知夢を見ることがあるんだ。どのくらい先まで見えるのかはハッキリしないけど…大抵の場合、ハルテアが直接手出しできないところで起こる未来が見えるみたいなんだ」
「ハルテアが直接手出しできないところ……」
そこまで考えて、ふと思い出した。
トルテが心配そうにハルテアに話しかけたのは、この図書館に来て二回目だ。…それも、どちらもルティのことを夢に見ていた。
まさか、ルティに何かあったのか。
懐から銀の栞を取り出す。薄暗がりの中で掲げたそれは、ルティからの魔法を受けてぼんやりと光っていた。
「何も起こっていないといいんだけどな…」
大事なものなのでなくさないようにしっかりしまい込む。
ハルテアの意識が覚醒するまで待ち、ガイル達は状況を確認し合った。
「まず、ボクたちは白い竜に襲われてここに落ちたね」
「あの鯨さん、どこかに行っちゃったみたい。戻ってくるかな?」
「分からない。あの鯨がどこまで飛んでいったのかにもよるだろうね。ひとまず俺達は、ここを出たほうが良いと思うんだ」
「魔物、多そうだもんね」
近くには魔物の姿は見えないが、気配だけは周囲に満ちていた。
「さっきのところに戻れれば良いんだけど、あの崖だとかなり難しいよね」
ハルテアが指さしたのは、ガイル達が落ちてきたかと思われる急な崖だった。高さは二十メートルくらいあるだろうか。
「君たちが登れても、ボクが登るのは無理だろうね」
「じゃあ、反対方向は?」
振り返り、ハルテアが指さした方向を見る。上下に二つ並んだ通路があり、一方は暗闇に、一方は光の方に続いている。
「どっちだよ」
「えー!光っている方じゃないのー!?」
「いや、よく見てご覧。ここがどこだか、忘れていなければ…選ぶべきは下の通路だと思うよ」
トルテが示した先──暗闇の通路には、間隔を開けて本棚がまばらに並べられている。
「あー…なるほどぉ……、じゃあ、あっちだねっ!」
「本棚を目印に進もう。うまく行けば、外に出られるはずだ」
一行は目的の方向に向かって進み始めた。




