1-2-26 ヒラテルヒアの冒険(1)
「これは…どういうことだ?さっきまで俺達、屋根の下にいたよな…?」
ガイルの問いに、鯨がクスクスと笑う。
「実は今もまだ屋根の下なのよ。特別な空間に入っただけだから」
「特別な空間って何ー?」
「書物が語る心象空間、といったところかしらね。それぞれの物語には、主要なテーマがあるでしょう?本は、そういった空間に連れて行くと、ワクワクしてしまうものなの」
「聞いたことないし、見たことないんだけど…?」
「あなたたちが本を見るところって、専ら図書館でしょう?そういったところが"本拠地"な本ってちょっとしかないのよ。だから気づかないの」
「この太陽の光、本物のそれによく似ているね」
「褒めてくれてありがとう。嬉しいわ」
さっきまで天井高く並べられていた本棚はすっかり見下ろせるところに並べられており、収められている本は同じようなものばかりになっていた。
「どう?気に入ったかしら。冒険の最初に訪れる場所として、最適だと思ったの」
「青空、爽やかな風、緑の草原…たしかに、よくある感じのイメージぴったりだね」
「他にもこんな感じの空間がいくつもあるのか?」
「数えられないくらいは。語り手の数だけ心象空間があるから、必然的にどんどん増えていくのよ」
流れる景色を眺めつつ、どこか遠くに白い竜がいないかどうか、辺りを見回しながら進む。
およそ二時間後、ハルテアのお腹が鳴った。
「もうそんな時間か…ここらへんで昼食にするか?」
「そうね、ではあそこで止まりましょう」
ガイル達が鯨の背から降りると、ちょうどよくベンチのある道端を見つけた。
ベンチに腰掛け、事前に準備してきた弁当を食べる。
「この先は、どんなところになっているんだ?」
「まっすぐ進むなら、迷いの洞窟、氷の迷獄、首落ちの滝、花の温床、そよ風の崖…とかかしら?他にもあるけれど」
「…なんか物騒な単語が出てこなかったか…?」
ガイルの隣で手作りサンドイッチ──ハムカツ二枚とレタスを数枚挟んだもの──をガツガツ食べていたハルテアが言った。
「図書館の白い竜は、どの辺りにいるのかな?」
「首落ちの滝と花の温床の付近によくいるわ」
「マジかよ…」
「到着するのにどのくらいかかるの?」
「およそ三時間で次のエリアに行くから、三掛け四の…大体十二時間くらいかしらね」
「往復で丸一日か…今日は難しそうだな」
「そっか、夕食には帰る予定だもんね」
「この辺りを軽く調査したら、ルティのところに帰ろう」
「オッケー!」
昼食を食べ終えたガイル達は、付近の本棚を調べることにした。
二人の背丈より少し高い程度の高さの本棚が、それぞれ少し離れた場所に設置されている。向きはバラバラで、正面を向いているものもあれば、斜に構えているもの、後ろを向いているもの、中には上下逆さまな本棚まである。
二人はなんとなく一番近くにあった本棚に近づき──すぐに飛び退いた。
というのも、本棚の真下の地中が膨らみ、鋭い鉤爪をもったモグラのような生物が現れたからだ。
「これが、本棚を守っているっていう、魔物?」
「だろうな。けどこれじゃ、本を取り出すことも読むこともできなさそうだな…」
「ふふ、読みたいと思う心があれば、勝手に退いてくれるわ」
いつの間にか二人のそばに来ていた鯨がそう言う。
「そうか。やってみよう。念じるだけで良いのかい?」
「ええ。言葉に出したらなお良しよ」
「さて…ボクの仲間たちはその本を手に取ってみたいそうだ。少しだけ離れていてくれるかい?」
トルテがそう言うと、モグラの魔物が頷き、穴の中へと戻っていく。
「いちいち戦わなくて良いのは助かった。調べものの度に体力を消耗するとなると、先が遠くなるからな…」
「この本棚、一巻ばっかり並んでる!不思議だね!」
「ん…?本当だ、全部シリーズものみたいなのに、一巻しかない。他の本棚もそうなっているのか?」
別の本棚に向かう。再び現れた魔物にハルテアが対処し、本棚を調べた。
「こっちも最初の巻しか無いみたいだよー!不思議だね!」
「まさか…さっき言っていたことに関係していたりはしないだろうな…?冒険の最初がどうのこうのってやつ」
「ええ、正解よ。ここには、『心躍る最初の物語』が集まっているの」
「なるほど…それぞれの空間にあるテーマの本質が分かれば、必要な本がある場合に見つけやすい、というわけだね」
「いや、シリーズものはシリーズでまとまってたほうが読みやすくないか…?」
………………………………………
草原を離れ、もと来た道なき道を遡る。
調査の収穫らしいものは何もないが、目当ての行く先はある程度絞り込めたのだ。あとはそれに向けて準備するだけだった。
鯨の背に揺られ数時間経過する頃、ガイル達はようやく最初の書架のフロアにたどり着いた。
「ふー、疲れちゃった…」
「たった半日、それもほとんど鯨の背中に乗っていただけだろ?」
「意外とバランス取るの大変だったんだからー!ガイルは鍛えているから分かんないかもしれないけど!」
「あー…悪い。気づかなかっただけだ」
「ボクが自分で留まれるようにできれば良かったんだけどね」
トルテはずっと、ハルテアの膝の上に抱えられていたのだ。彼の小さな身体では、手綱に掴まっているのも簡単なことでは無かった。
「次回はそこをどうにかしよう。…ひとまず、ルティとベリオーロに、戻ってきたことを伝えようか」
ロビーに戻ると、片隅で一人チェスをしていたベリオーロがやって来た。
「おかえりなさい。冒険の旅はいかがだったでしょうか?」
「草原見てきたよー!」
「まぁ、まずまずってところだな。明日、もっと遠くまで調べてみるつもりだ」
「了解しました。夕食の準備がもうじきできます。よければ食堂にどうぞ」
「ありがとう、そうさせてもらうよ」
食堂に続く廊下に差し掛かると、個室からルティが出てきた。
「あ、みんな。おかえり、どうだった?」
「調査はまずまず。明日、もっと遠くまで調べてみる予定だ。ルティはどうだった?」
「作業をしていたよ。そこそこ進んだと思う」
「まだ先は長そうか?」
「うーん…半分くらいだから、どうとも言えないかも…」
「もう半分なのか。すごいな」
「そうかな…?」
「すごいよー!あれ、めちゃくちゃ分厚いもん!あたしには無理!」
「おや?探偵モードのご主人サマならできそうだけどね?」
「普段のあたしは無理ってこと!探偵モードだって、永続じゃないもん!」
そんなことを話しながら食堂に入った。
「あ、そうだガイル。あとで私の部屋に来てくれない?」
「いいけど…俺一人でか?」
「うん。話したいことがあって」
「分かった」
夕食を食べたあと、約束通りガイルはルティの部屋を訪れた。
「話したいことって、なんだ?」
「おまじないのことなんだけど…」
躊躇いがちにルティが話し出す。ガイルは、懐に大事に持っていた銀の栞を取り出した。
「これが、どうしたんだ?」
「もうちょっと、強めてもいいかな?」
「いいけど…どうして?」
「そのぅ…冒険で、遠くに行っちゃうでしょ、だから大丈夫かなって、気になっちゃう、かな…」
ガイルは、ルティが嘘をついていることに気づいた。
「本当の理由は…話せないのか?」
「ゔっ、もうバレた…じゃなくて…うん、話せないの。今はまだ」
「ルティの身が危険な目に合わなければ、なんでもいいよ」
「……………」
「その沈黙はなんだ…?」
「ううん、心配してくれてありがとう。それ、借りるね」
ルティの手のひらに銀の栞を乗せる。
温かな橙色の光が彼女の手のひらに集まり、それがやがて銀の栞に吸い込まれていく。
「うん、これでおまじないも強くなった。……これで、かなり遠くにいても場所が分かるようになったと思う」
「そうなのか?」
「うん。多分、街三つ分くらいは余裕で」
「そんなに高性能にする必要あるのか…?」
「きっとあると思う。詳しくはまだ話せないけど」
ガイルはおまじないの強くなった銀の栞を再び懐にしまいこんだ。
「明日は朝から晩まで調査するから、ほとんど顔を合わせないと思う。他に話したいこととかあるか?」
「そう、だね……。私、みんなを信じてるから。このことは、今伝えておきたいかも」
「とりあえず、あとでハルテアに会ったら伝えておくよ。…おやすみ」
「おやすみ、ガイル。…────」
ルティが素早く扉を閉め、鍵をかけた。
廊下に取り残されたガイルは、ルティが直前に呟いた言葉の意味を探っていた。
「どういう意味なんだ、ルティ…?」
(さようならって…なぜ今言うんだ?)
答えが見つからないまま、ガイルは自分の部屋に戻った。




