1-1-20 荒波の白狐
ルティ達が武器を構えるより早く、鋭い水の刃が一行を分断させる。ルティとハルテアは左に、ガイルは右に跳んで避けた。
間髪入れず波が部屋に押し寄せ、足元をぐらつかせた。
マルの瞳が恐ろしいほどぎらぎらと輝き、ルティ達を獲物として睨みつける。
「マル!しっかりして、私達だよ!」
「そうだよ!エルテのことを思い出して!」
ルティもハルテアも声をかける。
が、マルに言葉は届かず、波が膝の高さまで押し寄せ、水の刃が走る。
二人はなんとかガイルと合流しようとしたが、泡立つ波の壁が邪魔をして先に進めない。
仕方なくハルテアが構えをとり、ルティもステッキを取り出す。
まずは、マルを落ち着かせなくては。
ハルテアが飛び出し、マルに近づく。彼女を攻撃するため飛ばされた水の刃を、ルティが遠隔で反らしたり壊したりする。
打ち寄せる波が部屋を満たしつつあるが、ルティが天井の空気を呼び出して周囲に敷き詰め、足元を安定させた。
「マル、ごめんね!──ルティ、合わせて!」
ハルテアが拳を突き出し、ルティが彼女の握るナックルに茨を巻き付ける。
彼女の一撃が当たる直前にマルが上に避け、ハルテアはその勢いのまま顔から着地した。
ハルテアの身を助け起こそうと近づきたいのに、発生した波によって後退する。
ただでさえ、ルティとハルテアは戦闘経験が浅い。その上、相手は神獣と称される生き物だ。
「ハルテア!」
起き上がったハルテアがこちらに手を振る。意識は問題無さそうだ。鼻血が出ているのが心配だが。
マルが苦しそうに身体を捻る。ウミザケには激痛を伴うというが、それの影響だろうか。
ルティは、癒しの魔法の準備をした。魔素を練り上げるのに時間がかかるが、確実に相手の痛みを取り除く特別な魔法だ。しかし、術の準備をしている間、ルティはろくに動くことができない。
「ルティ!」
波の壁を切り裂き、ガイルが現れた。怪我一つしていない。
「ガイル、しばらく一人で戦える?」
ガイルは少し考えたあと、ルティの持つステッキの先が仄かに光っているのを見てから、頷いた。
ガイルが刀を構え、走り出す。急所は避け、攻撃をひたすら相殺していた。
その間、ルティはひたすら術式を完成させるべく詠唱していた。
「──その傷を癒し、満たし、塞げ。聖なる流れが留まることのないように。苦しみと悲しみの根源が心の傷を抉る前に傷口を守護ること──」
幸い、ルティは簡単な医学の勉強をしている。傷がどのような原理で塞がり、治療され、あるいは復元されるのかを理論的に知っていた。
あとはそれを魔法で再現するだけではあるが、厄介なことに今回のマルの苦しみの原因が、酒であるのが問題だ。毒物を除去しながらアルコールを分解しなければならない。
詠唱を続けながらルティは、どうすればマルを落ち着かせることができるのかを考えた。
痛みの原因である酒を取り除いても、痛みを取り除いても、幻覚や幻聴は消せない可能性が高い。
正気を取り戻させる方法はあるが、ルティ一人ではできそうにない。
(でもこの方法は──最悪の場合、みんな死ぬ可能性がある)
そう思った時だった。
「ルティ、何か考えがあるなら、俺達を信じてやってみてくれ。そう簡単にくたばる俺らじゃない」
「あたしに出来ることあったら言ってよ!」
その表情を見て──実行を決めた。
「二人とも、できるだけ私のそばに近寄って!」
二人がルティの半径一メートル以内に入ったのを確認して、空気の膜で三人を包み込む。
膜の外側は、魔法の防電膜で包み込み、できるだけ被害を減らすために準備する。
マルの攻撃がより激しくなったことと、ルティの空気を纏める魔法がより限定的な範囲になったことで、部屋が一気に水で満たされる。
広い空間すべてが水に満たされた時、ルティは雷を魔法で再現した。
雷がマルを貫くのと同時に、完成した癒しの魔法をかける。
こうすることで、雷の衝撃で正気に戻しながら身体を癒すことができるのだ。
問題はここからだった。
いくら防電膜を張っているとはいえ、このままではルティ達もマルも危険になる。早急に部屋から水を抜かなければならない。
手早く空気の膜を作るが、魔力不足で強い膜は作れそうにない。
できるとすれば、一瞬部屋を空っぽにして、ルティ達が撤退し、マルが安全なところに引っ込む必要がある。
片方はできるが、両方は簡単にできそうに無いのだ。マルはさっきの雷の衝撃で上下左右が不確かになっているし、彼の避難を手助けしようとすればルティ達の退避が間に合わなくなる。
すると突然、エルテの歌が響き渡った。
どういうことかと思い辺りを見回すと、マルの奥の方に、ボートに乗ったエルテがいた。船を操縦しているのは、レヴィーナだ。
エルテの歌は、マルをどこか別の場所へと誘い、彼がふらりふらりと泳ぎ去るのを助けている。
残されたルティは、手早く空気の膜で部屋を満たした。
「早く、部屋から出てっ!」
三人で走り出し、出入り口へと向かう。
波がすぐに決壊し、轟音をたてながら部屋を水でいっぱいにする。
三人はぎりぎりで出入り口に飛び込み、扉を閉め、階段を駆け上った。
聖堂と階段の境目である扉も閉めてようやく、一息つく。
ルティは、ガイルとハルテアが生きてそこにいることを目で確認したあと、魔力の枯渇で意識を飛ばした。
………………………………………………
気がつくと、ルティはエルテの部屋で横たわっていた。丁寧に毛布がかけられ、近くには水差しとコップも用意されている。周りには誰もいない。
ゆっくり起き上がると、ガラス張りの窓の向こうに、元気そうなマルがいた。
『おはよう、るてぃ』
「マルなの?」
『そうだよ。ありがとう』
窓に近づき、ガラス越しにマルに触れる。
『あのかみなり、ぴりぴりしてちょっといたかったけど…おかげでもどってこれたよ』
「怪我はしてない?」
『だいじょーぶ。るてぃは?けが、してない?』
マルに言われて身体を確認したが、怪我は一つもない。
『るてぃ、ずっとねていたよ。けが、してる?』
「ううん、疲れていただけ」
『ぐっすりねむれた?』
「おかげさまで」
ルティがそう答えると、マルの三本の尾がゆらゆら楽しそうに揺れる。
『みんな、しんぱいしてた。みんな、あつまってる』
「教えてくれてありがとう。私、行かなきゃ」
『ここでまってるね』
ルティは部屋を出て、螺旋階段を上り、外に出た。
なんとなく皆が集まっている場所は検討がついていた。
砂利の小道を歩き、空き地に出る。
今朝のことのはずなのに、遠い過去に見たように感じる光景が、そこにはあった。
「ルティ!起きたんだ!身体は大丈夫!?」
「大丈夫だよ。ハルテア、鼻血は…止まったみたいだね」
「あれからすぐに止まったよー!」
「ルティ…心配した。あれから二日も眠っていたんだぞ」
「え」
訂正。今朝ではなく二日前の朝の光景だったらしい。
「起きたなら、朝ごはん食べなきゃ、だね!」
「そろそろ夕食だけど?」
「起きたばっかりのご飯は朝ごはんなのですっ!」
ハルテアの言い分に、ルティは心の中で同意する。
少し遠くのほうを見ると、エルテとレヴィーナが真剣な顔で話し込んでいた。ルティがいることに気づいているのかどうかすら怪しい。
二人の邪魔をするのもどうかと思い、三人で部屋に戻る。
『おかえり!』
部屋で待っていたマルが三人を出迎える。
そろそろ夕食だというので準備を手伝おうとしたものの、ルティは座って休んでて、とハルテアに言われ、そのまま部屋で寛ぐことになった。
『みんな、げんき?』
「元気だよ。怪我もないし、病気でもない」
『そろそろごはん?』
「そうみたい」
『まるはおさかながごはん!』
そう言ってマルは、ちょうど泳いできた小魚をまとめてニ匹喰らいつく。美味しかったのだろうか、顔が幸せそうだった。
しばらく待つと、夕食の匂いがルティの鼻腔をくすぐった。数日ぶりの食事の予感に胃袋が音を立てる。
ハルテアがどたどたと走って外に出ていった。きっと、エルテとレヴィーナを呼びに行ったのだろう。
「ルティ、卵と鮭、どっちが良い?」
「卵が好きかな」
ガイルがそれだけを訊ねて、キッチンに戻った。
『がいる、おかあさんみたい』
思わずルティは笑ってしまった。夕食は米の粥だった。




