1-1-17 ノアラターン(5)
明かりから遠ざかるにつれて、辺りが黒く染まってゆく。
どこまでも深く続きそうな水中を泳ぎながら、ルティは先頭を泳ぐガイルの左手にそっと触れ──魔法で彼の行く先を少しだけ照らした。
地上ならば触れずとも展開できる簡単な光の魔法だが、水中の暗闇の中では触れなければ座標が狂ってしまうから厄介だ。
ぼんやりと視界が照らし出され、何もない水中が認識できるようになる。
珊瑚、海藻、美しい熱帯魚…などは当然、無い。
湖に暮らす、緑や灰色の中型の魚が時折ルティ達のそばを泳ぎ去る以外は、生き物の気配など微塵も存在しなかった。
泳ぎ始めてどのくらい経ったのか分からなくなるころ、ようやく前方に黒く立ち上がる巨大な建物が見えてきた。
いくつかの尖塔が水面に向かって建てられており、それぞれの頂上付近に灯台のようなものが設置されている。
おかげで、ルティが魔法を解除しても、辺りの景色がよく分かるようになった。
乗り捨てられた、あるいは捨てられた小舟がいくつも積み重なって湖底に並べられている。その数はゆうに百は越えていて、今まで多くの罪人がここに送られてきたことが容易に想像できる。
目の前に見えてきた、港のような広場に向かって一行は泳ぎ進む。
水と空気を隔てる膜を通り抜けると、ルティ達は叩きつけられるように広場に落ちた。今まで水の浮力がかかっていたのが、突然重力のみになったからだ。
「あらまぁ、随分と乱暴なご到着でございますわね」
声に顔を上げると、白っぽい服を纏った番人がやって来た。先程別れた番人とは別の人物らしく、どこか飄々としている。
「事前に連絡はお伺いしておりますが、そちらが今宵、この罪人の街を散策されるというお方ですの?」
「は、はい。えっと、書類…」
書類は乾いたまま、無事に手元にあった。呼吸の心配しかしていなかったため、書類の無事の有無に気づいたのはついさっきだった。
「はい、たしかに。…きっかり、三人分。はい、確認しましたよ」
番人が書類を確認したあと、ルティに返す。ルティはそれをまた、なくさないようにしっかりしまいこんだ。
「ではまず、ここから先へ進む前に、いくつかこの街の特別滞在におけるルールの確認をいたしますゆえ。しっかりと復唱して、覚えておいてくださいまし」
白の番人が指を三つ立てる。
「まず一つ目。御三方の滞在は、最大一週間となっております。それ以上の滞在は許可されておりませんゆえ、期日が来ましたら全員揃ってここまで戻ってきてくださいまし」
「ああ、わかった」
「続いて二つ目。この街はあくまでも罪人の街、彼らにも彼らのルールがございます。わいらのルールと合わせてよぉく確認しておくように。ちなみに、わいらのルールはあそこの石板に彫ってありますから、あとで確認してな」
白の番人が指さした先には、ものすごく巨大な石板があって、小さな文字がぎっしりと彫り込まれている。
ハルテアが小さくうわぁ、というのを聞きながら、白の番人は三つ目を提示する。
「三つ目。持ち込み及び持ち出し可能なものは、皆様方の肉体、着用している衣服、行き来のために必要なグマル、それから今回特別に許可されている各々の自衛武器のみとなっております。
説明は以上になります。ようこそ、罪人の街ノアラターンへ」
………………………………
三人が街の門をくぐると、目の前の大通りを歩いていた人々がルティ達をじっと見つめた。
まるで品定めをするようにしばらく三人を見ていたかと思えば、やがて飽きたようにどこかへ歩き出したり、建物に入ったりしてしまった。
「まず、俺達がここで調べなきゃいけないことについて確認しておこう。
一つ目、水柱の調査。具体的には、シロウミギツネに接触して何が起こっているかを確認する。
二つ目、エルテさんを探す。彼女が数年前になぜ裁判に乱入しシロウミギツネを拐かしたのかを調べ、可能であれば彼女を地上に連れ戻す」
「どっちもシロウミギツネが関係しているから…まずはそっちについて調べよう!」
三人は集合場所を決めたあと、三方に散らばって聞き取り調査を行うことにした。
簡潔に言えば、調査は難航した。
街の住人はルティ達を警戒しており、逃げ去ったり、脅迫、こちらに勝ち目のないギャンブルをしかけてくる、魔物をけしかける、などなどをされた。
半刻後に三人が集合場所に戻ったあと、誰も収穫が無いことが共有される。
「なんでこんなに警戒されているんだろう?」
ハルテアが小首を傾げて言うが、たしかな答えはルティもガイルも持ち合わせていない。
「彼らが罪人だから…他の人を警戒している?」
「どちらにしろ、情報をどうにか手に入れないと前に進むことはできないな」
「君達が欲しい情報、わたしがあげようか?」
声がしたほうを振り返ると、ルティのすぐ後ろに、赤いフードを被った人物がいた。体型が分からないくらい大きなローブを着ている。声からして、女性だろう。
「あんたは…?」
「わたしのことはいいの。君達、たぶん神獣シロウミギツネについて訊いて周っていたよね?」
「そうだよ!よくわかったね!」
「ノアラターンでは、神獣シロウミギツネについて問いかけられた時、答えるのは駄目なの」
「なんで…?」
「神獣シロウミギツネについて話をすること。それはすなわち、地上に戻れなくなることを指すから。それが、この街のルール」
「ルール…?」
「神獣シロウミギツネが持つ力は、罪人を浄化し、地上へ送り返すもの。水柱が上がるのは、その余波と言われている」
「あんたは答えて良い側なのか…?」
「詳しいねー!」
「二つ目以降の質問の方が、答えがはっきり出せるよ」
女性がフードを外す。
そして、ルティは気づいた。
「初めまして、わたしはエルテ。神獣の使役者だよ」
彼女こそが、画用紙に描かれていた少女なのだ、と。
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火の手が轟々と上がる黒白の館にトルテがたどり着いたのは、それから数分後のことだった。
野次馬が数十人集まり、その半分くらいが消火活動をしている。
トルテは身体が人のそれよりずっと小さいため、見ていることしかできない。
黒と白のローブを被った若者が何人か、トルテのそばにいた。
「君達、何があったのか話せるかい?」
「我々にも分からないんだ。突然火の手が上がって…」
「最初は、キッチンとか食堂で火事が発生したのかと思ったんだが…」
「おそらく放火だ。審判の間は火器の持ち込みが禁止されているから…」
「おい、あれを見ろ!」
一人が叫び、視線が彼の指さした向こうにいく。
火の手が上がる黒白の館から、レヴィーナとアルビが出てくるところだった。アルビは怪我をしているのか、片足を引きずっている。
黒白の若者たちが一斉に二人のもとへ駆け寄り、無事を確かめ合った。
トルテは少し遅れて集団に混じり、アルビの怪我を確認する。
トルテは猫のため、一般的な処置をすることはできない。人語を喋り、頭脳は人並みにあっても、身体は猫であるという制約に縛られている。
が、その制約を活かせる場合もある。
火の手がかからない安全な場所に移動した後、アルビが木陰に座り込む。
黒白の若者たちが心配する声をかける中、トルテは彼の膝下に登った。
そのまま、震えるアルビをなだめるように身体を擦り寄せる。
たまには、小動物の身も使えるのだ。
やがて彼の震えが止まった頃、トルテはそっと尋ねた。
「誰も死者はいないかな?」
「そうみたいだねー、はは…怖かったなぁ…」
「我々二人が代表して館内を全て見て回ったが、取り残された者はいなかった。日頃から避難訓練を組み込んでいたおかげだろうな」
「誰だって大きな炎は怖がるものだよ。ボクだって怖い。二人は本当に勇敢なんだね」
レヴィーナは誇らしそうな顔を、アルビは悔しそうな顔をした。
「館に火を放ったやつを追いかけたかったんだけど、白の救済者としての責務があったからねー…悔しいな」
「犯人を見たのかい?」
「見たよー、他の子に頼んで現在追跡中ー」
話していると、やがて白のローブを着ている少年が二人やって来た。間に、灰色の長衣を着た男性を連れている。男性は酷くやつれていて、目がおかしな方向を向いていた。
「貴殿が、放火の犯人だな。この騒ぎが落ち着いたら、即刻審判を下す。が、なぜこんな騒動を起こしたのかを聞かせてもらおうか」
「へへ、目的のあの子がいないんなら何されたって仕方ないや」
「目的の、あの子?」
「答えると思います?」
男がへらへらと笑う。答えなど、お前たちには分かりっこないだろう、と顔が言っている。
トルテの頭の中は、二通りの答えがぱっと出てきた。
誰かに追われていて、黒白の館に滞在していたことがわかっていて、回収を目録まれてもおかしくない人物。
──ガイルか、ルティか。
「一つ問おうか」
「おや、喋る猫ちゃん。珍しいな、研究対象にしたい──」
「メルリオという単語に聞き覚えは?」
男の反応を伺う。
これで反応すればルティ、反応しなければガイルか。
男の眉がぴくりと動き、目が見開かれる。この反応がもしノーであれば、逆にすごいくらいだ。
「聞き覚えがあるんだね。…あの子はここにはいないよ。大人しく審判を受けるといい」
トルテはレヴィーナに目配せをし、彼女を離れたところに行かせた。
「彼らは、ルティを狙っている集団だ」
「そんな集団があると?」
「うん。ボクら、ある人に依頼を受けてから秘密裏に色々調べていたんだけどさ。ルティの動向を追いかけてくる連中がいたんだよ。
彼らは、自分たちのことを灰色のドクターって言ってる」
「聞き覚えは無いな。なぜ彼らが黒白の館を放火したんだ…?」
「彼らはルティを狙っている。おそらく、館を焼くことでルティをどうにかしようとしたんじゃないかな。彼らの言動をそのまま信じるなら…利用するために攫おうとした、とか」
「彼女達が心配だな」
「無理を頼んでいるのは承知の上だ…館や仲間たちを心配したいのは分かっている、けど…レヴィーナ、君がルティ達にこのことを伝えてくれないか?
ボクは猫だから湖の街に向かえない。アルビは怪我をしている。…君にしか頼めないんだ」
「…承知した。アルビにこのことを伝え次第、向かおう」
「…ありがとう」
トルテは、アルビのもとへ向かうレヴィーナの背をぼんやりと眺めながら、ルティ達の安全を祈った。




