EP 8
帝国の首輪(カイゼンと支配)
帝都・向島の隅田川沿い。
一見して客を拒むような、静寂に包まれた老舗料亭。その最奥にある広い座敷には、異様な光景が広がっていた。
上座にどっっかりと腰を下ろし、赤マルの煙をくゆらせているのは、一介の商人であるはずの力武義正。その傍らには、凛とした美しさを湛えた日野輝夜が静かに控えている。
そして。
本来ならこの国を動かすはずの「三人の男たち」が、畳に額を擦り付け、震えながら平伏していた。
「……面を上げろ。通夜に来たんじゃないんだ」
義正の冷淡な声に、三人が恐る恐る顔を上げる。
兵糧を絶たれ、痩せこけた牟田口。
裏帳簿を握られ、顔を土気色にした東條。
全財産とメディアを奪われ、魂が抜けたような近衛。
「……さて。お前らをここに集めたのは、他でもない。これからの『日本の経営方針』を伝えるためだ」
義正は、三人の前に三冊の分厚い『契約書』を放り投げた。
「牟田口。お前は今日から陸軍の『兵站監』だ。精神論は一切禁止。俺が提供する物資と予算を、一グラム、一銭の狂いもなく前線に届ける作業機械になれ。……失敗すれば、次は本当に草を食わせる」
「は、ははっ……承知いたしました……ッ!」
かつての狂信者は、いまや餌を待つ犬のように頷いた。
「東條。お前は軍の『最高監査官』だ。そのカミソリのような神経を使って、軍内の横領と無駄な予算を徹底的に削ぎ落とせ。俺が投じる外貨を、一円たりともドブに捨てるな。……裏帳簿の続きを書きたくなければな」
「……御意に。力武殿の算盤、狂いなく守り抜きましょう」
官僚のプライドを捨て、東條は冷徹な「計算機」としての役割を呑み込んだ。
「そして近衛公爵」
最後に、義正は空っぽの貴族を見据えた。
「お前は『帝国の拡声器』だ。俺と輝夜が作る政策を、その見栄えのいい顔と舌で、国民に『夢』として見せ続けろ。……ただし、中身は全て輝夜が書く。お前はただの、最高級の御輿だ。分かったな?」
「……はい。何なりと、仰せのままに」
近衛の声には、もはや傲慢な響きは一切なかった。
軍の武力(物流)、官僚の組織力(予算)、そして貴族の影響力(広報)。
本来なら国家を破滅へ導くはずだった三つの力が、いま、義正という一人の男の「首輪」によって一つに繋がれた。
「義正さん……本当に、やってしまったのですね」
輝夜が、静かな、だが確かな熱を帯びた声で呟いた。
彼女は、義正が用意した『農村救済と経済近代化』のグランドデザインを手に持っている。
これまではただの理想に過ぎなかった紙切れが、いま、この三人の「首輪」を通じて、帝国全体の巨大な歯車を回す『命令書』へと変わったのだ。
「ああ。内憂はこれで絶った」
義正は懐から、黄金糖を取り出し、口に放り込んだ。
――ガリッ。
奥歯で甘い塊を噛み砕く。
その音は、かつての腐った日本の終焉と、新しい「合理的帝国」の誕生を告げる号砲のようだった。
「これでやっと、盤面が整ったな」
義正は立ち上がり、料亭の窓を開け放った。
夜の帝都。その先にある広大な海を見つめる。
「牟田口を、東條を、近衛を飼い慣らす。……そんなのはただの準備運動だ。輝夜、俺たちの本当の喧嘩相手は、この海の向こうにいる」
世界恐慌の泥沼で足掻き、のちに日本を力でねじ伏せようとする超大国。
アメリカ合衆国。
「兵站を整え、予算を固め、国民を束ねた。……さあ、世界を買い叩きに行くぞ」
義正の瞳には、資本主義のバケモノとしての、底知れぬ狂気と知性が同居していた。
輝夜はその隣に並び、彼が見つめる暗い海の先を、同じ強さで見据えた。
「はい。あなたの算盤と共に、私も月のように……どこまでも進みます」
昭和四年、冬。
国内の「戦犯」たちを奴隷へと変え、内憂を完全に排した狂犬と月。
二人の視線は、ついに太平洋を越え、ウォール街の心臓部へと向けられた。
最強の国内基盤を完成させたバディによる、対米経済戦争。
その幕が、いま音を立てて上がろうとしていた。




