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EP 3

草でも食ってろ(絶望の兵站)

 三日後。

 帝都郊外にある第一師団・歩兵連隊の駐屯地は、さながら「幽霊船」のような惨状を呈していた。

「……少佐殿。本日も、米問屋からの納入はありません。酒保(売店)の在庫も、昨日の昼で完全に底をつきました」

 泥のようにくぼんだ目をした副官の報告に、連隊長室に座る牟田口少佐は、ギリリと奥歯を噛み鳴らした。

「馬鹿な……! 帝都中の業者が一斉に消えたとでも言うのか! 陸軍省の糧秣廠りょうまつしょうからの緊急配給はどうなっている!」

「それが……軍が取引している指定銀行の口座が、何故か全て『凍結』されておりまして。カネが動かせない以上、本省も動けないと……」

 牟田口は血走った目で窓の外を見た。

 練兵場には、三日間、まともな食事を与えられていない数百名の兵士たちが、亡霊のように力なく座り込んでいる。

 弾薬庫は空。車両を動かすための燃料も、一滴残らず業者に引き上げられていた。

 たった一人の「商人」が放った、経済カネという名の見えない包囲網。

 それが、帝国の誇る完全武装の連隊を、たった三日で機能不全の「飢えた烏合の衆」へと変え果てさせていた。

「少佐殿……兵たちの間で、暴動の兆しがあります。このままでは、我々は戦う前に、飢えで自滅します……っ!」

 副官の悲痛な叫びに、牟田口の背筋を冷たい悪寒が駆け上がった。

 大和魂。精神力。

 そんな美辞麗句は、空腹という圧倒的な物理的現実の前では、何の意味も持たなかった。

 胃袋を満たせない指揮官など、兵士から見ればただの無能な肉の塊に過ぎない。

(……くそっ、くそぉぉぉぉッ!)

 牟田口は、軍帽を深く被り直し、屈辱で顔を歪めながら駐屯地を飛び出した。

 向かう先は一つしかなかった。

     *

「……よく来たな、ヒゲ。腹の具合はどうだ?」

 帝国ホテルのスイートルーム。

 最上級の黒毛和牛のステーキを切り分けながら、義正は冷酷な笑みを浮かべていた。

 部屋には、芳醇な肉の脂と、赤ワインの香りが充満している。

 その入り口で、牟田口は膝から崩れ落ちていた。

 三日前の尊大な態度は見る影もない。目は虚ろに濁り、喉から手が出るほど、テーブルの上の「食料」を凝視している。

「た、頼む……っ。口座の凍結を解除してくれ……! 業者の買収を解いてくれ! このままでは、私の連隊は、兵士たちは……っ」

 額を絨毯に擦り付け、帝国陸軍の将校が、商人に向かって泣きながら命乞いをしている。

 輝夜は、そのあまりに惨めな姿から目を逸らした。

 だが、義正の瞳には一ミリの同情も湧いていなかった。

「お前が俺に銃を向けたから、腹を空かせたのか? 違うな」

 義正はナイフを置き、立ち上がった。

 そして、傍らに置いてあった「観葉植物の鉢植え」を無造作に掴み、牟田口の目の前にドンッ、と置いた。

「お前は三日前、こう言ったよな。『日本兵は補給が絶たれても、草を食って戦う世界最強の軍隊だ』と」

「あ……」

「お前のその腐った『精神論』のせいで、部下たちは飢え苦しんでいるんだ。……兵站ロジスティクスを軽視する指揮官は、敵の機関銃より味方を殺す」

 義正は、牟田口の胸ぐらを掴み上げ、その顔を鉢植えの土と葉っぱに押し付けた。

「食えよ」

 絶対零度の声が、部屋に響く。

「大和魂があるんだろう? 精神力でどうにでもなるんだろう? だったら、部下たちに言い訳する前に、お前がまずその見事な精神力で、その辺の草でも食って腹を膨らませてみろッ!」

「ひっ、あ、あああ……っ!」

 牟田口は完全に心が折れ、子供のように声を上げて泣きじゃくった。

 狂信的な軍国主義のメッキが剥がれ落ち、そこには己の無能さを突きつけられた哀れな中年の姿しかなかった。

「……もういいです、義正さん。彼の心は、完全に折れました」

 見かねた輝夜が、静かに声をかけた。

 義正は牟田口をゴミのように床へ放り捨て、冷たく言い放った。

「二度と俺の前にその面を見せるな。部下たちには、俺の手配した業者から今夜中に食料と物資を届けさせる。……カネは、お前の退職金と軍の年金から前借りで全額引いておくぞ」

 それは、牟田口廉也という男の軍歴の、完全な「死」を意味していた。

 這うようにして逃げ帰る牟田口を見送りながら、義正は新しい飴玉を口に放り込む。

「さて、うるさい狂犬の牙は抜いた。……次は、カネ(予算)を牛耳ろうとしている『官僚派の親玉』を、算盤ですり潰す番だな」

 軍部の武闘派を完膚なきまでに叩き潰した義正の目は、すでに次なる標的――帝国陸軍を官僚機構として支配する男、東條英機へと向けられていた。

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