EP 2
兵站の処刑
舞い散る権利書の吹雪の中を、銃剣を構えた三人の兵士が突っ込んできた。
狙いは義正の急所。しかし、軍隊で教練を受けただけの直線的な動きなど、柳生心眼流の達人から見れば止まっているに等しい。
「遅い。残業代も出ない動きだ」
義正は一歩半身に開き、先頭の兵士が突き出した銃身を手のひらで軽く叩いて軌道を逸らす。
そのまま、すれ違いざまに男の顎の先端に肘を叩き込んだ。
脳を揺らされた兵士が、白目を剥いて崩れ落ちる。
「な、貴様ッ――」
驚いた残りの二人が引き金に指をかけようとした瞬間、義正は床の絨毯を蹴り上げ、強引にめくり取った。
視界を塞がれた兵士たちの懐に、音もなく潜り込む。
ドゴォッ、という鈍い音が二つ重なり、重装備の兵士たちがゴム毬のように壁まで吹き飛んだ。
わずか数秒。
牟田口の護衛として連れてきた精鋭たちが、誰一人として悲鳴すら上げられずに床に転がっていた。
「……ば、馬鹿な。我が帝国の軍人が、商人風情の素手の一撃で……!」
牟田口の額から、滝のような冷や汗が吹き出した。
本能が、目の前のスーツ姿の男を「絶対に勝てない捕食者」として認識してしまったのだ。
「勘違いするな、ヒゲ。暴力なんてのは、一番コストのかかる三流の解決手段だ。こんなもので俺が本気になっていると思うなよ」
義正はスーツの埃を払いながら、テーブルの上の電話機を手にとった。
「お前の所属は、第一師団の歩兵連隊だったな?」
「そ、それがどうした! 貴様、軍の将校を脅して無事で済むと――」
「ジェームズか? 俺だ」
義正は牟田口の負け惜しみを完全に無視し、受話器越しに英語で話し始めた。
「ターゲットは、帝都の第一師団・歩兵連隊だ。……ああ、そうだ。その連隊に食料、燃料、被服、弾薬を納入している『全ての業者』のリストを洗い出せ」
「……なっ?」
牟田口の顔から、さらに血の気が引いた。
「全業者を今すぐ『買収』しろ。業者の言い値の三倍払って構わん。そして買収した瞬間から、軍への納入を完全にストップさせろ」
『ボス、軍との契約を反故にすれば、業者の社長たちは特高警察に連行されますぜ?』
「問題ない。社長とその家族は、俺の手配した船で今夜中に上海へ逃がす。十分な逃走資金も渡しておけ。金に糸目はつけるな」
義正は冷酷な目で、へたり込む牟田口を見下ろしながら、最後の指示を飛ばした。
「帝都のあらゆる流通経路から、牟田口の連隊へ向かう物資を『経済の力』で完全に遮断しろ。……ああ、そうだ。水一滴、米一粒たりとも通すな」
受話器を置き、義正は再び赤マルに火を点けた。
紫煙の向こうで、牟田口が信じられないものを見るような顔で震えている。
「き、貴様……自分が何をしたか分かっているのか!? 軍への兵糧攻めなど、国家への反逆だぞ!」
「反逆? 笑わせるな」
義正は牟田口の胸ぐらを掴み、その脂ぎった顔にタバコの煙を吹きかけた。
「お前はさっき、こう言ったよな。大和魂があれば物資など不要、日本兵は草を食ってでも戦うとな」
「あ、ああ、そうだ! 我が軍の精神力は無敵――」
「だったら、見せてみろよ」
義正の瞳に宿る狂気の深さに、牟田口の言葉が止まった。
それは商人の目ではない。地獄の底で、全ての数字を冷酷に弾き出す悪魔の目だった。
「お前らには明日から、米も、水も、弾薬も届かない。お前の大好きな『精神論』とやらで、腹を膨らませてみろ。……その辺の草でも食ってな」
義正は牟田口をゴミのように床へ放り投げた。
「帰れ。そして、三日後にまた来い。その時、お前の腹が草で満たされているなら、俺の資産をくれてやる」
牟田口は気絶した部下を放置したまま、恐怖で顔を引き攣らせ、這うようにしてスイートルームから逃げ出していった。
ドタバタという無様な足音が、遠ざかっていく。
静寂が戻った部屋で、輝夜が息を呑んだまま義正を見つめていた。
「義正さん……本当に、軍の補給を止めてしまったのですか?」
「俺の算盤を舐めるな。三日後には、あのヒゲの連隊は地獄を見る」
義正は窓の外、近代化が進む帝都の風景を見下ろした。
「兵站を理解していないトップが軍を動かせば、必ず国は滅ぶ。なら、アメリカとやり合う前に、俺が『兵站の恐ろしさ』をあいつらの骨の髄まで分からせてやる」
昭和の狂犬による、帝国の内部浄化作戦。
その最初の一手は、軍への『物理的』かつ『経済的』な兵糧攻めという、前代未聞の劇薬だった。




