第65話 北部国境とおじさまの頼みごと
「彼の場合、成人まで成長できた事が奇跡に近い。そして若いとは言え体力面で問題があったから、当時の彼は王位を望まない、と宣言した」
「そうなんですね」
ジュリアス殿下は病弱ゆえ国家行事は自ら辞退する事がほとんどだ。そのせいか私も含め彼の顔を知らない民が多い。
「王族の公務は想像するより激務でね、体を労り静かに過ごす事ができるなら、それに越した事はない。ただし自分の意思で自由に出歩くことは難しいから、その辺りは気の毒に思うけれどね」
コト…コト、と駒を置く音が響く。口を動かしながらおじさまは遊戯もしっかり手を抜かず、集中し楽しんでいる。彼の頭の中は機械のようで、一体どういう仕組みになっているのだろうと可笑しくなった。
「? リリアナちゃん楽しそうだね」
いけない。頬が弛んだのをおさえられなかったようだ。
「いえ、ちょっと考え事をしていました。もうおじさま、久しぶりなんですからお手柔らかにお願いしますね」
いつの間にか私が守るべき需要な駒が彼に奪われようとしている。同時に私も彼の駒を狙っているのだけれど、一手遅かった。
「はい、王は取った。終了だ」
「……悔しい」
おじさまは無慈悲に容赦なく私の王を手にし笑った。もう一度勝負、と言おうとした所で急に彼は静かになる。
「実際に戦争が起きた場合、現実はこんな盤上通りに美しく事は運ばない。……リリアナちゃんならどうする?」
いつも会えばにこやかに笑うおじさまなのに、今は珍しく無表情で一瞬別の人間に見えた。
現実の戦争。おそらくそれは今の遊戯みたいに楽しくない。多くの血が流れ、人が傷つく。それは嫌だと思う。
「もし戦争が起こってしまったら、どうにか両国が譲歩できる案を探しすぐに停戦交渉します。でも可能なら戦争が起こる前に回避したいです。そのために仲間を増やします」
「ほう、仲間」
「はい。周辺諸国にいる同じ志を持つ者と……あ、つまり同盟ですね。同盟を結んで戦争を望まない国々の結束を強化します」
戦争は失う者が大きすぎる。戦場となった土地は無惨に踏み荒らし蹂躙され、尊い人命が失われる。まして犠牲となるその多くが身分の低い平民だ。
「戦争からは何も生まれない生産性を伴わない全くもって無駄で野蛮な行為です。だからその要因となる芽を摘み、出来るだけ未然に防ぐことが必要だと私は思います」
窓から光が差し込んだのか、おじさまが眩しそうに瞳を細める。
「そうだね。今の平和な世がどれほど尊いことか。この穏やかな日々がいかに貴重かを忘れてしまう輩がいるんだよ。そういう輩には今一度教えてやらなければいけないね」
未然に防ぐ、可能であればそうしたい。
「今のエルディアは昔のフェリシアのようだ。だが当時この国に起きたものより長すぎる。フェリシアは先王が立ち、派閥や勢力争いを好む輩を次々粛清していったが、あの国は絶対的なカリスマをもつ統治者が現れる気配が一向にない。それも懸念すべき事柄だ」
エルディアはフェリシア同様、王制を敷き統治している。フェリシアと違い軍事力を中心とした政治の為、他の産業は停滞。それに関係する技術者も国外に拡散。
結果、国内は貧しく荒廃し、各地で紛争が続いている。
フェリシアとエルディアの間に国交はない。だが比較的豊かなフェリシアの富みを狙い、たびたび小競合いが起こる。その最たる地が唯一この国と隣接する北部国境だ。
おじさまが駒を片付けながら話す。
「最近にもあったね。フェリシアの薬を大量に密輸しようとしていた事件が。あれ以降、薬類を売買する法律が改定され、国中の病院や診療所の規定がより厳格になった。ついでに違法薬物密売のルートも再度調査したが……まぁ出てくる出てくる」
この事件、私も少なからず巻き込まれたのだが、今おじさまが語ったのは後日新聞記事に掲載された内容だ。
まるで事後処理に自分が関わったかのように話す彼に苦笑する。
「北部国境はエルディアと隣接しているから、人や物流が雑多でね。その向こう側はある意味無法地帯に近い」
「それは裏で何らかの取引が行われやすい、という事ですか?」
「そうだね。密輸、誘拐……人身売買も国境の向こうは横行しているらしいと聞いている。だがそこはフェリシアではないから、こちらも中々手が出せないんだよ」
国境は犯罪を極力未然に防ぐよう警備隊を配置し取り締まりを行っているが、向こう側には手が出せない。ただしフェリシアの民が犯罪に巻き込まれたとなれば、話は別のようだ。
「まぁなんにせよ、つまる所、北部国境は色々面倒な地域なんだ」
「そうなんですね」
すっとおじさまが立ち上がり、そばにある書棚に手を伸ばす。そして手にした本を私に渡してきた。
「これは?」
「最近貰ったんだけれど、これもカトレアの書物でね。リリアナちゃん興味があると聞いたから。あともう一冊、こっちはエルディア関連の本だ。読んでおくと良い」
瞳を輝かせ二冊の本を受け取る。これがあれば王都に戻った後、残りの休暇も退屈せずにすみそうだ。
「その代わりと言ってはなんだが、一つ頼みたいことがあるんだよ」
ふわりと微笑んだおじさまが頼みごとをしてきた。
「どんなことですか?」
「実は長らく会っていない友人の家に行くのだけど、その人はピアノが趣味でね。リリアナちゃんからみて良さそうな曲があれば、その楽譜を幾つか貸して貰えないだろうか?」
趣味で私が曲を創作する事をおじさまは知っている。それもあり急遽頼んできたのだろう。私は二つ返事で頷き、早速立ち上がる。
「勿論、構いませんよ。私、今から戻って楽譜を幾つか選んで来ますね」
「うん、頼むよ」
どんな曲にしようか。私が心を踊らせ部屋を出ると、誰かが廊下の壁に寄りかかっている事に気付く。その人物はシオンだった。
私が気がつくと同時に彼も振り向く。相変わらずの麗しい顔だ、お互い目が合う。
「どうしたのシオン。あっ、もしかしてすごく時間が経ってた? ごめんなさい、声かけてくれても良かったのに」
「いや、今ちょうど来た所だよ。リリアナこそ先生と話すの久しぶりだろう。もう終わったのか?」
「うん」
王都に戻るのは明日で今日はお互い何も予定を入れず、自由に行動すると決めている。
だからシオンは私を探していた訳ではない。恐らく私と同じようにおじさまに話があるのだ。
楽譜の件を伝え、私はメロゥ邸に戻った。




