第63話 とある男爵令嬢の悩みと園遊会
王都から遥か東、都会から離れた郊外にある屋敷の前で馬車が止まった。そこからピンクブロンドの髪色をした若い娘が降り屋敷へと入っていく。
この髪色はフェリシア王国であまり見ることのない珍しいもの。そのため学園にいると好むと好まざるとに関わらず、常日頃から目立つ。彼女はこの色が一番嫌いだった。
そんな彼女は普段から学園寮で過ごすことが多いのだが、この休暇は久方ぶりに実家に帰る事になった。それというのも父である男爵に今回の休暇は絶対に実家へ顔を出すようにと知らせがあったから。
父である男爵は彼女の実の父親だが、会ったのは昨年の冬でこの親子関係は一年にも満たない程度だ。
平民だった母親を早くに亡くした彼女はカトレア国にある孤児院に預けられ、ずっとそこで生活していた。それを当時フェリシアから外遊に来ていた男爵が偶然彼女の存在を聞きつけ、引き取りたいと申し出てきた。
彼女の母親と男爵は若い頃恋仲だったそうで、行方不明になっていた母を探していたとの事だった。
だがそれは嘘だと彼女は思う。何せ男爵は彼女を見つけた当時、妻を亡くしていた。彼には子がいなかった。それでたまたま母親と同じ髪色で面影が似ている彼女を見つけ引き取り、跡を継がせようと思ったのだ。
だから彼女はこの髪色が嫌いだった。
貧しくてもカトレアで自由に生きたかった。
重い足どりで男爵の執務室に入る。すると挨拶を交わすことなく、彼の大きな声が部屋中に響き渡った。
「おお、来たか。喜べ、お前に良い縁談がきたぞ」
「……それは、どのような御方ですか?」
男爵のようにいきなり喜べるはずがない。これは所謂政略結婚。彼にとって彼女はただの駒。他の貴族と縁戚関係になるために用意された子だ。
「その御名はまだ口にすることはできんが、近々教える。お前にはその御方と婚約してもらう。母親譲りのお前の髪、その色が結婚相手として選ばれる条件とのことだ。なんでもカトレア国で早世した姫と同じ色らしいのでな」
それを聞いて彼女は唖然とした。
「お待ちください。私の母は酒場の踊り子で―――」
すると男爵の表情ががらりと変わり、口ごたえは許さないというように、さらに高圧的な態度になった。
「黙れ! まだ幼かったお前は母親の事など一切覚えていない。今日からそう周囲に伝えろ。わかったな?」
これは虚偽。もしそれがバレれば罪に問われるのは間違いない。しかもそれが王家の姫となると、極刑の可能性が十分考えられる。
彼女は青ざめた。下位貴族とは、いや、平民の血の混ざる底辺で中途半端な存在はこうも恐ろしい企てに加担せねば、生きる事は許されないのか。
嘘が明るみになれば極刑が待ち受けることを目の前の男は何も理解していない。
「とにかくお前は来週王都で催される夜会に出席してもらう。その時、相手を紹介する。用はそれだけだ、わかったらさっさと家庭教師の所に行け。平民上がりのお前は貴族の作法を徹底的に学ばねばならん。即席だが多少はましに見えるだろう」
「……わか、り、ました」
威圧感のある鋭い目が彼女を見据える。もうこの男とまともな会話は期待できそうもない。恐怖と落胆で身をすくませた彼女は涙をこらえ返事を絞り出し、部屋を出た。
閉じた扉の向こうで彼女は涙を流した。
「もう、いや。こんな所」
突然父と呼ぶ男が現れ、平民の暮らしから無理矢理引き離され、そして貴族として生きよと強制的に命じられ。
家庭教師も厳しく、彼女の振る舞いをことある事に比較し嘲笑する。その度自分は貴族にも平民にもなれない中途半端な存在と思い知らされる。
こんな風になるなど望んでいなかった。これなら貧しくとも平民の方がましだ。
(……逃げたい)
もういっそ屋敷からも学園からも行方をくらませてしまおうと考えた時、ふっと彼女の脳裏に緑がかった茶髪の青年の姿が浮かんだ。
それはエドワルド学園の寮長、エリオット・ハートランドだった。
「ハートランド様」
彼女が密かに想いを寄せている相手だ。
きっかけは何の事はない。寮の談話室で探し物をしていた時に一緒に探してくれたこと。その時のエリオットは他の生徒に応対するものと態度は変わらなかった。だがいつも何かと注目を浴びる彼女にとって、それは何処か心地好く安らぐものだった。
その出来事以降、彼女はエリオットのいる事務室に頻繁に顔を見せるようになった。
けれど、と彼女ははぁと息をはいた。
(口にしてはいけない御方とはどなたなの? 顔もわからない、誰とも知れない方と結婚なんて嫌よ)
沈みこむ気持ちを胸にとどめつつ、彼女は家庭教師の待つ部屋に向かった。
◇
美しいピアノの旋律が大広間中に響き渡り、周囲に集まった者達は皆うっとりと聴きいっていた。
やがて演奏が終わった。鳴りやまぬ喝采の中、鍵盤から手を離し立ち上がった青い髪の青年は皆に向かって一礼した。
ここは王都からわずかに離れたレブライト侯爵の邸宅。そこでは優雅な園遊会が開かれていた。
青い髪の青年ジリアン・タウンゼントはレブライト侯爵夫人から色彩豊かな花束を受け取り、艶やかに微笑んだ。
「ありがとうございます。夫人」
「とても素晴らしい演奏でしたわ。私達のお願いを聞いてくださってありがとう」
レブライト侯爵夫妻はタウンゼント侯爵の友人であり、ジリアンの事情も知っている。今日は夫人の誕生パーティー兼、ジリアンの御披露目もかねていた。
「いいえ、こちらこそいつでも披露致します」
ジリアンの言葉に夫人は嬉しそうに顔を綻ばせ再び礼をいった。彼の言葉や微笑みは人々を魅了する。これらは全て昔の経験で培われてきたものだ。
ジリアンにとってピアノの技術同様必要なもので、平民であった頃と行動はそう変わらない。逆に侯爵子息に迎えられてから、彼自身というより周囲の方が態度を変えた。それは貴族になったのだから仕方ない事と理解している。
けれど変わらない人間もいる。ジリアンが何者になろうとも一切態度を変えることなく、これまで通り接してくれる人間が。
その人達がいるから、彼の奏でる音が今も変わらず美しいまま保たれている。そうジリアンは思うのだ。
演奏が終わり、ジリアンが譜面を手にしていると男が三人、彼のそばに近づいてきた。
「さすがこれまで高名な音楽家を数多く輩出しておられるタウンゼント侯爵家の御方だ。なんとも素晴らしい演奏に惚れ惚れ致しましたよ」
「それは、ありがとうございます」
一番中央にいる白髪交じりの男が恭しく礼をし賛辞をのべた。彼は確かディートリヒ伯爵。その両脇に佇む青年二人はエドワルド学園に最近転入してきたばかりの者達だ。右は伯爵の孫ダリウス・ディートリヒ。左に控えるのは護衛のデューク・カルナである。
二人は学部は違うが自分と同学年、そしてふとジリアンは疑問を口にした。
「では伯爵はエルディア王国と何か縁が?」
「ええ、ダリウスの父親はエルディアの小貴族でしてね。我が娘と婚姻したのですが事情があり、この年になるまでエルディアで暮らしていたのです。ですがそろそろきちんとした教養をつけさせねばとこの国に呼んだ次第でして」




