94.帰ろうか
「そろそろ、皆のところに戻ろうよ。」
日が暮れるころ、ハープがレンジにそう伝えた。
ハープの胸元を転がるネックレスは、時折夕日に当たって光る。
自分が選んだものを身に着けてくれていることに、レンジは心の奥底で喜びを感じていた。
その一方で、先程の老婆の話が脳裏を掠める。
両親とオリバはブックガーデンの学者であったこと、自分がこの街に生まれた事、オリバは何一つ話してくれなかった。
自分自身も、知ろうとしなかった。
両親がいなくても、オリバやシアード、セレスに囲まれて十分幸せな日々を送っていたからだ。
レンジは、初めて心の底から自分の両親について知りたいと思った。
セレスやシアードの過去が明らかになっていった時も少しは思ったが、知りたいという気持ちでここまで胸が熱くなるのは、初めてだった。
「ハープ。
旅が少し、遠回りしてもいいか?」
足を止めて話す彼に対して、ハープは笑顔で頷いた。
「うん、行きたいんだよね。
アレス島に。」
「俺は……心の何処かでずっと逃げていたのかもしれねぇ。
オリバおばさんやシアード、セレスがいるからいいって、確かにそう思ってた。
だけど、今は違う。
今は、自分の両親の事も、俺の過去に何があったのかも、全部知りたいんだ。」
レンジは意を決して、シアード達がいる図書館へと向かった。
「あらあら、いい感じじゃないの。」
手を繋いだまま歩いていたため、一番最初に目撃したセレスに茶化される。
「う、うるせぇ!
茶化すんじゃねぇよっ!」
照れ臭くなったレンジは、ぱっ、とハープの手を離してしまった。
セレスは、はっと気づいてロイドの方に目をやるが、彼はシアードと話していたため、おそらく見ていない、はずである。
「シアード、調べ物は済んだのか?」
シアードは、何も知らないレンジの顔を見ると、込み上げてくるものがあった。
胸を締め付けられるような感情に苛まれるが、彼はそれを制御することが出来る。
「あぁ、何とかな。
なぁ、レンジ……アレス島に、帰ろうか。」
レンジは驚愕した。
今まさに自分も言おうとした言葉を、シアードが先に言ったからである。
「アレス島には、昔火山があったらしいんだ。
火山の噴火原因を調べるために、オリバおばさんはこの街からアレス島に渡ったらしい。
一旦アレス島に帰って、話を聞いてみよう。」
「俺もその話、聞いたよ。
でもよ、アレス島に火山なんてあったか?
なかったよなぁ。」
「それは俺も引っ掛かっているんだ。
何はともあれ、明日、アレス島に向かうぞ。」
「分かった!」
レンジは、久しぶりの故郷を楽しみにしている。
だが、少年は何も知らなかった。
この旅が、少年にとって耐え難いほど残酷なものになるということを───。
「セレス……。
起きてる?」
その日の夜、ハープは隣のベッドで眠るセレスに話しかける。
部屋の電気は消されているが、少女は未だ眠れないでいた。
「どうしたの?」
「セレスは、シアードのことが好きなんだよね?」
「な、何よいきなり!」
少女の言葉に、セレスは思わず上体を起こした。
「ねぇ、好きって、何?」
いつもの様子ではない少女の話に、セレスは耳を傾ける。
「私……分からないの。
今まで、こんな気持ちになったことがないから……。
今日一日、レンジと一緒にいてとっても楽しかった。
でも、不安もあったの。」
「不安って、あなた……。」
セレスはハープに軽い嫉妬を覚えた。
不器用ではあるが、あれだけ力強くレンジから愛されているのに、何を不安に思うことがあるのか、と。
それとも、あのような閉ざされた場所で育ったせいで、人間らしい感情に疎いのか、はたまた幼すぎて恋を知らないのか。
様々な事がセレスの脳内を網羅するが、少女に対して分かっていることはただ一つであった。
ロイドには申し訳なく思うが、セレスは同じ女として、少女の気持ちを一番に考えたい。
「好きっていうのはね、ずーっとその人が頭の中から離れなくて、ずーっと一緒にいたくて……その人の事を考えただけでもドキドキするの。
誰にも取られたくないとも思っちゃうかな。」
ハープは、隣でそう話すセレスの表情を見る。
薄暗くてはっきりは見えないが、そこには、確かにシアードを思い浮かべながら話している彼女の姿があった。
彼女の表情は輝いている。
ハープは、いつも思っていた。
シアードの事を話すとき、または彼と話しているときの彼女の表情は、年上にも関わらず、とても可愛らしい。
セレスには言えないが、カリナーンでシアードの事を照れながら話すルナ姫の表情も、心底可愛いと思っていた。
二人が同じ様に見えたのは、紛れもなく恋をしているからであろう。
自分にはそれが分からないでいた。
そして、羨ましいとさえ思えた。
「ねぇ、ハープ。
あなたはレンジの事、どう思ってるの?」
好きかどうかなど、分からない。
そのような目で見た事がなかったから。
ただ、初めて出会ってネックレスを渡した時に抱いた感情は、今でもはっきりと覚えている。
「この人がいい」と───。
彼は、たった一日でそう思わせてくれたのだ。
ずっと使命を全うすることだけを考えて生きてきた、曇り空のような自分の心の中に、彼は兆しを運んでくれた。
「憧れ、かな。
真っ直ぐで正直で、私に無いもの、いっぱい持ってるもの。」
そういうのじゃなくて!
と、言いたいところだが、急かしても仕方がない。
「そっか、あなたの場合、まだまだ時間がかかりそうね。
時間がかかってもいいから、自分自身で気づかなきゃね。」
「うーん……よく分かんないけど、ありがとう。
起こしてごめんね、おやすみセレス。」
「うん、おやすみ。」
セレスはそのまま眠りにつく。
すぐさま寝息を立てるセレスを、ハープはちらっと横目で見る。
ハープは彼女と話す際に、レンジの事を思い出していた。
その時、確かに胸が高鳴ったのを覚えている。
再び彼を思い出すと、また胸が高鳴る。
少女は、ばっと頭から布団を被る。
「分かんない、分かんないよ……。」
抑えようとしても抑えられない胸の高鳴りは、少女から睡眠時間を奪ったのだった。




