60.何もいらない
「な……何でよっ!!」
王妃がシアードに掴みかかった。
そして彼の胸板を、力いっぱい叩き続ける。
シアードはただ、その姿を黙って見下ろしていた。
「何で今頃戻ってきた!
邪魔をするな、この薄汚い鼠めッ!
やっと手に入れたのよ……私の、安息の生活を!
カリナーンは渡さない……絶対に渡さないわ!
この国は私のものよ!
今更お前になんか用はない!!
出ていけ、出ていけぇッ!!」
王妃は、半ば狂ったようにシアードの胸板を殴り続けた。
少し落ち着いたのか、びくともしないと分かると一歩後ろに下がり、懐から短剣を取り出した。
「出て行かないなら、この手で殺してやる!!」
ふーっ、ふーっ、と、王妃は興奮しながら短剣をシアードに向けた次の瞬間、銃声が王の間に響く。
シアードが、バートから譲り受けた散弾銃で、王妃の短剣を弾いたのだ。
回転しながら地面を滑る短剣は、シェネルの足元まで移動した。
成す術がなくなった王妃は、再びシアードに殴りかかる。
だが、彼はそれを止めようともしない。
王妃の、城での生活の苦しみや悲しみを、彼は子供ながらに分かっていたのだ。
そして、それらを全て受け止めるかのように、黙って殴られていた。
その時だった。
王妃が彼を殴る力が弱まった次の瞬間、シアードの服が鮮血を浴び、真っ赤に染まる。
「母上……もう、終わりにしよう。」
シェネルは、背後から王妃に短剣を突き刺したのだ。
涙を流しながら目を閉じるシェネルは、短剣を王妃の身体からゆっくりと引き抜いた。
「シェ……ネ……ル……。」
「母上、僕は今まで、母上のいう事は全て聞いてきました。
だけど、僕は……昔のカリナーンが好きなんだ。
ユニベルを支配なんかしなくていい、強くなくたっていい。
大地と花を愛するこの国が、大好きなんだ。」
「腑抜けが……!」
王妃はそう吐き捨てると、傷口を押さえながら王の間を走って出て行った。
「おわっ!?
何だ!?」
レンジとハープが、怪我を負った王妃とすれ違う。
「レンジ、今のが王妃だ。
後を追うぞ。」
シアードはレンジ達にそう言うと、王妃の流す血の跡を追った。
王妃の足取りは、本当に怪我を負っているのか、と疑いたくなるほど軽やかになっていく。
しかし、床に滴る血の跡が、それは勘違いであると教えてくれる。
王妃は、離れの塔の螺旋階段を駆け上っていく。
シェネルは、この場所に見覚えがあった。
この先にある部屋は薄暗く、かつて王妃とシェネルが使用していた場所だったからだ。
やっと王妃に追いつくと、そこには目を疑う光景が広がった。
王妃は、虚ろな目をした男のベッドに、上体を伏せていたのだ。
男の手を握りしめて───。
「父上……。」
シアードとシェネルは小声で呟いた。
しばらくすると、王妃も何かをぶつぶつと呟いているのが聞こえる。
「……私は……空しかった。
きれいなドレスも……宝石も、この国も何もかも……本当はいらなかった……。
ただ……あなたの傍にいられれば、それでよかった……。
……あなたが好きだったの。
あの日から、ずっと……。
ごめんなさい……騙すつもりはなかったのよ……。
ごめんなさい、ごめんなさい……。」
王妃は、もう長くはないだろう。
眠るように目を閉じ、先代王にその身を預けた。
先代王は、虚ろな目をしたまま、ただひたすら王妃の髪を撫でている。
「リーネ……リーネ、シアード……。」
亡くなった愛する妻と、溺愛していた第一王子の名前をひたすら呟く。
シェネルは寂しそうに、母である王妃と先代の国王である父の姿を、ただただ眺めている。
「マ……リー……。」
先代王はその言葉を最後に、二度と目覚めることはなかった。
傍らで眠るように目を覚まさないマリー王妃の表情は、かすかに微笑んでいた。
「アケル国王!
それに王妃もいるぞ!」
後から駆け付けたリジェの集落の者が、先代王とマリー王妃を引き離そうとするが、それはシアードとシェネルによって阻止された。
「……もうしばらく、このままで居させてやってくれないか。」
「僕からもお願いします。」
腹違いの兄弟が深々と頭を下げることで、集落の人々は手に持っていた武器を下ろした。
その時、集落の人々よりも一際大きな男が、人混みをかき分けて歩み寄ってくる。
「シアード王子、お久しぶりですな。」
「ガラット……。」
「あとはこのガラットに任せてくれませんか。
出来れば二人の墓を、リーネ王妃の隣に作ってやりたいんだが、許してくれますか?」
「もちろんだ、あとは頼む。」
シアードはそう言い残し、薄暗いこの部屋を後にした。
その背中を、シェネルは追いかけていく。
人に背負われているバートは、その光景を見ながら思わず笑みが零れた。
仲の良かった、二人の幼い頃を頭に思い浮かべたのだろう。
こうして、「大地と花の国」を捨てたカリナーンは、帰ってきた第一王子とその一味によって取り戻された。
貧しい女の、一国をも巻き込んだ悲しき恋は幕を閉じた。
「兄上!」
シェネルは、シアードの服を引っ張って引き止めた。
「兄上、この国は……やっぱり兄上が治めるべきだよ。
僕一人じゃ何も出来ないんだ。
だから、兄上がこの国の王になってよ。
みんなもそれを望んでる!」
「シェネル、カリナーンは好きか?」
シアードの、いきなりの言葉にシェネルは戸惑いを隠せない。
しかし、それはすぐに落ち着いた。
「……僕、この国が大好きだよ。
この国に生まれて、本当に良かったと思ってる。
母上はユニベル一の大国にしようとしてたけど……大地と花の国に、武力なんていらないよ。
兄上も、そう思うでしょ?」
目の前にいる弟の眼差しに偽りはなかった。
弟は、この国を愛している。
自分なんかよりも、ずっと。
シアードは、ふっ、と微笑んだ。
「そうだな、お前の言う通りだ。」
弟の頭を一撫ですると、シアードはあるところへと向かった。




