58.情
訓練場では、レンジと大柄の男が闘っている。
双方とも武器を持たない、肉弾戦だ。
レンジは間合いを取りながら、男の腹に何度も拳を繰り出す。
「効かねぇなぁ。」
男は首を左右交互に傾け、コキコキと鳴らしている。
その強靭な肉体は、レンジの攻撃をまるで寄せ付けない。
「ぐあっ!!」
男の正拳付きが、レンジの腹部に繰り出された。
その衝撃で、少年の体は壁に背中から打ち付けられた。
「おいチビ。
兵どもを逃がした代償は高くつくぜ?」
男はレンジの頭を鷲掴みにし、そのまま地面に叩きつけるように投げ下ろす。
そして、顔をぐりぐりと地面に擦り付けながら、男は大声で抵抗しない少年を罵り出した。
「てめぇみてぇなガキに、王妃様の苦しみなんか分からんだろう!?
あの方は孤独だ!
あれだけの人間に囲まれても、この国の王妃になってもな!
この城の兵士達も、国のためになんか動いちゃいねぇ!
だから俺が、俺が守ってやるのさ……!」
男は、レンジの頭を掴んだまま持ち上げた。
当のレンジは、息を荒らげながら、男を無言で見下ろしている。
「ほーお、まだ息があるのか。
チビのくせに意外とタフじゃねぇか。」
レンジは、流血しながらも考えていた。
強靭な肉体を持ち、力も強いこの男に勝つ方法を。
「俺は王妃様と共に、この国を、そしてユニベルを支配する!
邪魔する奴は何人たりとも許さん!」
男は、腕に違和感を覚えた。
ボロボロに痛めつけたはずの少年が、自分の腕をぎりぎりと握りしめている。
その力は徐々に強くなる。
頭を掴む指の隙間から、少年が鋭い目つきでこちらを見ている。
「何が苦しみだ……。
苦しんでるのはてめぇらだけじゃねぇんだよ。」
レンジの脳裏に、先程のバートの姿が浮かぶ。
先日殺された子供や、この訓練場で手の指全てを踏みつぶされた男性の姿など、この国の人々が苦しんでいる姿が次々と浮かんできた。
この国に来てから、笑顔など見ていない。
国民だけじゃない、仲間達の笑顔でさえも───。
「ぐおっ!?」
レンジを掴む男の屈強な腕から、血しぶきが上がる。
頭から手が離れた瞬間、レンジは男を地面に思い切り叩きつけた。
そして、レンジは男の首元に腕を絡ませ、ギリギリと締め付ける。
「はな……せぇ、チビ!!」
「お前は王妃を守りてぇんだろうが、俺だってこんなところで負けるわけにはいかねぇんだよ……!
シアードやみんなのためにもな!」
「シ、シアードだと!?」
男は、聞いていたであろう第一王子の名前に反応した。
「そうさ、シアードはずっと、ずっとこの国の事を考えていたんだ!
王妃によって苦しめられてる国民を助けたいってな!
だから邪魔はさせねぇ、絶対にな!!」
レンジの腕に力がこもる。
しかし、男は自分の半分もない少年の細い腕を簡単に振りほどいた。
「ちくしょう!!」
「……王子。」
「へっ?」
大柄の男は、目を真っ赤にしながら潤ませていた。
その姿はあまりにも非現実的で、レンジは幻を見ているのではないかと自分の目を疑った。
「シアード王子……生きていたんですね。
良かった……良かった……!!」
「お、おいおい、おっさん。
あんた王妃の味方じゃなかったのかよ?」
男は太い指で目頭を押さえた後、レンジの方に目を向けた。
そして、先程とは違う、大らかな口調で語り出した。
「……俺はガラット。
先代国王の時から、この城に仕えている。
シアード王子の近衛騎士団・元隊長だったが、王妃に寝返ったふりをしてたんだよ。」
「おっさん、それ、半分はウソだろう?」
ガラットは、少年の言葉に驚きを隠せないでいた。
そしてなぜそう思ったのかを聞いた。
「王妃に寝返ったとはいえ、王妃の苦しみを知っちまってから、情が移っちまったんじゃねぇのか?」
「……何故そう思うんだ?」
「あんたの攻撃が、本気じゃねぇからさ。
あんた、手加減してただろ。
あんたの力じゃ、俺を殺すことだって出来たはずだぜ?
俺、殴り合いには慣れてんだ。
手ェ抜いてるかどうかなんて、大体分かるさ。」
「……全部お見通しってワケか。
まいったな、こりゃ。」
少年の言葉に、ガラットは笑いが込み上げてきた。
込み上げる笑いを堪えられなくなり、声を出して笑う。
その声が一通り、訓練場に響き終わった時、窓から見える高い離れの塔を指した。
「お前にだけは教えてやるよ。
実はな、先代国王は生きている。
王妃があの塔の中に匿ってるんだ。
事が片付いてからでもいい、シアード王子と向かってくれ。」
「分かったよ、おっさん!」
おっさん、と呼ぶレンジの言葉に、可笑しさが込み上げてくる。
この真っ直ぐで正直な少年に、ガラットは興味が湧いた。
「チビ、名前は?」
「チビじゃねぇよ、レンジだ。」
「俺もおっさんじゃねぇ、ガラットだ。」
「そうか。
じゃあな、ガラットのおっさん!」
レンジはガラットに手を振って、ハープ達の後を追った。
ガラットは、ドカッと胡坐をかいてその場に座った。
「シアード王子は、いい仲間に恵まれたなぁ。」
ガラットは、何処かでで聞いたことあるセリフを呟き、何処かで見たことのある銘柄の煙草に火をつけた。




