53.花が黒に染まる時
それから程なくして、マリーは国王の子を身籠った。
皆、彼女の懐妊を喜ぶが、それは上辺だけであることなど彼女は見通していた。
マリーは妊娠を喜んだ。
自分の子が無事に産まれるよう願い、養生した。
もしこの子が男の子であるならば、国王は溺愛する第一王子のように、この子にも愛情を注いでくれると信じてやまなかった。
自分への愛など、とうに冷めつつある国王だが、我が子なら可愛がってくれるだろう。
愛されなくなった彼女は、そうなることを願い続けた。
第一王子が三つになろうとする時、我が子は誕生した。
男の子だった。
「髪の色が……黒……?」
子供を取り上げた老婆が目を見開き、呼吸が整わないままでいるマリーに声を荒らげた。
「王妃様……あなた、髪を染めていたんだね。
亡くなられたリーネ王妃に似せて、王様をだまくらかしたんだね!?
あぁ、何て卑しい人なんだろう!」
出産という大仕事をやり遂げたにも関わらず、誰一人、マリーに労いの言葉をかける者はいなかった。
確かに自分は、髪を銀色に染めていた。
しかし、騙すつもりなどなかった。
リアンで助けてくれた国王に恋焦がれ、ここまで来た。
初めは一目見るだけでよかったはずなのに、どんどん愛されたいと願うようになり、そしてめでたく結ばれた。
しかし、それは自分の中だけで描いた儚い物語だったのかもしれない。
そこで終わらないのが現実だ。
幸福よりも大きな絶望が、これからじわじわと彼女を蝕んでいく───。
「子どもが産まれたの。
男の子よ。
あなたに、名前を付けてほしいの。」
第一王子を膝に抱いて玉座に座る王へ、マリーは頼んだ。
しかし、王妃が激痛に耐えて産んだ我が子に、王は見向きもしない。
第一王子が、抱いている赤子に興味を示す。
その眼差しには、「弟が産まれた」という喜びが込められているようだが、今のマリーにとっては鬱陶しいものでしかない。
「……何故、髪の色が黒い?」
問いかけてくる王の声は低く、冷たい。
「私の髪の色は金色だ。
お前は、銀色のはずだろう。」
「それは……。」
老婆の言葉が頭をよぎる。
だまくらかした、という言葉が頭の中で繰り返される。
そんなつもりなどないが、髪を銀色に染めていたとは到底言えなかった。
しかし、王はすでに気づいていた。
産前産後と、長らく染髪していなかったため、銀髪の根本からは元の黒い髪が姿を現していた。
マリーはただ、分かってほしかった。
騙すつもりなどなかった事を。
ただ、国王が好きだったということを。
それからマリーは、寂しさを紛らわすため、度々一人でリアンを訪れていた。
貧民街の前を通ると、埃くさい、決していい匂いではない生活臭が漂っている。
マリーにとっては、生まれながらに吸ってきた空気であり、妙に落ち着いた。
そこへ、貧民街のある男が寄ってきた。
「なぁ、あんたマーガレットだろ?
金だ、金をくれ。
今のあんたなら掃いて捨てるほどあるだろう?」
本当の名前で呼ばれた。
ほんの数年前のことなのに、その男の顔はひどく懐かしかった。
つぎはぎだらけの服を着ているその男は、かつて自分をリーネ王妃そっくりに仕立てあげてくれた富豪だった。
大方、商売に失敗して、この貧民街へと落ちぶれていったのだろう。
しかし、自分はもう王家の人間だ。
こんな汚らわしい男の事など、知らない。
「この……恩知らずめ!」
マリーは、男の罵倒を無視して、そのまま貧民街から離れた。
それから、事件は起きた。
中庭での落馬事故だ。
王や城の重鎮が見守る中、第一王子と我が子シェネルが落馬してしまった。
「シアード!」
父である王は、第一王子の名前しか呼ばなかった。
シェネルが倒れたままでいるにも関わらず、周りの側近達は誰一人、シェネルのところには向かわない。
孤独だ。
何もないところにたった一人でいる孤独よりも、人がいる中での孤独は何よりも辛いものだと、マリーは確信した。
呆然とアケル親子を見つめていたら、シェネルが泣き出した。
抱き上げても泣き止まない我が子に、側近の一人が血走った眼で睨み付けて言った。
「うるさいぞ!
泣き止まないのなら、早く何処かへ連れて行け!」
マリーは、離れにある自分の部屋までシェネルを抱いたまま駆けて行った。
螺旋階段を上った先にある、薄暗い部屋の扉を閉めると、崩れ落ちるように泣き叫んだ。
「母上、どこか痛いの?」
嗚咽交じりに泣いている自分を見上げながら、シェネルは言う。
化粧も剥がれ落ち、ぐしゃぐしゃになった自分の顔を、シェネルは小さな手のひらで吹いてくれた。
自分を取り巻く環境も、自分自身も歪んでいく中で、シェネルは心の優しい子に育っていた。
彼女はその喜びを感じた直後、ずっと心の奥底で抑えていた憎悪の箱を開けた。
「あっはっははは……あーっはははは!!」
片手で顔の半分を押さえながら、涙を流しながら高笑いを上げる。
王も、あの忌々しい第一王子も、歪みきったこの国も、必ずこの手で潰してやる。
そして、我が子シェネルを、カリナーンの王にする。
マリーの心に、悪魔が宿った瞬間だった。




