42.じいや
ベッドからハープが上体を起こした。
「ハープ、駄目よ動いちゃ。
まだ休んでいなくちゃ。」
セレスの止める声を聞かず、ハープは壁を伝いながらレンジ達のいる客室へゆっくりと向かう。
壁に両手をついて、もたれ掛りながらにも、ハープの表情は真剣そのものだった。
「いけない……あれを使っちゃ駄目。
あの石は、確かに身を守ってくれるわ。
だけど……それは一時的なものでしかないの。
あの青白い光は……魔物を凶暴化させる副作用があるわ。
私達人間があの石の力を使えば使うほど、魔物は凶暴化してしまって、人を襲うわ……。」
感応石の副作用は、魔物の凶暴化であることに間違いはなかった。
ハープは世界樹の森で初めて感応石の効果を見たとき、それを感じ取っていた。
そして、再びシングが目の前で感応石を使ったとき、その疑問が確信へと変わったのだ。
ベアも、ケイシャ鉱山で見たゴブリンも人を襲うようになったのは、おそらく感応石の実験によって生じた光の副作用にかかったのだろう。
感応石の光は人間には害はないが、魔物の神経や細胞を刺激し、脳波を乱す。
アカデミーの人間は、このことを知っているのか?
それすらも気にはなったが、確かめる手段はない。
だが、ハープの話を聞いたドン・チェルニは驚く様子もない。
その石にどんな副作用があろうとも知ったことではない。
金になるからだ。
金にさえなってしまえば、後どうなろうが自分の知ったことではない。
が、そんな醜い考えは、目の前にいる美しい少女に悟られたくはなかった。
「ありがとう、可愛いお嬢さん。
肝に銘じておくよ。」
と一言、目を伏せて言うだけだった。
ユニベルは今、本当に平和なのか?
感応石に頼らないと、自分の身を守れなくなりつつあるのか?
世界樹の時といい、自分の知らないところで今、何が起きているのだろう。
そんな疑問が、レンジの頭をいっぱいにした。
「その感応石とやらの情報が入ったら教えてくれ。
そして、手に入れた暁には私に是非とも売ってくれ。
よろしく頼むよ。」
ドン・チェルニの言葉を後に、四人は礼を言うなり屋敷を出た。
「なーんか、これだけ店がありゃ、どっかで売ってそうなんだけどなー。」
レンジ達は、当てもなく街中を歩いている。
休んだからか、それとも気候に慣れて来たのか、ハープは大分体力を取り戻していた。
街中よりも少しはずれの、ある場所に到着する。
リアンの貧民街である。
そこでの生活は本当に此処もリアンの街中なのか、と疑うほどであった。
働きもせずに、地べたに茣蓙をひいて寝転んでいる若者や、古びたハットを逆さまにして物乞いをしている老人の姿が目に付いた。
昼間から質の悪い酒をあおる男が、酔いつぶれたのか倒れてしまう。
持っていた酒瓶の割れる音で目を覚まし、広がった酒の泉を見て、うなだれている。
あの華やかな街並みにもこんな場所があるとは、と、この街の一番上とこの現状を見てしまったために、どうしてもそう思わずにはいられない。
その時だった。
「シアード……坊ちゃま……?」
背後から擦れた老人の声がする。
呼ばれた名前に振り向くと、そこにはグレーのフードを深く被った老人が立っていた。
「やっぱりそうじゃ……。
シアード坊ちゃま、いえ……シアード王子。
生きて……生きておられたのですね……良かった……!」
老人は、シアードの顔を確認するや否や、目に涙を浮かべている。
「ど、ど、どういうことだよ!?
人違いじゃねぇのか!?」
「そうよ!
だって、シアードはずうっと私達と一緒にいたんだよ!?」
レンジとセレスが狼狽えながら、涙する老人に詰め寄る。
だが、老人は少しも動じることなく首を横に振り、話を続けた。
「このじいが、シアード坊ちゃまのお顔を見間違えるはずなどありません。
じいめはシアード坊ちゃまの事を、一日足りとも忘れたことはありませんでした。
ここの貧民街では、どうしても人目に付いてしまう。
どれ、この街の西にある集落に行きましょう。」
レンジとセレスは、もう何を言っているのか理解しがたい老人が怪しくてたまらないせいか、怪訝な態度を隠せないでいる。
しかし、ずっと黙っていたシアードが、ようやく発した言葉がそれを打破した。
「じいや───。」
そう呟いたシアードの顔つきは、少しばかりの幼さが覗かせたものだった。




