40.馬鹿正直なだけだよ
シングの登場を一番最初に驚いたのは、セレスだった。
世界樹の森で見た回想とは違い、目の前にいる彼、いや父親は、若く見えても明らかに年を重ねていた。
だが、今はそれどころではない。
今は、街に危険を及ぼすこのグリーンアーボを何とかしなければならない。
そう考えているうちに、レンジが敵の頭上から振り落とされた。
何とか受け身をとって無事を装うが、ダメージが蓄積されたのか、しゃがみこんでしまった。
「バカな!?」
シングは確かに感応石を使った。
しかし、グリーンアーボは人食い蛾のように逃げることはなかった。
それどころか、自分の身体全体をめいっぱい使い、より暴れ回っている。
うねったり、飛び跳ねたりした際に起こる衝撃によって、飛び散る瓦礫や硝子の破片が、レンジ達の体力を徐々に奪っていく。
「きゃあっ!」
首元に巻き付けたセレスの鞭が、凶暴化した敵の衝撃によって弾かれる。
凶暴化した敵は、上顎の鋭い牙を見せながら口を大きく開け、今にも人間を丸飲みにしようとしている。
「皆、離れてっ!」
ハープは両手を、敵に向けて身構える。
すると、何もなかったその場から、物凄い勢いの水砲が発射された。
超水射撃という、水の中級攻撃魔法である。
その水砲を口からまともに受けた敵は、何を発することもなく、その場に倒れ込んだ。
大きな地響きと砂埃が湧き起こり、人々は咳込みながらも倒れた大蛇を確認すると、わぁっ、と歓声を上げた。
「あぁ、良かった……。
みんなありがとう。」
大量の魔力を使ったハープは、安堵の表情を見せながら、その場にへたり込んだ。
だが、不思議と頭は働いていた。
先程の戦いで少女が抱いていたある疑問は、確信へと変わった。
街の人々がレンジ達に感謝する中、セレスはその場を立ち去ろうとするシングに話しかけに行く。
その姿を、レンジとシアードはちらっと横目で認識した。
彼女は戦いの最中でありながらも、シングが自分の父親だということに気づいていた。
もしかして、彼も自分に気づいてくれているのか?
彼女は意を決して、シングに尋ねた。
「シングさんって……子供はいるの?」
「おっと、いきなりすごい質問だねぇ。
僕、年齢よりだいぶ若く見られるはずなんだけどなぁ。」
セレスの問いを茶化して誤魔化そうとするが、セレスの真剣な眼差しがそうはさせなかった。
やがてシングは、彼女の目を見つめて、真剣に語りだした。
「……実は僕、子供が一人いるんだ。
見えないでしょ?
ただ……生きているかどうかも分からないんだ。
でも、僕はもし子供が生きていてくれてたとしても、顔を合わせることなんて出来ないよ……。」
「どうして?」
「僕は、妻も子供も守り切れなかった、サイテーな父親だからさ。
君は僕みたいな男とは結婚しちゃいけないよ。」
───私はここだよ。
ちゃんと生きてるよ。
そう伝えたかった。
だが、セレスは言葉が出てこない。
喉仏を潰されたような感覚に陥っていたが、やっとの思いで声を絞り出した。
「奥さんと子供さん……会えるといいね。」
「ありがとう。
それじゃあ、またどこかで。」
シングは微笑みながらセレスに手を振って、その場を後にした。
セレスも彼に応えて手を振っていたが、彼の背中が見えなくなると、目頭がじわーっと熱を帯びてくるのを感じた。
「セレス。」
遠くから一部始終を見ていたハープがセレスの傍に行き、彼女の肩に優しく触れた。
トリノの船着場に行くと、船長が腕組をしている。
どうやら先程の大蛇を見たせいで、船を出すかどうかを悩んでいるらしい。
「船長さん、俺達どうしても行かなきゃならねぇんだ。」
レンジが珍しく懇願している。
大長老の、あまり時間が残されていないという言葉に、レンジなりに危機感を抱いているのだ。
ゼロがあんなに恐ろしいものだとは思わなかった。
絵本の物語が今、現実になろうとしているのなら、それは言葉では言い表せないほどの恐怖だ。
そんなレンジの焦りを感じ取ったのか、船長はひとつ案を出す。
「……分かった。
ただし、行きの船までしか出さんぞ。
それでもいいのかい?」
「あぁ。」
「よし、そうと決まれば出航だ。
行き先はアルメイン大陸、商業の街リアン!」
レンジ達が乗り込むと、船は汽笛を一回鳴らす。
そして、船は出発したが、乗客は自分達だけであった。
船乗りも数名しかいない。
だが、不思議と不安はなかった。
それよりも大切なことをしなければならないと、レンジは考えていたのだ。
船の上で過ごす夜は、肌寒く感じる。
船の甲板の上でセレスは一人、海を見ながら物思いにふけっていた。
「……何よ。」
セレスは顔を見ることなく、足音で誰が来たか把握していた。
レンジはいつもと違う彼女の雰囲気に、近寄ることが出来ないでいる。
少し離れた位置から、レンジはセレスに話しかけた。
「あ、あのよう……。
いろいろあったけど、げ、元気出せよな。
お前が元気なかったら、なんか調子狂うんだよ。」
レンジが考えていた大切なこととは、セレスを元気づけることであった。
セレスはつかつかと歩み寄り、額に人差し指を当てた。
「ばぁか!
レンジのくせに、私を慰めようなんて百年早いのよ!
アンタはハープを守ることだけ考えてりゃいいの。」
「な、何だよっ!
人がせっかく……もういいよ!!」
不意を食らったレンジは、大股で部屋に戻ろうとする。
「レンジ。
……ありがと。」
レンジは小声で告げたセレスの言葉に、何だかムズムズする感覚が体中を駆け巡った。
彼女を元気づけたいのは、何もレンジだけに至ったことではない。
シアードも、ハープも、レンジに先を越されたために、船の中央にある大柱の影から、二人の様子を見守っていた。
「ねぇ、シアード。」
「ん?」
「レンジって、優しいね。」
「あいつは馬鹿正直なだけだよ。」
シアードは腕を組みながら夜空を見上げた後、微笑ましくレンジの背中を見つめていた。
船は、セレスの心の中にあるわだかまりをゆっくりと溶かすように、アルメイン大陸を目指す。




