34.絶望
ロキはシングを殴った後、つかつかとメビウスの正面まで歩み寄った。
「こいつらの代わりに、俺がそのアカデミーとやらに行ってもいいか?
出来ることがあるなら、協力だってする。
なぁ、アンタらも人間なんだろう?
こいつはたった今、俺との約束を破ったけど、フツー人間は約束をちゃんと守るって聞いたことがある。
俺達よりも短い寿命で、精いっぱい生きてるってことも知ってる。
俺、アンタらの研究に何でも協力するから。
だから……こいつを見逃してやってくれないか。」
「ロキ!?」
立てないままでいるセリシアは、ロキを呼び止めることで精いっぱいだ。
セリシアは、彼が人間を見下していることを知っていた。
それなのに、彼は自分達を守るために、その人間についていこうと言っているのだ。
メビウスは下から上に、舐めまわすようにロキを眺める。
そして少し沈黙をおいた後、ロキの顎先を持ち上げ、口を開いた。
「ほぉ、エルフの中にはお前みたいな物分かりのいい奴もいるんだなぁ。
いいねぇー、その心意気、気に入ったよ。
人間のこともよーく知ってるみたいだしな。
いいだろう。
お前に免じてこの女とガキ、他のエルフも解放してやるよ。
お前の言った通り、俺達人間は約束はちゃーんと守るんでね。
おい、あれを持ってこい。」
「はっ。」
メビウスは、近くにいた白衣の男に指示を出す。
男は黒い鞄から、何かしらの無機物を出してきた。
それはどうやら、頭に被る装置のようだ。
「抵抗されたら面倒だからな。
俺達人間は、用心深いんだ。
それも覚えておきな!」
装置を被せようとしてくる男の目は、まるで魔物が獲物を見つけたかのようにギラギラしている。
息を荒らげ、眼鏡越しに見える細い目が一層不気味に感じる。
「ロキ!」
セリシアの呼ぶ声にロキは振り向き、そして悲しそうに微笑んだ。
「だから俺にしとけば良かったんだって!
……バカヤロウ。」
悲しくも切ない声は、装置を被らされた瞬間、叫び声に変わった。
悲鳴交じりの叫びに、エルフ達は思わず耳を塞いだ。
がくん、と手の力が抜けたのを確認すると、男は「ひ、ひひ、ひっひひ」と気持ち悪い笑いを浮かべながら、気を失ったロキを担ぎ上げた。
「ロ……ロキ……!」
意識が朦朧とする中、シングは起き上がり、メビウスに掴みかかった。
「……何かを犠牲にしないといけない平和なんて……本当の平和じゃない!
どうして君達には……それが分からないんだ……!
僕はずっと……そう言って来ただろ!」
「そうするしかないってことも、分かっているんだろう?
気安く触るな、この偽善者め!」
「うぐっ!!」
メビウスは、シングの腹に思い切り拳を入れた。
シングはそのまま気を失ってしまい、身を預けるようにメビウスにもたれかかる。
触れたくないのか、メビウスは汚いものに触れたかのような表情を見せたかと思うと、
「このクズも連れて帰るぞ。」
と一言、男達に命令する。
白衣を着た男達が森を後にしようとしたとき、メビウスはセリシア達の方を振り返る。
恐れをなして震えているエルフ達の光景に、口角だけを上げて不気味に笑った。
「これはお礼だよ。
こいつが世話になったんでな!」
メビウスは、小瓶を世界樹に向かって投げつけた。
小瓶が割れた瞬間、この森に似つかわしくない赤い炎が燃え上がる。
そしてメビウスと男達は、高笑いを上げながら、世界樹の森を後にした。
世界樹が燃えている───。
その光景に呆然と立ち尽くすエルフ達を奮い立たせるために、最初に言葉を放ったのは他の誰でもない、セリシアだ。
「みんな、火を消さなきゃ!
じゃないと……世界樹が燃えちゃうよ!
今ならまだ間に合う、急いで!」
抗う気力もなかったはずのセリシアは立ち上がり、船型の大葉に水を汲み、炎を上げて燃えている世界樹に水をかけた。
片手に抱いている泣き叫ぶセレスに、
「もう少しで終わらせるから待ってね?」
と、優しく声を掛けると、何度も水を汲んではかけ、汲んではかけを繰り返す。
その姿にエルフ達はようやく我に返ったのか、全員がセリシアと同じ行動をとる。
世界樹の炎は一晩中燃え上がっていたが、皆の協力の甲斐あって消化することが出来た。
だが、エルフ達の怒りは収まらない。
メビウス一味はもちろんのこと、シングに対しても、人間全員に対しても。
そしてその怒りは、セリシアに向けられたのだ。
「元はと言えば、お前が人間なんかを助けるからだ!」
「ロキの気持ちも知りながら……この薄情者!!
ロキが可哀想だ!!」
「人間なんか、見殺しにしとけば良かったんだ!」
「そいつは悪魔の子だ!」
「出ていけ!
この森から、悪魔の子と一緒に出ていけぇ!!」
夜明けと共に、エルフ達から浴びせられる罵声に、セリシアは耳を塞いで家に閉じ篭っていた。
罵声が止んだかと思うと、扉が静かに開いた。
扉の方角に目をやると、エルフの長が黙って立っていた。
何も言わず、ただ、じっとセリシアの瞳を見つめていた。
その眼から全てを悟ったのだろう。
その後、誰もセリシアとセレスの姿をこの森で見かけることはなかった。
レンジ達に見せられていた光景は、ここで真っ暗になり、そして途切れた。
この森で起こった壮絶な過去に、誰も、何も話そうとはしない。




