33.バッカじゃねぇの
セレスが誕生して、さらに一年が過ぎた。
細い枝を編んで作られたゆりかごの中で、セレスはすやすやと眠る。
可愛らしい愛娘の寝顔を、セリシアとシングは傍で見守っていた。
二人からは、思わず笑みがこぼれる。
「この子はきっと人間ね。
うん、その方がいい。
私達エルフみたいに、長生きする必要はないわ。」
「僕、できることならエルフになりたいよ。」
「どうして?」
「ほら、僕達人間は、君より先に寿命がきてしまうだろ?
この子が人間なら、君よりも先にいなくなってしまうんだぞ。
そんな悲しみを、君だけに背負わせたくないよ。」
俯きながら語るシングに、セリシアは微笑みかけた。
「私、今とっても幸せよ。
もしその時が来たとしても、あなたとこの子の記憶を糧に生きていくわ。
大丈夫、私、そんなに弱くはないもの───。」
シングは、無言でセリシアを抱きしめた。
何も言うな、と言わんばかりに強く、優しく。
セリシアはシングの胸の中で、目を閉じてその身を任せる。
この安らぎが、いつまでもあってほしいと、そう願った。
「ふぎゃぁ、ふぎゃぁ。」
セレスが目を覚ますと、セリシアはすぐさま駆け寄り、優しく抱き上げた。
シングは、ただただ微笑ましく二人を見つめている。
セリシアをとられたなぁ、と少しのやきもちと共に。
しかし、幸せな日々はそう長くは続かなかった。
家族三人で世界樹のふもとで遊んでいると、白衣を着た男たちがやってきた。
十数名ほどいるようだ。
「シング博士。」
それはとても低くて冷たい声だ。
白衣を着た男たちの中の一人が、シングに声を掛けた。
「帰りが遅いと思ったら、何をしているんですか?」
「メビウス……!」
シングは確かに、その男の顔を知っていた。
幸せな生活の中にいても、この冷酷な男の影が頭のどこかにいつも存在していた。
赤い瞳と、蛇のような鋭い目つきは、ゾッとするほど恐ろしい。
一つに束ねられたカラスのように黒い髪が、白衣の上で靡く姿は一際目立つ。
メビウスと呼ばれる男は、辺りを一瞥した。
そこには、男達が侵入してきたことに警戒しつつも、集まってきたエルフ達がいて、シングの傍らには、幼子を抱いている、赤髪の女性がいる。
そして、幼子の顔はどことなくシングにも似ていることから、頭の回転の速いメビウスは、瞬時に全てを把握した。
そして、わざとらしく大声で語りだした。
「いやぁ、さすがシング博士!
エルフを研究サンプルとしてアカデミーに連れて帰るはずでしたが、怪しまれないように時間をかけていたんですね!
それなら帰りが遅いのも納得出来ます!」
メビウスの話は、この場にいる全てのエルフの耳に入ってくる。
エルフ達が騒めき出す中、彼はにやりと笑みを浮かべ、さらに話し続ける。
「その子供も、人間とエルフの子供なんですよね?
いやぁ、実験対象としては最適でしょうね!
さぁ、アカデミーへ帰りましょう。
平和のための研究で、私達も本当に忙しくて忙しくて!」
「そんなんじゃない!!」
シングの声が、世界樹の森に響いた。
「僕は、もうアカデミーには帰らない。
家族もできたんだ、幸せなんだ。
だからお願いだ、引き上げてくれないか。」
「───バッカじゃねぇの。」
少しの沈黙の後、メビウスは敬語を使うのを辞めた。
彼が言い放った言葉は、明らかに目上の者に話す口調ではない。
まるでゴミ屑を見るかのような目つきで、シングを見やる。
「こっちも時間がないんでね。
女神サマも、もってあと二十年なんだ。
ご存じなんでしょ?
エルフの寿命は長いってことくらい。
エルフの寿命、治癒魔法、どれも女神サマにとって必要不可欠なんだよ!
ほら、腑抜けてないでさっさとエルフを捕えろよ!」
メビウスの言葉はナイフのように鋭く、シングに突き刺さる。
「私……だまされてたの?」
「そんなワケない!
セリシア、僕は……僕は君を───!」
「近寄らないで!!」
シングが近寄ろうとすると、セリシアは後ずさりした。
セレスを抱いた彼女の顔には、涙が溢れ出ている。
絶望の淵に立たされたシングは、はっ、と気づいて辺りを見回す。
周りのエルフ達が、白衣を着た男たちの手によって捕えられている。
しかも、女性や子供といった、力の弱いエルフばかりを狙ってだ。
「やめろ……やめてくれ!!」
次々と縛られていくエルフの姿を前に、シングは叫ぶしかなかった。
「やめろ、お前ら。」
メビウスが一言そう発すると、男たちは手を止めた。
「なぁ、取引をしよう。
その女と子供だけでいい、サンプルとして寄越せ。
そうすれば、今捕まえた全員を解放してやる。」
シングから一番大切なものを奪い、壊してやりたいのだ。
メビウスは、人の不幸ほど自分を喜ばせてくれるものはないという、何とも極悪非道な思考の持ち主だった。
セリシアはその場に崩れ落ちた。
身体から力が抜けて、立ち上がることも出来ないでいるが、セレスだけはしっかりとその腕に抱いている。
いきなり、メビウスの視界からシングが消えた。
何かが倒れる音がした方に目をやると、シングが倒れていた。
自分は殴っていない。
では一体誰が、と辺りを見ると、そこには栗色の髪をした男のエルフが立っていた。
「おい、シングさんよ。
俺、セリシアを泣かすなって言ったよな?」




