116.蒼龍の大渦
「何故クラーケンが船を襲う!?」
船長は、クラーケンの様子に驚いていた。
クラーケンは長い吸盤の付いた足を、うねうねと船に絡ませてきた。
そして、手あたり次第、人を掴んでは海へと放り投げていた。
クラーケンは深海に生息する巨大なイカの魔物であるが、人を襲う事など滅多になく比較的穏やかな生物だった。
時には魚の群れを引き連れたり、船が進むように流れを作ってくれていたりと、漁師や船乗りにとってはありがたい存在であったはずなのに、どうも様子がおかしい。
「クラーケンが人を襲うなんて初めてだ……。
トリノの大蛇といい、一体ユニベルで何が起こっているんだ!?」
船乗り達は、海での戦闘には慣れているのか、その場にあった銛を握る。
そして、渾身の力を込めてそれを突き刺した。
クラーケンは痛みからか、奇声を上げながら足を引っ込めた。
その時、クラーケンに眩しい光が当てられた。
辺り一面が、まるで真昼の様に明るくなる。
深海に棲むと言われているクラーケンは明かりが苦手であるという事を、海に関わる者ならば皆知っていた。
「オッサン、俺達も力を貸すぜ!!」
レンジの声に、五人は戦闘態勢をとった。
船長と船乗りは、出来るだけクラーケンを傷つけたくはないと考えていた。
だが、乗客が次々に海に放り投げられるのを見ては、そうも言ってられないと、甘い考えを捨てた。
にゅるにゅると何本もの足が船に絡みつく。
そして尋常じゃない力で、船のマストをへし折った。
「この化け物イカがぁ!!」
レンジは助走を付けながら、拳に火を纏わせた。
そして飛び上がり、クラーケンの巨大な体に正拳突きを入れた後、体を回転させて回し蹴りでダメージを与える。
ぐにゃん、とその部分がへこむと、クラーケンはレンジを掴もうと足を二本振りかざした。
だが、その足はそれぞれシアードとロイドの剣によって切断された。
辺り一面に半透明の、青い血の雨が降る。
こうなれば、正装をしていた乗客の衣類も汚されたテーブルクロスも、同じ汚れた布でしかなかった。
「ウ、ウソでしょ!?」
セレスは目を疑った。
シアードとロイドが斬ったはずの切り口から、すぐさま新たな足が生えてきた。
そして二人はそのままクラーケンに掴まれてしまい、船の上に投げ落とされた。
「シアード、ロイド!!」
セレスは二人の傍まで駆け寄り、すかさず治癒魔法をかけた。
一方でハープは何も出来ないでいた。
激しく揺れ動く船の上では、詠唱が幾度となく遮られてしまう。
「どうしよう……このままだと、みんなやられちゃう!」
焦っている時、なおも一人で戦い続けるレンジの姿が目に入った。
連続技を繰り出しつつ、クラーケンの攻撃をかわしている彼の体力は確実に奪われていた。
その時、何処からともなく優しい声が聞こえる。
ハープの心に、水の精霊アクアが、直接語り掛けてきたのだ。
(ハープ、私も力を貸しましょう───。)
その声が聞こえなくなった途端、ハープの身体に魔力が迸る。
そして、水色のオーラを身に纏ったハープは詠唱をはじめた。
その詠唱は、今まで誰一人として聞いたことのない言葉であった。
溢れる魔力から、只ならぬ危機感を感じたクラーケンは、標的をハープに変えた。
「な、何だ!?」
戦いに集中していたレンジは、ふとクラーケンが目指す方向に目をやる。
そこには水色のオーラを身に纏い、詠唱するハープの姿があった。
クラーケンの足は、にゅるにゅると船の上を走る。
「やめろ!
ハープに近づくんじゃねぇ!!」
クラーケンのぬるぬるした体に、爪を立てながらも必死にしがみつくが、動きは止まらない。
レンジの呼ぶ声が響いた時、ハープの魔法は海を唸らせた。
「蒼龍の大渦───。」
それは、アクアの力を借りた水の究極魔法だった。
海にはまるで龍のような大渦が現れ、それと共に強力な雨嵐がクラーケンを襲う。
クラーケンの巨大な体をものともせず、雨嵐は唸りを上げてクラーケンを大渦へと飲み込もうとする。
「レンジ、早くこっちへ!!」
セレスは手を伸ばしてレンジを引っ張りあげようとする。
レンジはセレスの手を掴んだが、クラーケンの足が下から絡まってくるのを感じ、逃れられないことを悟った。
「セレス、離せ!
このままだと、お前まで!!」
「バカ!!
アンタは絶対に死んじゃダメなんだよ!!
オリバおばさんが悲しむわ、それに……私も……!!」
クラーケンの足が、レンジに絡みついたまま離れない。
そしてクラーケンは、レンジとセレスを連れたまま大渦に飲み込まれていった。
雨嵐が止み、大渦も消えた時、船乗りがまだ息のある乗客を小舟で救出する。
だが、その中に二人の姿はなかった。
「嫌……いやああぁーーー!!!」
ハープの叫び声が、夜の大海へと響いた。




