115.酒
一方でレンジは、酒の席に迷い込んでいた。
そこでは気分やテンションを上げるための酒が、無料で配られている。
船が港を離れてからしばらくが経つ。
日はすっかり落ち、空を橙色に染める。
波が穏やかになったところで、船乗りが酒を飲んで一息ついていた。
「おいっ、坊主!
お前もこっちきて飲め飲め!」
腕の太い船乗りが、物凄いテンションでレンジを捕まえた。
「ぶわっ!!
オッサン酒臭ぇ!!
俺はまだ酒飲めねぇよ!」
「固い事は言いっこなしだ!
ほらほら!」
レンジの返事も聞かないまま、船乗りは少年の口元に酒を運んだ。
くん、と嗅いでみると、葡萄酒とは違った、柑橘系のいい香りが広がった。
スクリュードライバーというカクテルらしい。
レンジは、船乗りの残りをグッと飲み干した。
酸っぱくも甘い、すっきりとした味が口いっぱいに広がった。
「……うめぇ!」
レンジの飲みっぷりに、やんややんやと周りから声が上がる。
調子に乗ったレンジは、テーブルの上にあったグラスに手を伸ばす。
ライムの香りがするそれは、モスコミュールというカクテルらしい。
今度はそれを飲み干すとまたもや歓声が上がり、場は大いに盛り上がった。
「これは?」
レンジは、自分の隣にいる紳士のグラスに目をやった。
「これはウォッカと言ってね。
先程のカクテルにも使用されていた物だよ。
だがこれを直に飲むのは、君にはまだ早すぎるよ。」
「いいよ、ちょうだい。」
「あっ!」
レンジは、紳士の言葉を待たずして、くっ、とウォッカを飲み干した。
「これ……何も味しねぇ。」
ウォッカはカクテルとは異なり、無味無臭のものが一般的だった。
初めて飲む者は、そのきついアルコール度数に大半がむせる。
レンジはむせるよりも先に、視界がぐるんぐるんと回り出した。
そして、その場に倒れ込んだ。
がやがやと騒ぐ声がだんだんと遠くなっていく。
レンジはそのまま、視界が真っ暗になった。
「じゃあ、目が覚めたらまた教えて下さい。」
「はい……すみません。」
「いやぁ、セルナード大陸に行く船旅では日常茶飯事ですよ。
では、失礼します。」
ドアが閉まる音が聞こえた時、レンジは意識を取り戻したことを認識した。
目を開くと、そこにはシアードとセレスの姿があった。
「あれ、ここは?
……っ!!
いてぇー、何だコレ……。」
上体を起こすと、額に置かれた濡れタオルが落ちる。
しばらくすると、初めて味わう頭痛に襲われた。
「目が覚めたか、ほら。
飲んだら多少は楽になる。」
シアードはレンジに、一杯の水を手渡した。
最後に飲んだ酒と何ら変わらない透明の液体を、レンジはまじまじと眺め、勘ぐっていた。
「ただの水だよ。」
シアードの言葉に、レンジは水を全て飲み干して一息ついた。
喉がカラカラであった少年は、水が体に浸透していく感覚を覚えた。
「二日酔いって、アンタ、何でお酒なんか飲んでんのよ。
おかげでこっちは大変だったんだからね!
……まぁいいわ。
こっちはこっちで、おもしろいものが見れたわ。」
それは、セレスがシアードと船の上を歩いている時のことであった。
バー席の方で騒ぎが起こり、そこに駆けつけると、レンジがけらけら笑いながら地面に大の字になって寝転んでいた。
折角の(半ば強引な)デートを邪魔されたセレスは、仕方ないな、という表情を浮かべていた。
「あれ、ハープとロイドは?」
レンジはきょろきょろと辺りを見回した。
そこには二人の姿はなく、レンジは港での出来事を思い出した。
もしかして、また二人っきりに……と考えた時、腕を組んでいるセレスがため息をついた。
「アンタって本当、寝ても覚めてもハープの事ばかりね。
アンタが思ってるような事は起きてないわよ。
だって、ハープはずっとアンタに付きっきりだったんだから。」
「え?」
セレスの話によると、ハープはずっと自分の看病をしていてくれたらしい。
レンジは、心底自分を恥ずかしく思った。
周りの雰囲気に飲まれた挙句、仲間に迷惑をかけてしまった。
その時、部屋の扉がそっと開いた。
そこには、銀製の器を抱えたハープの姿があった。
「レンジ!
良かった、目が覚めたんだね。」
彼女はそう言うと、ベッドの傍のテーブルに器を置いた。
そこには水と氷が並々と入っていた。
「お水、変えてきたんだよ。
でも、元気そうで良かった。」
ハープは、ほっとしたのだろう。
柔らかい笑顔でそう言った。
「ハープ……。」
自分に向けられた優しい笑顔に、思わず抱き寄せたくなった。
だが、レンジの周りに漂う臭いが、それを阻止した。
「俺、もしかして酒臭い?」
「……ちょっと、ね。」
一部始終を見ていたシアードとセレスが思わず吹き出した。
調子に乗って酒なんか飲むんじゃなかったと、レンジは後悔せざるを得ない。
自分を恥じていたその時だった。
「うわっ!!」
船が左右に大きく揺れた。
身体の動きを止めて様子を伺っているとき、ロイドが血相を変えて部屋に飛び込んできた。
「まずい、魔物だ!!」
「何だと!?」
レンジ達は、急いで甲板へと向かった。
真っ暗闇の中、そこには一際大きな物体が見える。
その物体は青白く、足を何本もうねらせている。
魔物の正体は、船ほどもあるクラーケンだった。




