111.なくならねぇよ
「ハープ!」
レンジは、ラクベールの都を出てすぐの森でハープを発見した。
「レンジ……。」
汗だくになりながら息を切らしているレンジの姿に、ハープは彼が自分を探し回っていたのだという事に気付いた。
「ごめんね、もう大丈夫。
みんなのところに戻らなくちゃ……。」
ハープは声を震わせながら俯き、レンジの前を横切ろうとした。
だが、次の瞬間、レンジがハープを抱き寄せた。
ハープは背中から、彼の熱い体温を感じる。
「……ごめんな。
俺……バカで、何も知らなくて……ハープの事、何も分かってなかった。」
ハープはなおレンジの腕の中で、大丈夫、と繰り返す。
いくら鈍い自分でも、彼女の声色、そして、震える身体から彼女の言葉が嘘だということが分かる。
「いっぱい傷つけてきて……ごめん。
何も分かってやれてなくて……ごめんな。
いつも自分のことばっかりで、本当にごめんな……っ!!」
何度謝っても足りない。
だが、今の自分には、謝ることしか出来ない。
ハープの使命を変わってやる事は、誰にも出来ないのだから。
その時、彼女を抱きしめる自分の腕に、ぽたぽたと暖かい水滴が落ちてくるのを感じた。
「……怖いの。」
囁くような彼女の声を聞き取った時、レンジはハープの向きを変え、両肩に手を添えた。
正面から見たハープの顔は、まるで幼い子供の様に弱々しく泣き崩れていた。
大人しくも気丈に振舞う、いつもの彼女の姿は何処にもない。
「印の魔法を使うのが怖いんじゃない……。
命を落とすのが怖いんじゃない……。
今まで過ごしてきた時間を失うのが怖いの。
あなたとの思い出を失ってしまうのが……一番辛いの。」
レンジは、ハープの身体を抱き寄せた。
まるで大切にしている宝物を抱くように、強く、優しく、ありったけの力を込めて抱きしめた。
「レンジ……?」
「……なくならねぇよ。
絶対なくさせねぇ!」
レンジはハープの目をじっと見据えて、そして誓う。
「ハープ、聞いてくれ。
俺はゼロを倒す!
印の魔法は、俺が絶対使わせない!」
「でも、そんなの……。」
「無理じゃねぇ!
俺は今よりも、もっともっと強くなる。
それにここを旅立った時、約束しただろ?
たとえ何があってもハープをちゃんと守るって。
ゼロを封印するんじゃねぇ、倒すんだ!
倒して、ユニベルが平和になった時、今度は二人で旅に出よう。
そんでハープのやりたいこと、全部やろう!」
ハープはレンジの腕の中で、微笑みながら涙を流す。
その涙は、悲しみの涙から喜びの涙へと変わった。
涙は、嬉しい時にも出るものだと何処かで知ったが、こうも暖かい気持ちになるとは知らなかった。
心の何処かで、いつも助けを求めていた。
心の奥底に閉じ込めた使命に対する恐怖が、いつ顔を覗かせるのかと、いつもいつも怯えていた。
あの時の自分の直感は、間違ってはいなかった。
全てを抱きしめてくれる彼を守人に選んで、本当に良かった。
「レンジ……ありがとう。」
ハープはそう呟いた後、そっと、レンジの背中に腕を回した。
まるで彼に応えるかのように、ぎゅっ、と抱きしめる。
彼の、思っていたよりもずっと逞しい胸板に頬を寄せ、涙を拭うことなく微笑んだ。
一方で、抱きしめられたレンジは硬直している。
まさか、ハープに抱きしめられるとは思ってもみなかったから。
そして、今しがた自分が彼女に言った事を思い出す。
ゼロを倒すなどという不可能に近い考えに、自分自身でも驚いた。
だが、ハープの命を救うにはその方法しかない。
ゼロの力は何度も見てきた。
闘うたびにゼロは強くなり、そして今や完全に目を覚ました。
それでも、ユニベルを真の平和に導くためには、倒さなければならない。
自分の愛した少女を救うためにも───。
「戻ろう。」
レンジはハープの言葉が嘘ではないと分かった時、ブックガーデンの時のように、黙って左手を差し出した。
ハープは何の迷いもなく、レンジの左手を握る。
「ねぇ、レンジ。」
「何?」
繋いだこの手を、どうか離さないで。
ハープはそう言いかけたが、ぐっと言葉を飲み込んだ。
「……ありがとう。」
レンジは何も言わず、ハープの右手をより強く握り、そして頭をぽりぽりと掻く。
それは、彼が照れている時にする癖であり、ハープはそれを見抜いていた。
先程までの悲しい気持ちがまるでウソだったかのように、ハープの心は暖かくて優しい気持ちでいっぱいだった。
そして二人は手を繋いだまま、大神殿へと入っていった。
奥の間に到着した時、ハープはレンジの手を離し、その場にいる者に深々と頭を下げた。
「迷惑かけてごめんなさい。
もう大丈夫です。」
「ふむ……何はともあれ、無事で何よりじゃわい。」
咎められると思っていたが、大長老は長い髭を撫でながら微笑んでいた。
その微笑みは、今まで見たこともない程の優しいものだった。




