104.傷痕
「そうか……火の精霊はこのガキに力を貸したんだな。」
メビウスは地面に転がるレンジを一瞥し、独り言を言う。
そして、気に食わなかったのか、レンジを思いっきり蹴り上げた。
それでもなお眠り続けるレンジの胸に、短剣を突き刺そうと構える。
ぐっ、と握りしめ、突き刺そうと腕を上げた瞬間、短剣は弾かれた。
衝撃が走った方向を睨むと、そこには黒髪の若い男女の姿があった。
「レンジから離れろ!!」
メビウスは、ロイドとハープの姿を見て、何かを思い出したかのように笑い出す。
その場から立ち上がると、メビウスは何の警戒心もなく、微笑みながら真正面からロイドとハープに近づいてくる。
その姿があまりにも不気味で、二人は何も出来ないでいた。
「よう、元気だったか?
出来損ないと、女神サマ。」
女神、という言葉に、ハープの身体はびくっと反応した。
メビウスは二人の目の前まで歩み寄ると、ロイドの顎先をくいっと持ち上げて、歪んだ笑みを浮かべている。
「ほー、お前は父親似か。
どうだ、エレナは話せるようになったか?」
「いいや……。」
ロイドの答えに、メビウスは肩を震わせて笑い出した。
そして、彼の鋭い目が半月型になった時、ロイドはまるで大蛇に睨まれた感覚に陥った。
「そりゃあ、そうだよなぁ。
いいこと教えてやるよ。
アイツの声を奪ったのは、この俺だ。」
メビウスの言葉を聞いた瞬間、ロイドの身体中を熱い血が駆け巡る。
この男を殺してやろうと双剣に手をかけたが、メビウスが一歩早かったようで、剣を構えようとしたロイドに眠りの魔法をかけた。
「ロイド!」
ハープの声も空しく、ロイドは膝から崩れ落ち、眠ってしまった。
残されたハープは、メビウスに火の球を投げつけようと手を上げたが、彼女の細い手首がメビウスに掴まれることで阻止された。
「嫌、離してっ!!」
力を入れ、メビウスの手を振りほどこうとするが、彼女のか弱い力は男の力には到底太刀打ち出来なかった。
終始歪んだ笑みを浮かべていたメビウスは、真顔でハープに告げた。
「印の魔法を覚えて、早く帰って来い。
今度はお前の番だ。」
そしてハープが眉をひそめた時、メビウスは瞬間移動魔法を唱え、その場から姿を消した。
呆然としていたハープは何とか気を保ち、レンジの傍まで歩み寄る。
「レンジ……助けてよ。
私、本当は……。」
この先の言葉を、ハープは飲み込んだ。
もし口にしてしまったら、自分の使命を全う出来なくなる、そんな気がするからだ。
あと一言でも発すれば、込み上げてくる思いによって、きっと泣いてしまう。
いつからこんなに心が弱くなったのだろう。
印の魔法を習得し、ゼロを封印する。
ラクベールの都を出るまでは、自分はそのために生きてきたのだと、疑いもしなかった。
しかし、自分は知ってしまったのだ。
本来人間が持つ、優しさや暖かさが、どれだけ素晴らしいかということを───。
「……ハープ?」
自分が起こす前に、レンジが目を覚ました。
すぐに飛び起きて、メビウスを探す様に辺り一面に目を運ぶ。
「あいつはッ!?」
「だ、だいじょうぶ。
もういないから。」
レンジの放った大声で、シアード達も目を覚ました。
だが、オリバ一人だけが目を覚まさないでいる。
「おばさん……?
おばさん、オリバおばさん!」
セレスの呼ぶ声に、オリバの指がぴくっと動いた。
「良かった、まだ息がある!
家に運ぶぞ。」
傍で確認したシアードがオリバを背負い、家の中へと運び込んだ。
「ひどい汗……。」
セレスはオリバに治癒魔法をかけていた。
傍ではシアードが見守っていた。
レンジは村の現状に呆然とし、ロイドもハープも、メビウスと会ったことで力が入らないでいた。
オリバの傷は、見えるところは癒えているが、目を覚ますことなく魘されたままであった。
壊滅状態の村で迎える夜は、とても暗かった。
慣れ親しんだ家も何箇所かは壊されており、中も荒らされていた。
おそらくメビウスが、オリバとポイズングールが闘っている最中に、研究に利用できそうなものを探していたのだろう。
自分達の大切な場所を、土足で踏みにじられたような気分だった。
「セレス。」
腕を組んで壁にもたれているシアードが、セレスに声を掛けた。
「な、何?」
「おばさん、ポイズングールに噛まれた痕はなかったか?」
「腕や足には特になかったけど……。」
「ならいいがな……。」
シアードはそう言うと、部屋を出て行った。
セレスは彼の言葉に、もしかしてと思い、オリバの身体を確認する。
「……そんな!」
セレスは自分の目を疑った。
オリバの背中には、ポイズングールに噛まれた痕があった。
自分では、ポイズングールの毒は治せない。
狼狽えているとオリバが目を覚ましたようで、聞いたこともないようなか細い声で話し始めた。




