100.独り言
「フレア草はね、火の精霊の化身なのさ。
彼なりの償いの意を込めた、ね。
それから……いろんなことがあったねぇ。」
火の精霊が創り出した森は、やがて豊かな自然の恵みを人々にもたらした。
飢えで作物が取れなかった日々がまるでウソだったかのように、森の木々は考えられない速度で実をつけた。
見たこともない、この島にしかない植物に他国の商人は目をつけた。
いつしか島を出て行った人々も戻り、森を挟んで島の北側には港町も作られるようになった。
ただ、彼らは一つだけ、どうしても他国に差し出さなかった物があった。
フレア草と名付けられた深紅の草である。
火山が森へと変わったあの日、オリバは島に残された老人に起こったことを全て話した。
そして島の人間以外に、フレア草に関しての情報を一切与えないでほしいと頼んだのだ。
「そうか……そんなことがあったんだ。
知らなかった。
だって、オリバおばさん、何も話してくれなかったんだもの……。」
セレスは悲しそうな顔をして、オリバの顔を見つめていた。
彼女の表情に、オリバは胸が痛む。
オリバはセレスに背を向けて立ち上がり、カップを流し台に運び、濯いで水を注ぐ。
「おそらく今この島で暮らす人々は、フレア草が何となく大切なものだって思っていても、まさか火の精霊の化身だということは知らないだろうね。
あの時、イラプに残っていた老人は皆、寿命で死んじまったからね。
だけどね、誰一人苦しんで亡くなった者はいない。
これもきっと、フレア草のおかげだろうねぇ。」
「オリバおばさん。」
オリバが水をごくごくと飲んでいる時、シアードが口を開いた。。
人差し指と中指には、煙草が一本挟んである。
いつもなら、「またそんなもの吸って……」と面白くない顔をしてみせるのだが、今のオリバにはそんな余裕すらない。
「何故、ブックガーデンに戻らなかったんだ。」
「何故だろうね。
ま、いいじゃないか。」
オリバはシアードから目を逸らして質問をはぐらかしたが、セレスには何となく分かっていた。
オリバの性格上、亡くなったとはいえ、レンジの両親を置いたまま島を出る事は出来ない。
そして、もし、自分が同じ状況だったら───。
「レンジの成長を、レンジの両親に見せたかった。
そうでしょ、おばさん。」
「かなわないねぇ。
これだから女の子は……。」
オリバは、参ったと言わんばかりの表情を浮かべ、そして苦笑いをする。
そのオリバに対して、セレスも微笑みかけた。
彼女にとって、辛く、思い出したくないような過去であるにもかかわらず、話してくれたことに対してセレスはただひたすら感謝した。
「さて、あんたたち。
火の精霊に会いに行くんだろ?」
「あぁ。
そのために俺達はアレス島に帰って来たんだ。」
「そうかい。
レンジ、お前も行くのかい?」
「俺は……。」
レンジはずっと黙り込んでいた。
自分から知りたいと思っていたはずなのに、どうしてこうも胸を締め付けられるのだろう。
迷いが生じるのだろう。
顔も知らない両親よりも、育ての親であるオリバの方がよっぽど情があるはずなのに、何故こうも足が動かないでいるのだろう。
「……怖いんだね。
父を、母を殺した火の精霊の力が……。」
既に精霊から加護を授かったシアード、セレス、ロイドはレンジを黙って見つめているだけだった。
レンジ自身も、オリバの言葉に震えが止まらない。
精霊の加護を受けたい、強くなりたい。
心からそう願っていたはずなのに、いざ精霊に会うとなると、今までにない恐怖と迷いが湧き出てくる。
父と母を殺した火の精霊の力を受け継ぐなど、考えたくもない。
だが、加護を受けなければ、ハープは印の魔法を習得することが出来ない。
もし、神がこの世にいるとするならば、何て残酷な運命をよこしたのだろう。
心の奥底で呪わずにはいられない状況で、自分の震える両手が優しく包まれた。
兄の様に慕っている青年と、おせっかいな姉のような赤髪の少女がそれぞれレンジの右手と左手を握っている。
「シアード、セレス……。」
「ハープを守るんだろ?」
「肝心のあんたがそんなんじゃ、ハープが悲しむわよ。」
レンジはちらっとハープの方に目をやった。
そこには、心配そうに自分を見つめている彼女の姿があった。
シアードは誰にも聞こえないような声で、レンジの耳元で囁いた。
「惚れた女に、あんな顔させていいのか?」
絶対に嫌だ。
何があっても、ハープの悲しむ顔だけは見たくない。
そうだ。
今の自分にとっては、ハープを守ることが全てだ。
それは、ユニベルを平和に導くとか、そんな些細な事よりも、もっともっと大切な事。
この気持ちだけは、誰にも負けない。
「俺、行くよ。
行って火の精霊に認めてもらうんだ。
おばさん、場所を教えてくれ!」
実を言うと、オリバも火の精霊の元へレンジを行かせたくはなかった。
だが、彼自身が火の加護を受けるのなら、必ず乗り越えなければならない。
オリバは深呼吸をして、かつて洞穴があったであろう場所を彼らに教えた。
今は、カインとリラの墓がつくられている、自分だけが知っている場所である。
「ありがとうおばさん!
行ってくるよ。」
レンジは家を飛び出し、森へと向かった。
シアード達もレンジに引っ張られるかのように外へと出て行った。
「あぁ、あんた、お待ち。」
オリバは、最後に家を出ようとしたハープを呼び止めた。
「レンジの事、よろしく頼むよ。」
「私……いつもレンジに守られてばっかりで、何もしてあげられてないです。」
「あの子の傍にいてやっておくれ。
それだけでいいんだ。」
「……はい!」
そしてハープは、四人の後を追いかけた。
オリバは、ハープの背中が見えなくなるまで、家の外から見守っていた。
「さてと、デミスープでも作るかね!」
オリバは腕まくりをし、早速調理に取り掛かる。
「……レンジ達に何かしたら、私が許さないよ。」
手元にあるフレア草に向かって、オリバはそう呟いた。




