第五回 徳島③ 十八番~二十二番札所(二日目)
二日目は二十番、二十一番の二ヶ所を目指した。
「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と並び称されている徳島の難所のうち二つに、一日で挑むわけだ。かつて焼山の途中で挫折した私だが、果たして歩ききれるか。
といっても、二十番は宿から途中までバスを利用するし、二十二番からの下山はロープウェイを利用する。自由に、そして無理をしない。でも、焼山で諦めた分くらいは、できるだけ歩いてみたかった。
南小松島の宿から、道の駅ひなの里かつうらまでは、バスで向かった。私は道の駅が大好きだ。荷物のことさえなければ、道の駅でお土産を買いたいくらいだった。
そこは今回の主目的ではないので、道の駅では、はんごろしの草餅だけを購入した。
そこから少し歩いたコンビニでは、栄養ゼリーとおにぎりを調達。長く歩くのに食糧は重要だ。
平地を通り過ぎ、いくらか坂道を登ったところで振り返ると、さっき買い物をしていたコンビニや、その隣のドラッグストアなどがあるあたりを見下ろすことができた。この時点では、たいして長い時間、長い距離を歩いた感覚はなかったが、さっきまで自分がいた場所が遠く感じられる。
今の時点では遠く感じられる遍路道の先、目指す札所も、歩いてしまえば案外あっという間かもしれない、と思うと力が湧いてきた。その楽観は、わりとすぐに打ち砕かれるわけだが。
しかし、三連休の初日というのに、他に遍路道に向かう人の姿を見かけないのが意外だった。もう少しくらい、他人とすれ違うだろうと思っていたのに、周囲の緑が深くなればなるほど静かになる。
川も見えないのに水音が聴こえてきたあたりでは、湧き水か何かかな、と思った。そこから少し進んだところで、ようやく道の左手にちょろちょろとした水の流れが見え、その先に水呑大師という祠があった。
ここから二十番札所までの道が「鶴林寺道」らしい。
まだこのときはまだ、静かで涼しくて気持ちのいい道だな、と呑気な気分で登り続けていた。
だが、この道の後半の登りはかなりきつく感じられた。
この道に古い時代の丁石が残されているのを、一つも自分の写真フォルダに残せなかった。貴重な歴史の遺産である丁石を見つけるたび、まだ一丁しか進んでいないのか……を、心の中でただ何度か繰り返した。今思えばもったいない。
これが長い年月を超えて現代にも残っている……! という感動を味わう余裕はなかったが、それはそれで、かつての鶴林寺参拝者と、同じ感情を体感できたのではないだろうか。ある意味、「昔の人の気持ちを知りたい」という、自分の好奇心の方向性に対しては、正しく目標通りの経験が得られたといえよう。
五分くらい歩いて立ち止まり、ベンチを見つけたら少しでも腰をおろし、息を切らし汗だくになりながら、じわじわでも前進。ようやく札所の仁王門が見えたときには、思わず、「見たか……」などという言葉が口から洩れた。何に対して「見たか」なのか、というのは自分でもわからない。
それでも、十一時くらいには二十番札所鶴林寺に到着できたので、予定通りだった。自分を褒めよう。
二十番札所鶴林寺は、境内の雰囲気や建物の様子などは、今のところ札所の中でも特に好きかもしれない。
建物の木肌の、苔を帯びて年月を感じさせるところなど。いい意味で古さを感じさせる景色が、山の緑の中で静かに佇んでいる。
鶴林寺の名にたがわず、そこかしこに見られた鶴の意匠も好きだ。
とても好きなお寺だ、と思ったのに、前後の道のりのインパクトが強すぎて、今まさに、鶴林寺を気に入った理由の言語化に苦労している。
いったん境内のベンチで足を休めたあと、私はようやく、この山を下りることにした。下りはじめてみると、明らかに両足の筋肉がプルプル震えていて、登りよりも呼吸や体力面は楽ではあるけれど、あまり無理して早歩きはできないな、と思った。
このプルプル足で急いだら、絶対に転がり落ちると思った。
それでも登りよりは格段に楽だった。景色を楽しむ余裕さえ出ていた。
ようやく山を下り、民家のあるあたりを少し歩いたところに、綺麗な休憩所がある。大井休憩所というが、屋根の下には、外国人男女の先客がいた。遠慮して別のベンチで休もうとしたが、女性が気づいてエクスキューズミー、と声をかけ、屋根の下を一緒に使おう、と招いてくれた。優しくて嬉しい。
しかし当方、英語力激弱人間。一年ぶりくらいの冷や汗国際交流タイム、再び。
なんとかかんとかお二人の話を聞き取ったところ、フランスから来られたという。使いこまれた自転車を休憩所に停めていて、この自転車であちこち回り、これから札所へ行く、というような話をしていた。
少し会話した後、いったんそれぞれの時間に戻り、私はお昼ご飯を食べたが、ひとしきり山を歩いたあとのおにぎりと草餅が、いつも以上に美味しく感じられた。これ以上ないくらい、日本の味だ。
それからも、この休憩所では次々に人と出会った。
休憩所の柱に飾られた花に水をやりに来た近所のご婦人は、自分は鶴林も太龍も登るのは大変なので、でもこの場所はどちらも拝めるから、ここから手を合わせるのだ、と話していた。それだって素敵な日常だと思う。
ご婦人と話をしているあいだに、フランスからやってきた二人が出発。自転車は休憩所に置いて、歩いていくらしい。ハブアグッドトリップ、と言うと、あなたもね、またね、みたいな言葉をあったかく返してくれた。
入れ替わりに、一台の軽トラが休憩所の前で停まり、矍鑠とした年配の男性が降りてきた。
遍路道の保存に関わっているといい、遍路道を歩くイベントのチラシを手渡してくれた。会話の中で実年齢を聞くことになったが、大変力強い様子の方で、もっとお若く見えた。
九十近くなっても元気だった父方の祖父をちょっと思い出した。
今日は太龍寺まで行き、明日は平等寺までいわや道を歩くのだ、という計画を話すと、地図のついたパンフレットまでくださった。
私にとっての遍路は全くの非日常だけれど、この人々にとっては、遍路が日常の中にあるのだ。
ここから先の数少ない自動販売機は、水井橋という橋の手前にようやく一つ見つかる。それは下調べのうえ準備していたので、その時点まで持っていた水分はギリギリ足りた。その自動販売機にたどり着いたが全部売り切れ、みたいな悲劇も無かった。
ただ、自動販売機の釣り銭切れには注意。運よく手持ちの小銭が充分あったので、次の道中に向けた飲み水を補給できたが、そのとき、この自動販売機の十円玉が切れていた。こういうところは多少重たくても、百円玉と十円玉を、ペットボトル数本分は持ち歩いたほうがいいと思う。
途中、若杉谷遺跡というところを通るが、ここはかつて辰砂を採掘した場所らしい。私は過去に、国内でも蛍石掘りができるツアーに参加したり、糸魚川へ翡翠を探しに行ったりしたが、結構日本もいろんなものが土から採れるんだな、と改めて思う。
またこのあたりは、一定の距離を、若杉谷川という川に沿って進む道のりだった。
清流沿いを歩くのは昔から好きなので、これが嬉しかった。ときどき、透明な水を撮るためだけに足を止めた。川沿いを歩いている間は、あまり道の険しさを感じた記憶がない。
一方、やっぱり、札所前終盤の登りが堪えた。長い距離を歩いた果てに待ちかまえる上り坂は、ラスボス、と表現したくなる。
疲れのあまり回らなくなってきた頭で、こんなことを考えていた。
このラストスパートの前に、川沿いの涼しい道を歩く時間があってよかった、競馬でいうと「息をいれる」に似た時間だったのかな。階段を登るとき、先に出す足をずっと同じにしていたら足への負担が偏る感じがあるから、意識して足の使い方を変えないとな。あっ、これも競馬でいうところの「手前を変える」に似てるような気がするな。
なんでも競馬に例えようとするのは、競馬民の悪いところである。
無事、二十一番札所太龍寺にたどり着けたときは、安堵さえした。焼山寺の思い出に対してまだ残っていた無念が、ようやく晴れた思いがした。
太龍寺では龍のお守り付きのおみくじを引いてみた。大吉だった。
オリジナル字書きとしては、和風ファンタジーを書くのがいちばん楽しい私なので、あちこちに龍のモチーフが見られる古刹を歩くのは、それだけでわくわくした。
他に境内で印象に残っているのは金属製の「相輪橖」で、説明書きには珍しい様式であることと、四天王寺にも現存しているとの記載が目を引いた。四天王寺なら地元大阪で、古本まつりのときなどに訪れることがあるから、今度行ったら見てみようと思う。この手の知見を持ち帰れるのが、こういう旅の楽しみだ。
この日の最後、麓の宿へはロープウェイを利用した。このロープウェイは平成に入ってから開通したらしいが、このロープウェイがなければ、今日の宿まで計画通り動けたかどうかわからない。
三日目は、もう一度ロープウェイで上まで上がって、太龍寺から平等寺をめざすことにしていた。昔の人が利用したという古道「いわや道」を歩くために。




