第三回 高知① 三十七番~三十九番札所
つい最近、二〇二六年七月に行ってきたばかりである。
タイトルからも伝わる通り、順番通りに、というこだわりは、すっかりなくなっている。
さらに今回、移動手段にレンタカーまで導入した。
どうしてこの順序になり、レンタカー利用に踏み切ったか。
まず、今回のエリアは、子どもの頃からずっと行ってみたかった四万十川周辺である。最後の清流といわれる川を、夏に訪れたい、という夢があった。
そして、三十七番札所と三十八番札所の間は、札所間としては最長で、八十キロを超える。本気で全部歩くとするなら、移動だけで一日、二日かかる。
迷った末、二日間かけて、電車とレンタカーを駆使して、三つの札所と四万十川を巡るプランを立てた。
七月、八月は連休があったとしても、ここ数年の猛暑を考えて、お遍路をする予定はなかった。しかし、電車と車で移動する時間がこれだけあるなら、体力的にも無理なく回れるだろうし、夏の四万十川を見る、という夢も叶えられる。
そういう理由で、七月、四万十エリアのお遍路を決行することとした。
そして、当日。
数珠を忘れた。帽子もなかった。
私は、服装としては、白衣・輪袈裟・金剛杖は身につけて回るようにしているが、遍路笠はあえて装備から外すこととしていた。
保管と持ち運びが難しいと判断したからだ。だから、夏の時期は、命が惜しいなら日除け帽があったほうがいい。
さらに、バックパックに入れたつもりだった日傘も入っていなかった。もはや、夏の紫外線を積極的に浴びにいくスタイルである。
一日目は車移動もあるし、日本の南の方に台風が近づいていたから、そんなカンカン照りにはならないだろう、とタカを括り、そのまま進めることにして、翌日地獄を味わうはめになる。
正直、かなり反省した。事前準備はもっと力を入れるべきだ。
この日は、窪川駅まで、高速バスと電車で移動していた。途中、高速バスの車体チェック遅延という珍しい事態に遭遇。危うく、高知駅からの予約済み特急に間に合わなくなるかもしれない、という状況に陥ったけれど、バスを降りてから全力ダッシュし、間一髪、予定通り乗車することができた。
三十七番札所岩本寺は、その窪川駅から十分程度歩いたところにある。レトロな建物などを眺めながら町を歩くと、まもなく、札所を示す石碑が二本並ぶ、寺院入り口の前にやってきた。
この日は平日だったこともあり、人少なで、とても静かだった。
境内では蓮や睡蓮が多く育てられていて、鶯が上手に鳴いていた。苔むした塀を背景に石仏が立ち並ぶ道があり、のんびり長居したくなる風情があった。
三十七番札所納経が終わると再び電車に乗り、中村駅へ向かった。
中村駅周辺は、四万十市でも中心街といえるだろう。ビジネスホテルが集中し、私も今回はこの町に一泊する予定だった。
昼食後、この駅近くでレンタカーを借りて、三十八番札所金剛福寺へ出発した。
中村駅から、足摺岬近くの三十八番札所までは、車で一時間ほど。ほとんど二車線の道路が続き、目的地近くなるまでは極端に狭い道もほとんどないため、走りやすい。目に入る景色も含め、とても楽しいドライブコースだった。
ただし、足摺岬へだいぶ近づいたころ、対向車が来たらすれ違うのが難しいほどには、部分的に道が狭い箇所が出てくる。幸いにも、このときは行き帰りどちらも対向車が来なくて助かった。
札所まで少々歩くが、広くて貸切状態だったので、足摺岬東側駐車場に車を停めた。
ここから札所まで、アーチ状に生い茂った木々が形づくるトンネルの中を歩くことになる。遠目に見ると普通のトンネルがあるのかと思うのに、上空を覆うのは全て木の枝で、ところどころ差し込む光線状の日差しが、息をのむほど美しかった。
札所の目の前にも駐車場はあるのだが、この緑のトンネルを歩けただけでも、東側の駐車場に車を置いてよかったと思えた。
たどり着いた三十八番札所は、入ってすぐに立派な池があり、寺院全体が広々としている。良い天気で、空も視界も広く感じられて、明るい気分になった。お遍路目的以外の人も、足摺岬に観光に来た際、お参りしていくのだろう。
この札所での納経を終えたら、中村に戻る前に、足摺岬を展望台から見ておきたかった。
岬の様子は見事の一言。四国に大きな影響はなかったとはいえ、台風が近づいていたからか、波が高く、岸壁付近はきめ細かく泡立った波で真っ白。海は、深さ浅さによるのかわからないが、青い色のところどころに濃淡が現れていて、水がよく澄んでいるのだろうということが窺われる。
いつものようにデジカメで景色の写真ばかり撮っていると、年配女性の二人組が、撮ってあげる、と声をかけてくださった。私はふだん、自分の写真を残すことをしないけれど、せっかくなので、ご厚意に甘えることにした。
お返しにツーショットを撮りましょうか、と申し出たけれど、もう撮り終わっていたとのこと。お二人も大阪から来ていたそうで、親しみがわいた。
その後は無事、安全運転で中村まで戻り、この日予約していたビジネスホテルに早めにチェックインした。近くのお店で、カツオのたたきやらうつぼのから揚げやら、土地のものを食べられたので、良い一日の締めくくりになった。
翌朝、チェックアウトの際、エレベーターで乗り合わせた、仕事で来たふうの三人の男性陣のうち一人に、「それ、なぎなた?」と声をかけられた。
袋に入れた状態の金剛杖を指してのことだが、驚いた。
私は昔、なぎなた部に所属していた。
お遍路用品店など見ていると、金剛杖専用の袋も販売されている。だが、私はなぎなた袋の短い版の要領で金剛杖用の袋を自作したので、なぎなたにしては短いものの、このガワを見ての思いつきなら、あながち間違いでもないような。
しかし、あのマイナー競技がよく一番に出てきたなあ、と思った。身近でなぎなた競技を見ることがあるのかもしれない。例えば家族がやっているとか。
このとき私は白衣も輪袈裟も身につけていなかったから、金剛杖とは思わなかったのだろう。お遍路の杖で、と私が答えたところで、エレベーターはフロント階に到着。なるほどー、がんばってねー、と言って、彼らは先にチェックアウトしていった。私なぎなたやってたんですよ、と言ってみたかったような、そうでもないような。
この後、町中で別の人に、「それ弓道?」とも聞かれたのがおかしかった。それのほうが正解から遠いように思うけれど、実際、細長いものを持っていたら、なぎなたよりも弓道の確率が高いだろう。
さて、この後は電車に乗って平田駅まで移動し、そこから徒歩で四十分ほど歩き、三十九番札所を目指す。前日よりもかなり暑く感じられたが、一日目は長い時間車の中にいたから、気にならなかっただけかもしれない。
駅の近くに、スーパーだった建物がそのまま残されていた。スーパーとしての役目は確かにもう終えているのに、店舗名も外装も、止まったままの時計までありありと残されていて、かつての賑わいが目に浮かぶような、あざやかな亡骸という感じがした。
途中からネットのルート案内を逸れ、道にみつけた遍路道の目印をもとに札所へ向かった。どうも、ルート案内よりもこちらの道の方が、日陰が多く、断然涼しい。これも先人の知恵だろうか。
距離自体は大したことがないものの、この時点で暑さにはかなりやられていた。札所に到着して最初に、自動販売機で冷えた水を買い、とにかく飲む、飲む。
それから向かった山門の狛犬四体が印象的だった。前方を向いている外側二体、山門を通る物をねめつける内側二体。
それから、納経。今まででいちばん落ち着いて読経できたような気がする。
ここでも目にご利益のありそうな眼洗い井戸があるので、しっかり手を合わせた。年齢とデスクワークによる視力の悪化は、どうにもならないとは思うけれど、少しでもゆるやかであってほしい。
お遍路は、この三箇所でおしまい。
残った時間を使って、お遍路道中ではあまり歩かなかったかわりに、この後少し電車に乗ってから、若井駅から窪川駅までの一駅分、一時間の距離を歩いた。
暑さで地獄を見たのはこの間である。日陰がほとんどない、自動販売機もなかなか出てこない、帽子もない、日傘もない。命が惜しいので、雨が降ったとき用に持っていた、薄手の防水パーカーみたいなやつを、袖を通さず、頭とバックパックの上からかぶって歩いた。確かこいつにはUVカット効果もあったはず。
ただ晴天下に田んぼと山々が広がる景色は本当にすばらしかった。
どうしてそんな独特な行程を選んだのかというと、夏の四万十川を間近で見る目的、ただそれだけのためである。
二つほどの地点で四万十川の河原に下りて、沈下橋を渡ったり、少し水に手をひたしてみたり、そういうことができたので、子どものころからの夢は叶った。
顔がヒリヒリするほど日焼けもしたけれど、後悔はなかった。
しかし準備不足。特に数珠を忘れたことは、お遍路という目的を考えるとよくなかった。
いつも何かを忘れている。
それと、巡る予定の札所一つ一つについて、由来とか所蔵物とか、事前に頭に入れてから巡ったほうが、もっと寺院内を見たときに面白いだろうに、そのへんも勉強不足。
移動手段を自由にした分、札所そのものは余裕をもって見て回れるようになったのだから、次は事前準備をもっと充実させたい。
などという、子どもみたいな感想で、このたびの記録を終える。




