第二回 徳島② 一番~十番札所
そういうわけで、二〇二五年十一月、前回から二年空いてのお遍路再開となった。
鳴門西PAで高速バスを降り、そこから歩いて一キロ半ほど。
体力と脚力には、年齢のわりには、程度の自信があるほうで、一キロ二キロの距離を歩くのは、まったく問題ない。このあたりはほぼ平坦な町中を通るルートで、足慣らしにはちょうどいいくらいだった。
一番札所霊山寺で、お作法に従って線香や蝋燭を供え、納経して、ああこんな手順だったな、というのを思い出していく。
このときの私はかなり手際が悪かった。前回から二年経ったとはいえ準備はだいたい揃っているし……と油断していて、行程や時間配分は細かくシミュレーションしていたものの、肝心の札所に到着してからやるべきことの復習を完全に怠っていた。反省。
とりあえず回ればいい、という感覚に陥っていなかったか。せっかくお遍路をするのに、これはもったいない。
次はもうちょっと手際よく、と思いながら、二番札所極楽寺、三番札所金泉寺を巡る。だんだん、納経作法にも慣れてくる。
移動時、基本的にはネットのルート案内に頼ってしまうけれど、景色を楽しみながら、遍路道を示す目印も探すようにした。
ルート案内と目印が異なったとき、できるだけ、目印を優先したいと思った。文明の利器だけに頼ってしまっていいとするなら、自分がお遍路に興味を持ったきっかけだとか、古いものへの好奇心を満たしたい思いだとか、そのあたりの、自分にとっての要点が薄れてしまうような気がする。
金泉寺を参拝し終わったあたりがお昼時で、立ち寄ったお店のうどんがモチモチで美味しかったことが思い出深い。お遍路さんが多く訪れるのか、店先に杖立てを設置していたのが印象的だった。
さて、歩行距離はすでに五キロを超えていたが、ここまではほとんど平坦で、お昼休憩もとったことで、体力にも足にもまだまだ余力がある。
と、思っていた。
四番札所までは四キロ超え、距離だけ見ればへっちゃら、という感じだったが、この道は後半、上り坂になる。まだいけるまだいける、と思いながら歩いているうち、気がつけば体力をじりじり削るタイプの坂道が始まっていた。
気持ちペースを落とし、体力を温存しながら歩くも、四番札所大日寺に到着するころには、疲労感は重くなりはじめていた。
しかし、このお寺の三十三観音尊像は必見。次の札所へ向かうための時間(と自分のHP残量)が気がかりになりはじめていたものの、ここはじっくり見たかった。どの観音様も、表情の穏やかさが心に残っている。
そこから次の五番札所地蔵寺までは二キロ弱ほど、上り坂もなく、いつもなら楽勝でたどり着ける距離だが、さすがに必要以上の早歩きはやめておいたほうがいい、という感覚になっていた。
ところで、四番札所を出て少し歩くと、山神社という小さな神社が右手に現れる。そのすぐ近くに「山神社」の文字が刻まれた石の台のようなものがあった。神社関係の何かを置く場所かな、と思いながらそれをのぞき込んでいると、近くを通りかかった地元の方が、「それは御神輿を置く台ですよ」と声をかけてくれた。
私の地元では見ないものなので、珍しくて、とかそういう返事をした覚えがある。それくらいのやり取りで、その方とはお互い挨拶をかわして別れたけれど、RPGの街中会話イベントのようでわくわくした。
どんなに疲れていても、歩いているあいだくらいは、景色に目を向けていたい。古いものやきれいな植物を見つけて、持ち歩いているデジカメで写真を撮って、これはなんだろうと思ったら調べて。それがとても楽しい。
足運びのリズムや歩幅を一定に保つ意識で、速すぎず遅すぎず、といったペースで、とにかく歩き続けた。
五番札所地蔵寺の門近くに自動販売機を見つけて、参拝の前に冷たい飲み物を一気飲みすると、多少生き返る心地がした。
境内に足を踏み入れると、樹齢八百年という大銀杏がそびえ立ち、その足元にベンチがあった。なんとか先に納経し、次に向かう前に、ちょっと足を休めさせていただくことにした。
とにかく、涼しい時期で助かった。これが真夏だったら、歩き続けるのがちょっと厳しい状況だったかもしれない。この前後の年は、誰もが知っている通り異常な暑さだったから、夏にお遍路を再開するのは避けたが、正解だった。
分相応、という言葉を思った。
もともと区切り打ちで計画していたから、公共交通機関を一切使わない、というお遍路にはならないけれど、できるだけ本格的な歩き遍路に近いやり方ができればいいな、という願望はあった。
自分の体力、年齢、それから通し遍路ではなく区切り遍路を選ばざるを得なかった状況を考え合わせると、取捨選択するべきこだわりはまだあるな、ということを考えた。
そういう考えになってくると、最初にお遍路始動計画が台風で頓挫したこと、焼山寺でタクシーを使うしかない状況になったこと、残念なこととしか思っていなかったこれらの出来事が、なんだか巡り合わせのような気さえしてくる。
言い訳ともいうかもしれないけれど。
ちょっと許容範囲を広げてみるか、と思いながら、六番札所に向かうべく、立ち上がった。
この日の宿泊場所は、六番札所安楽寺の宿坊だった。
五番札所から六番札所、ここが、長い。ほとんど平坦で、町中の舗装された道をひたすら五キロ歩いて行くのだが、疲労の蓄積した体には、永遠のように感じられる道のりだったことを覚えている。
時刻は確か十六時台くらい、だんだん日が陰っていくころで、広々とした田んぼや住宅の屋根の向こうに沈んでいく夕焼けが、とても綺麗に見えた。この時点で、六番札所の参拝可能時刻には間に合いそうになかったけれど、それ以上急ぐ体力は残されていなかった。
このとき、左足の付け根に痛みを感じていた。明日大丈夫かなあ、と思いつつ、こんなところで動けなくなるわけにはいかないので、とにかく歩いた。
ものすごく長く感じられる距離だった。
時間にしてアルバム一枚分くらいだろうから、イヤホンつけて音楽を聴きたいな、と思った。そうすれば、ずいぶん気が紛れて、多少短くも感じられるだろうに。
別にそれをするのも自由だし、悪いことでは決してないけれど、なんだかお遍路らしくないような気がする、というだけの理由で、やっぱりやめた。
六番札所安楽寺に着くころにはすっかりヨレヨレで、やっぱり参拝時間には間に合わなくて、納経は明日の朝にすることにした。案内された客室で、そのままベッドに横になったら気絶できただろう。
安楽寺宿坊に泊まると、勤行体験があり、仏像や寺院内の見学もできた。ここで一泊するルートにして、何よりその予定時刻には間に合うよう動けてよかった、と思う。
四国八十八ヶ所全体で見ても、泊まれる宿坊は多くはなく、減っているという話も聞くので、宿坊に泊まるということ自体、貴重な体験なのかもしれない。
ここではその日のうちに納経できなかったため、朝、納経所が開く時間に合わせて活動を開始した。
朝日に照らされた鳳凰の神々しさと、庭園の静謐なさまが、この時間にじっくり見られてよかった光景だった。
この回二日目も、十番札所まで全て歩きの予定だった。七番札所まではおよそ一キロほど、左足の付け根の痛みも引いていて、今日一日くらいなら持ちこたえそうだな、という手ごたえがあった。
ただ、昨日の教訓を生かし、最初から最速ペースの早歩きは控えることとした。もうちょっと早く歩けそうだな、くらいを意識して、最後まで同じペースで歩き続けようと思った。
道路沿いを歩いているとき、車遍路の方が少し先で車を停めて降りてきて、貼らないカイロを一つくださった。自分はこうして車で回っているので、歩いている人に何かできないかと思って配る分を用意している、というような話をされていた。
私自身はオール歩きというわけではないので、恐縮してお礼を伝えることしかできなかったが、ありがたくそのカイロを開封させていただいた。いろいろな考え方でお遍路をしている人がいて、面白い。
それから、何ごともなく七番札所十楽寺にたどり着いて、ここでは御本尊の阿弥陀如来像のお守りを入手した。私の干支の守り本尊が、阿弥陀如来様らしいので、道中の無事につながればと思い、お遍路用品を入れている手提げバッグに提げることにした。
この札所では「縁切門」「縁結門」があり、願い事の有無はともかく、体験として入ってみたいな……とうずうずしたものの、特に縁切などは、あまり軽い気持ちで願掛け行為をしてみるものではない感じがする。迷ったけれど、外から眺め、写真を撮るにとどめておいた。
同じ境内にあった「治眼疾目救歳地蔵尊」には、当時から視力が落ちてきていたので、まじめな気持ちでしっかり手を合わせておいた。
八番札所までは、そこから一時間ほど歩く。道中、道路工事中の場所を通ったとき、交通整理をされていた方から、「一人ですか? がんばって!」と声をかけていただいて、嬉しかった。
前日よりはペースも落としているし、まだ三箇所目に向かうところだけれど、やはり前日の疲れもあるうえ、このルートの後半もそこそこ上り坂なので、疲労を自覚しだすのが早かった。
そんな中たどり着いた八番札所熊谷寺は、ここまで巡った中では特に大きなお寺だった。門前に今は葉もつけていない桜の樹が並んでいて、開花時期は綺麗だろうな、と思った。
門から本堂、大師堂までもなかなか広くて、境内に入ってからもいくらか歩く必要がある。この札所だけでも、じっくり見学しようと思えば、小一時間以上は見て回れそうだった。
この日は門前で、地元のおそらく檀家さんと思われるご婦人方が、お接待で一休みできる場を設けてくださっていた。
そのとき同席したのがオーストラリア人のご夫婦で、ご婦人方みんなと記念写真を撮りたい様子だったので、無い英語力を総動員してご協力した。
私は学生時代から英語があまりにも苦手なため、ふだんは、自分から海外の方に声をかけるとか、国際交流的なものをするとか、そういうことはできない。へたに声をかけたら、逆に相手を混乱させてしまうだろう。
でもこのお遍路では、車遍路の方や地元の方に親切にしていただいたから、私も別の方にでも、それくらいの徳はお返ししたいもの、ぐらいの考えはあった。
ご夫婦も歩きで、同じタイミングで回っていたこともあり、彼らとはこの後、十番札所で再会することになる。
この日は海外からのお遍路さんを多く見かけ、九番札所法輪寺までの道中では、さっきとは別の男女二人組の方が後ろから声をかけてきた。
何だろう、と思ったら、私がボディバッグにつけていたさるぼぼが地面に落ちていたのを拾ってくださっていた。優しい世界。
サンキュー! はすぐに言えてよかった。
余談になるがこのさるぼぼ、二、三回キーホルダー部分が外れて落っこちても毎回すぐ見つかって戻ってきているので、愛着が強まっている。対策を考えたい。
その後は九番札所での納経をつつがなく終え、十番札所までの道程こそが、このたびのラスボスといえた。
約五キロの距離、途中まではほぼ平坦だが、徐々に上り坂に入り、最後には三百三十三段の石段が立ちふさがる。
距離の長さに体力を削りとられたところで、目の前に現れる「是より三三三段」の石碑。
今まで階段の段数を意識したときといえば、学校の怪談くらいか。いや、これは断じてダジャレのつもりではない。よくある十三階段の七不思議、「三三三段」といえばつまり、それの何倍くらい……と計算しかけて、やめた。
ここまできたら最後まで行くしかない。行け元運動部、私ならやれる。
そう心の中で自分を奮い立たせ、一日目と同じく、一定のリズムで、を意識して階段を上っていく。歩くのに合わせ、金剛杖をついて歩いていると、ふしぎと、自然に「南無大師遍照金剛」が口をついて出てくる。
歩き出すと、案外、大丈夫だ、という感覚になってくる。なんだかんだで体力がある。
石段のあたりの上空は、木々が生い茂っていて、けれど晴天なので、木漏れ日が薄暗い地面に水玉模様を作っているのが綺麗だった。「女やくよけ坂」の石碑を見ると、ちょうど前厄の年でもあったので、がんばれば悪いことがなくなるぞ、という気がした。ちなみに「男やくよけ坂」もある。
こうして三百三十三段を上がりきり、本堂が目に入ったとき、大変な達成感があった。十二番札所焼山寺で得たかったのに近い感慨だったと思う。今度こそ計画通り、この回最後の札所まで歩ききることができて、本当に嬉しかった。
上がりきってしまうと、急に元気が出てきた。さらに奥の階段を上がっていくと、大塔がある。堂々たる様子で大塔が鎮座する景色には、本堂のほうよりも静けさを感じた。
一通りの参拝と納経を終えると、またこの三百三十三段を下りねばならないし、そのあと帰りのバスに乗るため、徳島駅までどう向かうかを考えなければならない。
幸い、時間には十分余裕があったので、一度境内のベンチで一休みしてから考えることにした。
さっきのオーストラリア人のご夫婦と再会したのはそのときだった。にこ、と会釈して、それで終わらず、なんとなくおしゃべりする流れになった。
不思議なことに、このときの会話の流れは妙によく覚えている。
最初に、あんまり英語うまく聞き取れなくてェ……みたいなことを、その時点で正しいかどうかわからん英語でお伝えしておく。OKOK、とうなずいてくれるご夫婦。
このへんでお二人がオーストラリアから来たと判明。私も日本人かと問われ、イエス、フロム大阪、とお返事。
「オーストラリア、行ったことある、えー、アイウェント、ゴールドコースト。コアラ、ハグ!」
だんだん冷や汗が出てくる私。このまま長く会話をしているうち、自分の知識の及ばない範囲で失言とかしてしまったらどうしよう、という気持ちになってくる。
回復しつつあるHPに反比例して削れゆくMP。フレンドリーなお二人と一瞬のご縁ができたことは嬉しかったけれど、そんな感じだった。
これ以上はお二人で過ごす時間のお邪魔でもあるだろうと思い、先に立ち上がった。ハブアグッドトリップ、そう言って笑顔でお別れした。
再び階段を下りきり、私は結局、タクシーを呼ぶことに決めた。
阿波川島駅までタクシーで移動し、そこから電車で徳島駅へ。
阿波川島駅まで歩いて行く選択肢もあったけれど、十番札所から阿波川島駅までは六キロ以上、無理はするまい、という気持ちになっていた。
それでよかったと思う。
それよりも、札所一つ一つを回るときの作法や、お遍路そのもののことをもうちょっと勉強しなおすとか、いざ行ったときに良い経験ができるように、計画を立てようと考えはじめていた。
札所一つ一つをもう少し丁寧に回れるようにするために、移動方法の自由度を広げるのは、むしろ良いことじゃないか。
結局、次のお遍路までもまた少し開いてしまうのだが、だんだん考え方が変わっていったのは、結果としては、自分にとっては良かった。
当初のやり方のままでは、ただ札所を回るだけになってしまったり、無理をしてどこかで足腰を痛めたり、そういうことがあったかもしれない。
そして、次章に記録する三回目のお遍路の内容は、自由度が高まった結果、という行程だったけれど、とても良い旅といえるものになった。




