第一回 徳島① 十一番~十七番札所
いつか四国八十八ヶ所巡りがしたい、という考えは、学生時代からあったが、そろそろ始めてみよう、とはっきり考えはじめたのは、社会人になってからのことだった。
そして、お遍路について調べているうちに、区切り打ち、という回り方もあることを知った。
一から八十八までひと息に巡るのは、フルタイム労働をやりながらでは現実的ではなく、私がお遍路をやるとしたら、休日ごとの区切り打ちしかない。
だから、連休などの折々に区切り打ちで、四国八十八ヶ所巡りに挑むべく、着々と準備を進めはじめた。
事前の情報収集で、何度か目にしたのは、「遍路は自由」といった言葉だった。
もちろん、お遍路をやるからには、納経など最低限やっておきたいことはあるけれど、移動方法も、宿泊も、巡る順番だって、自由。
自由だからこそ、その中で自分が何を縛りと定めて札所を巡るのか、それはけっこうだいじなことなんじゃないか、と思う。
こういうことを明言すると怒られるかもしれないけれど、私は敬虔な仏教信者ゆえにお遍路を志したわけではない。
でも、暮らしに根ざした神仏や寺社への敬意や親しみは確かにある。
そして、私は日本の歴史や伝統文化が好きで、昔の人がどんなことを考えていたのか知りたい、といった好奇心を昔から抱いている。その好奇心から、大学時代は平安時代の和歌専攻に進んだし、今、お遍路決行にまでつながった感覚がある。
よって、現代人だからできることのうちどれを封印するか、そういった方向性の縛りを課したお遍路でなら、自分の好奇心に接続する経験を得られるのではないか、そう考えた。
この段階で私がこうしたい、と思っていたルールはいくつかあるけれど、「できるだけ徒歩と、自動車以外の公共交通機関のみで巡ること」「区切り打ちでもイチから順番通り巡ること」、特にこの二つは、自由とされるお遍路の中でも、自分に課したいと思っていた縛りだった。
二〇二三年の春の段階で、秋開始の心積もりでスケジュールを立て、九月、十月の連休にそれぞれ一~十、十一~十七の札所を巡るべく、高速バスや宿の予約をとった。
ところが九月、まさに全ての予約をとっていた連休のタイミングに、西日本に台風到来。目的地に無事到着することすら楽観視できる天候ではなく、半年も楽しみにしていた遍路計画の始まりを泣く泣く諦めた。
その時点で、これはもう今は来るなという仏様御大師様の思し召し的なものではないか、など考えてしまったものだが、十月のほうも、高速バスやら宿やらすでに抑えてしまっている。
一番札所から順番に行きたかった気持ちはあるものの、この微妙なタイミングでキャンセルするのもどうかと思い、十月は決行する事にした。
そのときは母も行ってみたいと言ったため、急遽母も同行することになった。あれはあれで、ちょっとした親孝行になったように感じている。
お遍路は順番通りでなくてもよい、というけれど、実際に十一番から開始してみて、一番から十七番のあたりまでは、やはり一番最初に順番通り進めることをおすすめしたくなる。
一番から十番までについては、詳しくは次章で語るが、私の体感として、比較的歩きやすい道が多かった印象がある。そして十一番から十七番には、「遍路ころがし」と呼ばれる険しく長い道のりが含まれる。
十一番藤井寺から十二番焼山寺に続く、距離にして約十二キロを超え、さらに山越えも伴う道のりである。
一番から十番くらいまでの道程で、札所を巡り歩くことに慣れてから、この遍路ころがしを含むコースに挑む、この順序から始めることは、初心者が遍路道をどう歩くかを学ぶのに、非常に理にかなっているように思われる。
このルート上で、私たち親子は、徒歩で焼山寺にたどり着くことを、途中で断念した。タクシーが呼べるおそらく最後の地点を前に話し合い、決断した。
母は体力の限界であった。
私はトイレの限界であった。
比較的体力のあるほうの母だが、あんなに血の気の引いた顔をしている母を見たのは、初めてだった。
そして私はトイレ近い族の末裔である。しばらくトイレがないあたりで尊厳の危機に陥った。
そうして、本来の道筋を逸れて一番近くのトイレのある場所まではなんとか徒歩で移動して、そこでタクシーを呼んだ。かくして、焼山寺へはタクシーで向かうこととなったのである。
とはいえ、途中まで徒歩で挑んだ遍路道の山越え道中は、道らしい道もあれば、道なき道のような景色もあり、冒険をしているようで楽しかった。少し天気が不安定で、ひんやりした空気を吸いながら、ひたすら緑の中を歩いていく。
最後にタクシーでたどりついた焼山寺は、霧がかっていて、現実ではないどこかのような雰囲気をまとっていた。この行程を徒歩で完遂できていれば、疲れはてた自分の目の前にこの光景が現れたときの感動は、どれほどのものだったろう。
歩ききれなかったことは、しかたなかったけれど、やはり今思い返しても悔やまれる。
その後は公共交通機関を利用して(これは予定通り)、予約していた温泉旅館に一泊した。親孝行ができたかな、と思えたのはこのへんである。いろいろあったが、母が倒れたり体をいためたりせず、楽しんでくれてよかった。
この回の二日目は、旅館から十三番札所までは確かバスも利用して、そのあとはほとんど徒歩で動いたけれど、大きな問題もなく、十三番札所から十七番札所までの行程でようやく、自分の遍路の基礎を固められたような気がする。
かくして、「できるだけ徒歩と、車以外の公共交通機関のみで巡ること」「区切り打ちでもイチから順番通り巡ること」、当初の縛り二つとも、お遍路初回にして打ち砕かれたわけである。
台風の計画狂わせ、藤井寺から焼山寺への遍路ころがし徒歩制覇失敗、本当に悔しかったけれど、この二つの出来事は良くも悪くも、この後の私の、お遍路への考え方を柔軟にすることになる。
それから、次の区切り打ちまで二年以上は空くことになった。
そもそもそのころ連休をとりにくい職場にいたこともあるし、それから転職して、新しい環境でうまく予定を組めなかったこともある。
けれど、やっぱり私は一度、少々心が折れてしまっていたというか、落ち込んでいたと思う。
旅程を組んでもまた、どうしようもない理由で頓挫したらどうしよう。
せっかく自分なりにこだわって縛りを決めても、思ったように動けなかったらどうしよう。
そんな心境で、しばらくもたもたしていたけれど、やっぱり体力のあるうちにできるだけ歩いて、お遍路を完遂したいという気持ちは消えなかった。
この期間に、祖父母が相次いで亡くなり、自分が生きているうちにやりたいことはやっておきたい、という気持ちがちょっと強くなったことも、背中を押したかもしれない。
そうして二〇二五年十一月、ようやくお遍路を再開。
やっと、最初に行こうとしていた、一番札所からの計画をやり直すことができる。




